第8話.銀の狼

 


 じ~~っと、物欲しげな目でクナは頭上を見上げていた。


 サフロの実を、あっという間に二つ平らげた直後である。

 日持ちがしない実だ。しかも大きい。気候は穏やかだが、ポケットに入れて持ち歩けるのはせいぜい二つだ。欲張れば、手が塞がってしまう。


「……って、待てよ。これだけ大きなサフロの木があるってことは……」


 はっと気がついたクナは、木の後ろに回り込んだ。

 ナイフの柄尻を使い、木の根を軽く掘ってみる。出てきたものに目を光らせた。


「やっぱりキバナ」


 太い根から直接生えた、茶色い手のひらサイズの花。

 地中で咲くこの花は、サフロの花ではなくキバナという。

 キバナは地面ではなく、サフロの木の根っこに直接生える茎も葉もない花だ。そうしてサフロの養分の一部を吸い取るのだ。


 しかしキバナは甘い蜜を吸うだけではない。

 サフロの実は甘く、虫害に遭いやすい。

 それを助けるのがキバナだ。虫がいやがる独特の臭気を発して追い払う。

 お互いに助け合う関係――これを共生と呼ぶのだと、マデリがクナに教えてくれた。


 キバナをぎゅっと絞って出てくる液を衣服に染み込ませれば、虫が寄りつかなくなる。

 それだけでも利点なのだが、クナはもうひとつの役割についても思いを巡らせる。


「これは、持ち帰りたいな」


 キバナは中級ポーションの材料に使える。

 何度か、マデリが森から持ち帰ったキバナを見せてくれたことがある。瑞々しいサフロに寄生するキバナは、アコ村ではまったく手に入らないのだ。せっかくの機会を逃したくはない。


 というのも無事ウェスに辿り着けたとして、手に職がなければ生きていけない。

 クナにできるのは薬作りだけだ。一生懸命に作ったポーションは外れと蔑まれてきたが、それでも薬師であるクナにできるのはそれだけ。

 貴重な薬草類を採取しておけば、今後も必ず役立つはずだ。


 それに――、と再び頭上を見上げるクナ。

 やっぱりサフロの実も昼食と夜食分に、いくつか持ち歩きたい。


「……カゴ、ほしい」


 ぽつりとクナは呟いた。


 今までドルフによってクナは縛られ、肩身の狭い生活を送ってきた。

 試したいこと、やりたいことがあっても、ドルフが否と言えばそれに従った。


 でも、今は違う。


(せっかく追放されたからには、好き勝手に生きてやる)


 もう、自分の思う通りに動いていいのだ。

 クナはさっそく行動を開始した。



 ◇◇◇



 近くに木のうろを発見したクナは、そこに潜り込んでカゴ作りに励んでいた。


 カゴを作ろうにも、無防備に姿を晒して作業はできない。

 凶暴な魔獣は夜行性のものが多いが、だからといって警戒心を捨て去るのは愚かだろう。


 こうした木のうろは小型魔獣の住処や、隠れ場所になっている場合があるので、念入りに足跡とにおいを確認しておいた。

 大きなうろではないが、小柄で身軽なクナならじゅうぶんに入り込める。昨日も似たような場所を発見して身を休めたのだ。

 住み着いていた先住虫の多くは、クナの服から漂うキバナを前に散っていった。


 暗い樹洞を照らし出す光源は、昨夜見つけた光る実である。

 枝から離しても、一日くらいは淡い光を発する。捨てなくて良かった、とクナはほっとする。


 カゴの材料としてクナが選んだのは、蔓性の植物であるケンだ。

 まず何十本か茎を採取する。これにはナイフが役立ってくれた。

 取ってきたケンは、それぞれ長さを整えてから水に湿らせる。曲げて加工する際に、ばきりと折れてしまわないように、乾いたらそのつど水を含ませるようにする。


 ケンの繊維は丈夫で硬いが、ナイフで切れ目さえ入れれば縦には手の力だけで裂ける。

 同程度に細く、薄く裂いたあとは、それぞれを繋ぎ合わせて編み込み、カゴを形作っていく。

 カゴの底部を固定する糊には、クナの花を使う。


 何度か作ったことがあるので、カゴ作りは順調に進んだ。

 形ができあがったあとは、背負い紐用に、ケンの蔓を垂らせば完成だ。


 カゴを押し出すようにして、木のうろから這い出たクナは、それを背負ってみる。


「うん、良い感じ」


 サイズもちょうど良く、背にしっくりとなじむ。

 久方ぶりに薬師らしいことをしている気がして、ふわりと気持ちも高揚した。


 サフロの実を六つ、キバナ、摘んでおいた薬草などをその中にぽいぽいと入れておく。

 光る実はほとんど光を発さなくなったので、地面に埋めていくことにする。


「また新しいのを見つけたら、採取しないと」


 そう呟いたときだった。


「っ」


 どこからか視線を感じ、クナは身を強張らせる。

 顔の角度は変えないまま、眼球だけを素早く動かして何者かの姿を探る。


 そんなクナの瞳の端っこに、その姿が映り込んだ。


(銀色の毛……)


 クナの倍以上はある大きな体躯。

 銀の毛並みをした狼が、小高い木々の間にひっそりと立っていた。


 額にじっとりと汗をかきながら、クナは視線を持ち上げる。

 秋の稲畑を思わせる、揺れる稲穂じみた黄金色の瞳と目が合う。とたん、その美しい目は静かに細められていった。


 獣の目とは思えない、理知的な眼差し。

 昨夜出会した魔獣とはまったく似つかないそれに、クナは眉を寄せる。


 襲いかかられれば、一溜まりもない。

 だがクナは、すでにその可能性がないと直感していた。相手にそのつもりがあるなら、クナの喉笛はとっくにかみ切られているからだ。


(魔獣じゃない?)


 どこか理を超越したような存在。

 あるいは――それは聖獣と呼ばれる、神に近い聖なる力を持つという神秘の獣なのだろうか。


(私を、観察してるのか)


 銀狼は、ただクナのことを見つめている。

 推し量るように。何かを試すように。発される言葉はないから、全てはクナの思い違いかもしれないが。


 やがて狼は、くるりと踵を返した。

 その直後に振り返り、クナを見やる。相も変わらず、目は細められたままだ。


(これは……ついてこいってこと?)


 迷ったのは数秒だった。

 正常な判断とは言い難いかもしれない。しかしそのときのクナは、その美しい生き物がどこにクナを連れていこうとしているのか気になったのだ。


 クナは狼を追って、森の中を歩き出した。



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