第26話.露店販売
翌日の朝。
クナは湯浴みのあと、パンとスープのみの簡単な朝食を終えるとすぐさま商業組合へと向かった。
早朝だが、組合のドアはすでに開いており、昨日も担当してくれた男性職員が出迎えてくれた。
昨日のうちに講習会は受けている。簡易試験も通過したあと臨時営業届を提出していた。問題なく臨時営業許可は下りたそうだ。
渡された営業許可書を、クナは丸く折りたたみ、紐でくるくると縛る。露店を出すときは、店先など、分かりやすい場所に許可書を提示することが義務づけられている。なくした場合、再発行に手数料を取られるので、気をつけねばならない。
クナは北側の宿場町前に小さなスペースを借りた。
三日間分の貸借料としては八百ニェカを支払った。三日以上から、割引が適用されるためである。
設備は天幕ではなく、灰色の敷物だ。からりとしており湿気は少ないウェスだが、日中は気温が上がってくる。日除けのために屋根のある露店設備を借りたかったが、そちらは倍の料金がかかるので諦めた。
日が高く昇ってきたら、一度、店は閉じて屋内に避難したほうがいいかもしれない。どちらにせよクナが狙う客層は、朝と夕方以降に現れるのだから。
折りたたまれた敷物を両手に抱えて、クナは北の区画に向かう。宿屋に戻るのではなく、直接、借りた場所に向かうのだ。
何人かの冒険者とすれ違う。東門や西門から、草場や丘に向かうようだ。何を狩るか、どの素材を採集するかと賑やかに話しながら脇をすり抜けていく。
クナは落ち着きなく、背負いかごを揺すり上げる。ロイがこちらをちらちらと見上げる。いつもは軽く声をかけてやるけれど、今のクナにはよく見えていない。
(必要な準備は、ちゃんと、できてるはず)
頭の中で反芻する。どこか勇み足になっている気がする。落ち着け、と言い聞かせるけれど、心臓はなかなか言うことを聞いてくれない。
昨日のうちに雑貨店に寄り、二百ニェカで十本の小瓶を買っていた。ポーションの容れ物として使うためだ。購入したポーションをあとから確かめると、すべて黄色蓋で、クナは自分でもうんざりした気持ちになった。黄色い蓋を見るたびに外れポーションと蔑まれる日々を思い出すというのに、癖というのは身体に染みついているらしい。
街中で火を熾せる場所はないので、宿の調理場を借りた。『アガネ』の亭主にはかなり渋られたのだが、人の居ない時間帯を選ぶと食い下がったところ、渋々だが許可をくれた。クナの必死さが功を奏したというより、ロイが何度も訴えかけるように切なげに鳴いたのが、効いたのかもしれない。
クナは誰もが寝静まった深夜に寝床を抜け出し、調理場の設備を借りて初級ポーションを作った。おかげで睡眠時間が足りていない。
そのせいで心臓の音が、胸を内部から杭で突き破るように、何度も響くのだろうか。
クナはぴたりと立ち止まる。『アガネ』ではない宿所有の物置小屋の前だ。日射しを心配していたが、張り出した屋根が道に影を落としているので、熱中症の心配はなさそうだった。
詳細な地図を見せられ、場所は何度も確認している。ここで間違いないだろう。冒険者組合に近いほうが都合が良かったが、その一帯は貸借料が高くなるので、少し離れた位置を借りた。遠目にいくつか、灰色の敷物や天幕が見えるが、近くに他の出店はない。
(もしかして、立ち寄りにくい場所を選んじゃったかも?)
邪魔な小石を転がして、石畳の上に敷物を敷くと、四隅に荷物や石をおいて飛ばされないようにする。足裏が汚れているロイは、借り物の敷物には腰を下ろさず、小屋の脇に座り込んでいる。
クナは靴を脱ぎ、背負いかごから取り出した十本のポーションを並べていく。その最中だった。
「おい、露店でポーション売ってるぞ」
頭上に大きな影が差していて。
値踏みするような目を感じて、クナはぴくりと震えた。
「……いらっしゃい」
クナの挨拶する声は、小声すぎて聞こえなかったかもしれない。
「買っていくか?」
「いらないだろ。いつもの店で買えばいい」
「そっか、急がないとな。売り切れると困る」
二人の男は立ち止まることもしなかった。
会話する声が、あっという間に遠ざかっていく。
そのあとも、何人もの冒険者が通りかかる。ちらりとポーションを見ては目を逸らされる。
商品の説明をしようとしても、苦笑して首を横に振られる。声をかける気力も、次第に萎んでいった。
そんなことを繰り返す間に――ハァ、とクナは深く息を吐いた。
膝を抱えて、座り込んでしまう。売り子として相応しい態度ではないだろうが、顔が上げられない。
「……売れなかったら、また森に逆戻りだ」
ロイが元気づけるように、クナの細い肘を濡れた鼻で押すけれど、クナは顔を上げられない。
なるべく節約を試みたが、すでに所持金は二百ニェカを切っている。
もし今日、商品がひとつも売れなかったら――と、クナは考えるけれど、実はその可能性のほうがずっと高いことに、ずっと前から気がついている。
分かっていて、認めたくないのだ。
(アコ村でさえ売れなかったポーションが、ウェスで売れるわけがない)
資源に恵まれない最果ての村でさえ、村人たちに外れと呼ばれたポーション。
ウェスの住人や冒険者たちは、もっと目が肥えているだろう。ポーション不足が少し問題になっているからと、出来損ないのポーションを買うような、奇特な人は居ない。
思考は闇の中に吸い込まれるように落ちていくばかりだ。何度目か分からない溜め息を吐いたときだった。
「――おっ! ポーション売ってるのか?」
すぐ近くから、張りのある青年の声が聞こえた。
顔を上げると、金色に近い色をした髪の毛が目に入って――。
太陽を直視したような気になり、クナはまぶしさに目を細めた。
「……いらっしゃい」
なんとか、声を絞り出す。
クナは腰を浮かせると、膝を抱いていた手を動かし、一種類だけの商品を指し示した。
「初級ポーションを売ってます。一本三百ニェカです」
「これ、自分で作ったのか?」
クナはこくりと頷く。そうなのか、と感心したような呟きが返ってくる。
青年は仲間らしい男を二人連れている。それにしても、彼の容姿だけが明らかに浮いている。
陽射しの下で見ると、金色に光るように見える茶色の髪。
見上げるほど高い背丈に、逞しく鍛え上げられた身体。太く凛々しい眉に、通った鼻筋。笑みに緩む薄い唇。
身につける服は特別に高級品というわけではなさそうだが、どんな服もこの男が着れば一級品に化けるだろう。市井に混じることのない、あまりに輝かしい風貌だった。
しかし何よりも印象に残るのは、相手に警戒心を抱かせないまっすぐな瞳だ。
背後に広がる澄み渡る青空と、同じ色をした双眸。人懐っこそうな目は無邪気な輝きを宿している。
背格好からして、クナより年上に違いないのだが、なんだか年端もいかぬ少年に店を覗かれているような気分になる。
(何から何までまぶしい)
直視できず、クナはそぅっと顔を俯けた。
そこではっと目を見開く。青年が履いた革のブーツに、見覚えがあったのだ。
「あ……」
クナは思わず声を上げる。
男の正体が分かった。
(こいつ、森の中で死にかけてた馬鹿だ)
――という言葉を、クナはとっさに喉奥に呑み込んだ。
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