第9話 落し物
梨咲の安置されている部屋の掃除に入った逸子は、大学合格祈願にあげた御守が落ちているのを発見した。拾い上げて中身を確認すると、当時引いた“大吉”のおみくじが入っていたことで、自分が梨咲にあげた御守であることに間違いないと確信した。
「でも…どうして?」
逸子は受付に戻ると鞠江が本館から戻っていた。遺体安置の受付だけでは可哀そうだと、逸子は鞠江の気晴らしに時々本館の手伝いもさせていた。
「あら、戻ってたの?」
「はい、忠哉が営業から帰って来たので。私、やっぱりこっちの方が落ち着く」
「変わってる子ね」
「びっくりされちゃった」
「誰に?」
「誰かしら…ご年配の方が入って来て…」
「どんな人?」
「お会いしたことのない方で、タバコを忘れたとかで…でもポケットに入ってたと言ってお帰りになりました。なんでも、毎回、梨咲さんのご遺体の点検に来てると…」
逸子の顔色が変わった。
「どうかしたんですか !?」
「いえ…多分、朔太郎さんね」
「朔太郎さん !? 」
「夫の兄なの。そうだった、今日は梨咲ちゃんの部屋の点検の日だったわ」
「…そうなんですか」
「朔太郎さんには会ったことがなかったわね」
「はい」
「いつも友引の日に点検に来てもらってるの。火葬場が休みなんで朔太郎さんの経営する葬儀屋も休みなの」
「葬儀屋を経営してらっしゃるんですか?」
「そうなの。別館が出来る前から、梨咲の遺体の管理をしてもらってるの」
「そうだったんですか…」
「あなた、梨咲とそっくりだから驚いたのね」
「…ええ」
「どうかしたの?」
「驚き方が…」
「驚き方 !?」
「私を見て…幽霊でも見たように…」
「それだけそっくりなのよ」
「でも…」
「でも?」
「…赦してくれと…」
「赦してくれと !? 」
「私の聞き間違いかもしれないけど…そう言われたような気が…」
逸子は拾った御守を見て今日のことを思い出していた。今日は一日中、自分が受付をしていた。袴田も来ていない。久し振りに胸騒ぎを覚えた。
「…まさか…そんな…」
今迄見せたことのない逸子のあまりの深刻な表情に、鞠江は掛ける言葉を失っていた。
「徹人は?」
「本館の書斎にいらっしゃると思いますが…」
「分かったわ。時間になったらここを閉めて帰ってもらえる?」
「分かりました」
逸子はあたふたと本館に向かった。鞠江は逸子の心の中で何かとんでもない事が起こってるような気がして胸がざわついた。自分を見た朔太郎の驚きようが尋常ではなかったことも気になった。いくら亡くなった姪の梨咲に似ているとしても、“赦してくれ” と言うのは普通じゃない。やはり聞き間違いだったのだろうか…ふと、横を向くとそこに哀しい表情で梨咲が立っていた…ような気がした。不思議と恐怖心はなかった。“昔、梨咲さんに何があったんだろう” …鞠江の心に梨咲が住み始めたのはその時からだ。
書斎では徹人が逸子とふたり、じっと梨咲の御守を見ていた。
「母さん…このお守り、朔太郎叔父さんが点検に来る日、落ちていた所に戻しておいてくれないか?」
「私も同じことを考えていたわ」
「次の点検はいつ?」
「…次の点検は…5日後が友引ね」
しかし、朔太郎は翌日に来た。早めに出勤した鞠江がフロントに立つと朔太郎がやって来た。
「あら、叔父様、点検は昨日なさったばかりなのに…今日は?」
「忘れ物をしちゃってね。というか、どこを探してもないんで、もしかしたらここかと思ってね。奥の部屋の掃除はまだ?」
「はい、これから社長のお母様がなさる予定ですが…」
「なら良かった。ちょっと入らせてもらうね」
「困ります!」
鞠江は咄嗟に拒絶した。特に理由はないが、許可のない関係者以外の立ち入りは厳しく注意されている。叔父といえども…鞠江は俄かに自信がなくなった。叔父ならいいのかもしれない。それに普段から梨咲の部屋を管理している人だ。
「鞠江さんって言ったっけ?」
「はい」
「私が管理している部屋だっていう事は知ってるよね」
「はい」
「何か問題があるの?」
「・・・」
そこに逸子がやって来た。
「どうしたの、鞠江ちゃん?」
「おはようございます、お母さま」
「この子が入れてくれないんだよ、義姉さん」
「そうなの !? でも、仕方がないでしょ、私がこの子にそう指示しているんだから」
「それもそうだけど…」
「で、どうなさったの?」
「忘れ物したみたいなんだよ、ここじゃないかもしれないけど」
「何を忘れたの?」
「何を !? 」
「お財布でも忘れたの?」
「いや、その…あれだよ」
「何よ?」
「手帳…手帳を忘れて仕事にならないんだよ」
「それは大変! どこに忘れたの?」
「ここだったら、あの部屋しか行かないから、多分あの部屋だよ」
「じゃ、一緒に探してあげるわ」
「いいんだ、ひとりで探すから」
「そう !? なら、そうして。鞠江ちゃん、梨咲ちゃんの部屋の鍵を朔太郎さんに渡してやって?」
「はい」
鞠江が鍵を渡すと朔太郎は急いで奥の部屋に向かった。フロントの奥の事務所のドアが開いて徹人が顔を出した。逸子を見て頷いた。
梨咲の安置室に入った朔太郎はすぐに落ちている御守を見付け、あの日のことが蘇った。
…痛々しい索条痕の梨咲は今正に死出の旅に発とうとしていた。
「梨咲ちゃん!」
朔太郎に抱かれた梨咲はそのまま目を閉じた。
「…梨咲ちゃん…赦してくれ…私には…」
朔太郎はそっと梨咲を床に下し、急いでその場を去った。
朔太郎は目の前に落ちている御守を拾うかどうするか迷った。そして拾った。一応拾ってから受付に向かう事にした。
朔太郎が奥の部屋から出て来た気配に、逸子は事務所に姿を消した。
「忘れ物在りました?」
「ちょっと聞くけど…」
「はい」
「私が部屋に入る前に、誰か入ったかな?」
「今週はどなたも忙しくて行けなかったようですが…すみません」
「そうか、いや、それならいいんだ」
「忘れ物在りました?」
「それが…なかったよ。どっか他で落としたんだろ」
朔太郎はそのまま帰って行った。フロント事務所から徹人と逸子が出て来た。徹人は部屋に御守があるかどうか確認に向かった。
「あの…あれでよかったかしら」
「鞠江さん、ありがとう」
徹人が戻って来て、逸子に首を振った。
「そう…」
ふたりは沈痛な面持ちのまま、また事務所に入って行った。
暫くすると二人が出て来た。
「鞠江ちゃん、一緒に来てくれる?」
「はい」
徹人はフロントに残った。鞠江は逸子の後に続いた。逸子は梨咲の安置されている部屋の前で止まった。
「梨咲に会ってほしいの…いいかしら?」
「…私が入っていいんですか?」
「会ってほしいの」
「はい」
鍵を開けて中に入るとガランとした8畳ほどに空間だった。逸子は操作ボタンを押した。すると壁から棺が乗せられたステンレスの台が出て来た。空調が作動した。棺の蓋は硝子張りだった。そこに梨咲の遺体が眠っていた。
「私は死んだの !? 」
あまりにも自分に似ている遺体に鞠江は混乱した。自分を見た朔太郎の驚きようが尋常ではなかっただけではない。“赦してくれ” と聞こえたのは聞き間違いではなく、哀しい表情で立っていた梨咲も幻覚ではないとしたら…
「…梨咲さんは私に何かを告げようとしているのかしら?」
“梨咲さん…私に何を言いたいの?” と鞠江は心の中で遺体に問うた。
「鞠江さん…梨咲に優しくしてくれてありがとう」
逸子の言葉に鞠江は我に返った。
「これから、梨咲のお友だちになってね」
「はい」
「良かったわね、梨咲ちゃん!」
逸子は胸を詰まらせた。
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