第7話 頼れる汚れ役たち

 逸子の読みは当たっていた。久坂と小松は動いていた。

「おまえ、遅えんだよ」

 徹人が袴田の件を話した時、既に彼らは逸子から事情を聞いて把握していた。

「母が !? 」

「おまえ、警察の温室ですっかり危機感をなくしてんじゃねえのか?」

「死体ばっか扱ってるからそういうことになるんだよ」

「あの男、真っ黒じゃねえか。アスファルトに混ぜて道路に敷き詰めたろか」

「殺るのは容易いんだよ。ただ、やつにはそれ相応の精神的肉体的苦痛を味あわせてやらなければならない。警察にはあいつが廃人になってから引き取らせればいい」

「ま、気持ちは分かるよ。おれらもそのつもりだ」

「で、あの鞠江って姉ちゃん…そんなに梨咲ちゃんに似てんのか?」

「瓜二つだ」

「そりゃ使えるな」

「彼女を危険な目に遭わせてはならない。出来れば危険が迫っていることすら気付かせたくない」

「ハードル高えんだよ…ま、おれらに出来んことはないけどな」

 久坂らは徹人から鞠江の背景を克明に聞いて『禅乃楼』を後にした。


 袴田が梨咲を見たと言って駈け込んで来たあの日から数日も経たないうちに、『禅乃楼』の前で鞠江が出て来るのを張っている袴田が居た。

 鞠江が『禅乃楼』のバイトを終えて出て来た。袴田の表情は陰惨に崩れた。

「徹人のやつ、恍けやがって。やはり退院して来てるじゃねえかよ」

 鞠江が自転車に乗ると、袴田も自転車で後を付けた。人通りが絶えた場所に来ると袴田は自転車で急接近した。追い付く寸でのところで脇から現れた女によって弾き飛ばされた。“ガシャン”という音に鞠江が振り向いた。袴田は起き上がってその女に飛び掛かろうとしたが、女の所持していたスタンガンを浴びて再びその場に倒れて動けなくなった。手早く結束バンドで袴田の手足を拘束し、ズボンを摺り下した。

「・・・!? 」

「鞠江さんね」

「あなたは?」

「この辺、今、痴漢が横行してるのよ。こいつがその常習犯。気を付けてね」

 袴田はだらしない恰好で意識を取り戻したが、再び香奈枝のスタンガンを浴びて気絶した。そのだらしない姿を香奈枝は薄笑いで写真に収めた。

「痴漢の醜態…インスタ映えで炎上しそう」

「あの…」

 女は、鞠江はお礼を言おうとする前に立ち去ってしまった。鞠江はどうしようか迷って携帯を取り出した。その様子を物陰から見ていた久坂と小松が仕方なく出て来た。

「危なかったねえ、お姉ちゃん! このところ、この辺は物騒でね。こいつを捕まえてくれてありがとね」

「私じゃないん…」

「警察へは私たちが…」

「ここの地元の方ですか?」

「ええ、えーと、町内会の…」

「そうでしたか、ではお任せします」

 鞠江は倒れている袴田をそのままに、その場を後にした。

「おまわりに通報されたらやべえよな、こいつは逮捕させられん」

「それにしても姉さん、相変わらずシャープだね」

「今回はオレらの出番はなしだったな」

「こいつ、どうする?」

「そそるな~…」

「無茶苦茶半殺しにしたい衝動に駆られるよな」

「…だけど、徹人に止められてっからな」

「ま、楽しみは後に取っておくという事で」

「でも、ちょっと…」

 久坂は倒れて呻いている袴田の襟首を持ち上げた。

「おい、耳は聞こえるだろ。次、あの子に付き纏って手出ししたら死ぬよ」

 久坂はゆっくり首筋にナイフを滑らした。

「ほらー、血が出ちゃったよ。もう少し力を入れたら首切れちゃうよ。これ、次にあの子に付き纏った時のための印な。ここから切るから」

「分かっとんのか!」

 袴田は恐怖の目を見開いて頷いた。久坂と小松は不本意ながら、結束バンドを解いて去って行った。袴田は遠ざかる二人を見ながら失禁していた。


 その女は『禅乃楼』別館に入って行った。徹人に映像を見せた。スタンガンで伸びている袴田の映像である。

「一足遅かったらこの子を犠牲にしてたな…ありがとう」

 女は久野香奈枝。徹人の妻・佳桜里の妹である。佳桜里が失踪したのを機に警察を辞めた。失踪の原因すら釈然としないまま、警察任せでの無駄な時間が過ぎ、無力の警察をあてにする己の愚かを知った。そんな折、職を辞して姉母子の調査に乗り出したいと徹人に申し出たことで、父の鉄冶郎が甥の牧口常三に手伝わせ、強力資金を出して香奈枝に探偵事務所を起業させた。妻の逸子が、久坂と小松に便宜を払ったのを模するかの如く、本腰を入れて警察と対峙することになった。その最終目的は闇から闇への報復にある。鉄冶郎は初めて妻の逸子と同じ視点に立った。


 袴田は動きを見せなくなった。久坂らの脅しが効いている所為もあろうが、ぼんやりと自分が何者かに狙われている危機感に襲われ、警戒していた。自分を狙っているのは誰なのか…それが宮園家とは思いたくなかったが、これまでの逸子の態度には非常に疑心暗鬼の念があった。逸子は何故自分を嫌っているのか…その理由は若かりし過去にあった。所謂、鉄冶郎とは逸子を奪い合った昔の恋敵…と言っても袴田の一方的な思い込みで、端から逸子には相手にされてはいなかった。鉄冶郎との結婚が決まり、仲間たちと結婚式の前祝いの日、席を離れた逸子に襲い掛かったところを鉄冶郎の弟・朔太郎に見付かり、半殺しの目に遭っている。そのことは、鉄冶郎が亡くなるまで逸子と朔太郎の腹に納めることになった。

 その後、徹人が結婚をし、3歳になった梨咲を残し、妻が行方不明になった。更に成人を迎えた梨咲は、突然に謎の死を遂げた。徹人はこれまで、妻の行方不明から解せない思いで懊悩とした年月を過ごして来た。妻の捜索願を出しても一向に動きがない警察の捜査は監察の仕事をしている徹人には想定内だった。警察は無力であるという事は十分認識していた。妻の行方不明が、もし事件に巻き込まれたものだとしたら、司法手続きによらず、実力を持って侵害されたものの権利回復を納得のいく形で果たす自力救済の道が一番早いと決意していた。そして梨咲の突然の死に、徹人はついに自力救済を実行に移すことにした。


 袴田は身の危険は感じながらも、『禅乃楼』の動きが気になった。そこで旅館業仲間に頼ることにした。その相手は、袴田に多大の借金がある木島旅館の主・木島貞五だ。鉄冶郎の葬儀の折に、袴田と『禅乃楼』の乗っ取りを企てるヒソヒソ話をしていた相手である。その後、木島は前立腺癌の手術で入院し、乗っ取り話は宙に浮いた。その間に、跡継ぎの徹人が思い切った運営転換をして『禅乃楼』の経営を盛り返していた。袴田に残ったのは木島に貸した借金だけだった。遺体預かりの闇営業が摘発されて木島旅館は瀕死の状態にある。袴田は借金帳消しを餌に木島を動かそうとしていた。

 木島は『禅乃楼』の前に立った。うろうろと中を窺っていると男に声を掛けられた。

「何か用?」

 黒田BM社長の黒田浩輔である。

「いえ、あの、ちょっと…」

 黒田はしどろもどろの木島に気付いた。

「なんだ、木島さん!『禅乃楼』に何かご用でも?」

 そこに忠哉が営業から帰って来た。

「どうしました?」

「木島さんがね…あんた、木島さん知ってる?」

「いえ」

「木島旅館の主人ですよ」

「ああ、そうなんですか。『禅乃楼』に勤務してます西園寺と申します。今日は何かご用で?」

「いえ、用というわけでもないんですが…ちょっと通り掛かったもんで」

 その時、忠哉は “おやっ” と思った。この声…聞き覚えがある。そうだ、鉄冶郎の葬儀の時の袴田の相手の声だ。

「そうですか、お寄りになります? 社長も喜ぶと思いますよ」

「今日は先を急ぎますので、また今度ゆっくり」

「そうですか…確か、葬儀の時にお会いしてますよね。袴田さんと親しくお話ししてましたよね」

 “袴田さんと親しくお話しして” の言葉に、木島は激しく動揺した。

「お人違いかと思います。私は仕事の都合で葬儀には伺えませんでした…では、これで」

 木島はそそくさと去って行った。

「間違いない…乗っ取り野郎だ」

「乗っ取り野郎?」

「鉄太郎さまの葬儀の日に、袴田氏と『禅乃楼』乗っ取りの話をしてたんですよ」

「成程…木島旅館は潰れる寸前で、袴田にも結構な借金をしているらしいから、何か言われて使いっ走りにされてるんじゃないか? 徹人さんに報告しといたほうがいいよ」

「ですね」

 そのまま黒田は別館工事後の点検に向かった。


 忠哉が書斎に伺うと久野香奈枝、小松憲、久坂淳也、安藤幸男の頼れる汚れ役の面々が揃っていた。

「あの、私は出直した方が…」

 忠哉は圧倒されてドアを閉めようとした。

「丁度良かった、紹介するいい機会だ」

 徹人は小松、久坂、安藤と順に紹介していった。香奈枝の番になって忠哉は “あっ” と声を漏らした。

「あの…もしかして『牡丹』にいらした…」

「記憶力がいいわね」

「その節はどうも…牧口常三さんという方は…」

「私のボス…というか、私の探偵事務所の社長であり、『牡丹』の店長」

「 『牡丹』の !? 」

「徹人さんの従兄さんね」

「…あ…ああ」

 忠哉には今自分が置かれている状況が良く分からなかったが、少なくとも、徹人という人の違う面を見せられている感じだった。何かが起こっていて、これだけのただならぬ風体の人たちが関わっている。出来れば自分はなるべく関わらないことを願うばかりだった。

「話は何?」

 忠哉は面々の紹介に圧倒され、ここに来た理由を忘れていた。

「ああ…はい…あの…」

 忠哉は面々の居る場での報告に迷った。

「いいんだ、彼らにも聞かせてやってくれ」

「はい…社長のお父様の葬儀の時のことを今まで話せずにいたんですが…偶然、ふたりの『禅乃楼』乗っ取り話を聞いてしまったんです」

 忠哉は一同の目が痛かった。

「あの日は自分が就職の面接に来た日なので、部外者が余計な話をすべきではないと思っていました」

「懺悔か?」

「久坂、黙って聞いてやれ」

「それで?」

 香奈枝が促した。

「その声の主のひとりは分かっていたんですが…」

「誰?」

「袴田康臣さんです」

「確かか?」

「間違いありません。あの枯れた感じの特徴ある声は袴田さんに間違いありませんでした」

「成程…もうひとりの声は?」

「今、『禅乃楼』の前で偶然お会いしたんですが、木島貞五さんという方です」

「木島を知ってるのか?」

「今までお会いしたことはありませんが、清掃に入っていた黒田社長から木島旅館の経営者だと教えていただきました」

「木島か…」

「やつは袴田にかなりの借金がある。有り得る話だ」

「木島さんという方の声に間違いありません!」

「おまえ、耳がいいのか?」

「みんなが聞こえないうちから救急車の音とか、パトカーの音が分かります」

「見張りに向いてるな」

「やめなさいよ、久坂さん」

「木島の野郎、何しに来やがった」

「誰かさんの命令で探りでも入れに来たんだろうよ」

「久坂、寒くねえか?」

 久坂は安藤の言わんとすることを察知した。

「そうだな…徹ちゃん、おれ達、火にあたりに行くわ。あんた、その耳、財産だよ」

 そう言ってふたりは忠哉の肩を叩いて出て行った。


 その夜、木島旅館は全焼した。忠哉の耳にも消防車のサイレンの音がこだましていた。

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