第8話 証拠集め
かつて、徹人のもとに久野秀徳から手紙が届いた。徹人の義父、つまり佳桜里の父からの手紙だった。梨咲の幼い頃に失踪した佳桜里の足跡が過疎地の施設で発見され、既に死亡していたという内容だった。そこにはそれまでの経緯が掛かれていた。
佳桜里は徹人との結婚式の翌日、袴田にレイプされ、妊娠した。徹人は結婚式翌日から仕事の多忙を極め、佳桜里はその事を言い出せぬまま年月が経ってしまった。徹人に内緒で梨咲のDNA検査をすると、徹人の子ではなかったことが判明し、自責の念に駆られた佳桜里は、娘の梨咲が幼稚園登園初日、「探さないで」と書置きを残し、梨咲を置いて失踪した。
失踪から一ヶ月、佳桜里は父のもとを訪れた。父の秀徳は突然訪れてきた佳桜里に驚いた。
「どこに居たんだ、みんな心配してるぞ! 徹人くんは知ってるのか?」
失踪から一か月が経っていた。父のもとを訪れた佳桜里は衰弱していた。徹人に連絡しようとする父に、佳桜里は黙ってくれるよう懇願した。そして、佳桜里はそのまま玄関で気を失った。
回復した佳桜里はそれまでの事を父に話した。袴田に過去を強請られ、金を渡していたが、その後も袴田は執拗に金を要求して来た。佳桜里がその要求を断れなかった理由、そして父にも言えなかったことがある。失踪を決意した日、佳桜里は袴田との間の二人目の児を中絶していた。その事は袴田にも言えなかった。徹人と梨咲との三人の未来が見えなくなった佳桜里は失踪するしかなかった。
佳桜里に打ち明けられた父・秀徳は、自らの手で袴田に報復しようと考えた。しかし、袴田は中々隙を見せなかった。佳桜里は、これ以上、父に迷惑を掛けるわけにはいかないと再び失踪。やっとの思いで父が探し当てた佳桜里は施設だった。自殺未遂の後の衰弱で変わり果てた佳桜里は、父の判別すら出来ない状態だった。やっと正気を取り戻した佳桜里だったが、その場で息を引き取ってしまった。
手紙は、義父の沈痛な謝罪で結ばれていた。徹人はその中に報復のためのいくつかの手掛かりを告げる内容を見逃さなかった。袴田は妻の
久坂ら報復スタッフたちの協力で本格的な調査が始まった。妻の妹の久野香奈枝は、手紙の内容が全て正しいと証明する根拠はないと、妹らしからぬ冷徹さで捉えていた。
「別居中の妻子から埋めていくのが常道だな」
香奈枝ら小松、久坂、安藤はそれぞれ手分けし、調査、尾行、張り込みが始まった。香奈枝は妻の永久子をマークした。最初、袴田の経営するホテル袴田を張ったが、妻の永久子も娘のくぬぎも一向に現れなかった。仕方なく、くぬぎの通う高校も張ったがくぬぎはそこにも現れなかった。地元の民生委員を装って高校を訊ねてみると、数日前に退学したことが分かった。足が途絶えたかに見えたが、小松から連絡が入り、妻の永久子が街外れの量販店でパート勤めをしていることが分かった。夫が街の中心部でホテル袴田を経営しているにも拘らず、街外れでパート勤めとは…違和感を持って香奈枝は量販店で張っている小松と合流した。
「どうして分かったの?」
「たまたまだよ。実家が近いんで度々寄るんだ」
永久子は品出し作業をしていた。香奈枝は久坂に連絡した。
「袴田永久子が見付かった。街外れのスーパー佐久間でパートをしている。そっちはホテル袴田をマークして」
「了解」
香奈枝は買い物客を装って永久子に張り付いた。夕方になって永久子は奥に消えた。間もなく裏に回った小松から連絡が入った。店をはける永久子が出て来たという。裏口を出た永久子は、その場に留まっていると、娘のくぬぎが出て来た。どうやらくぬぎも高校を中退し、母と同じ量販店に通い出したようだった。
久坂から連絡が入った。
「大志田波琉がフロントに立っている…今、袴田が帰って来た」
「ふたりの様子は?」
「大志田波琉が袴田に無愛想な…ていうか、怯えているみたいだ」
「どういうこと !? 」
「愛人にもDVか?」
「有り得るわね…ということは、妻子とも別居してる可能性があるわね。娘も同じ場所で働いてて、ふたりとも仕事がはけて家に帰るようだから、これから小松と付けて住まいを確かめる」
「了解。こっちはこのまま張り込みを続ける」
永久子とくぬぎは香奈枝の予想どおり地域のシェルターに入って行った。
「…やはり、DVから逃げたか」
袴田と大志田波琉は険悪なムードでホテル袴田から出て来た。久坂は彼らの後を追い、安藤はホテル袴田に入って行った。
「いらっしゃいませ」
フロントには西垣安治というネームプレートの男が居た。
「すいません、ちょっと道を尋ねたいんですが…」
西垣は客でないと分かり、あからさまな不快感を示した。ムッとした安藤は西垣をからかった。
「警察のものですが…」
ガラッと態度を変えた西垣に、安藤は凄味のある小声で囁いた。
「実は…あんたを訪ねて来たんだよ、西垣安治さん」
西垣は叩けば誇りが出そうなくらいの小者の慌てようだった。
「ここはいつから勤めてんの?」
「・・・」
「務所出てから?」
図星だった。安藤は西垣が自分と同じ臭いがしたことで “はったり” をかました。袴田は西垣に後を任せ、愛人の大志田波琉とホテルを退出するのが常だった。
袴田らの後を付けた安藤の行き先は大志田波琉の住まいだった。その派手な風貌とは不釣り合いな古びたアパートの2階角部屋の灯りが点いた。安藤はうんざり顔でタバコを出した。
「ちっ…妻子を放っといてお薬パーティかよ、いい気なもんだ」
車のリクライニングを倒して長期戦の構えをしようとした時、部屋から大きな物音がした。いや…ガラス窓が割れた。何があったのかと車を出ようとした時、部屋から袴田が飛び出して来た。車の陰に隠れ、袴田が走り去るのを見送ってから2階の部屋に向かった。僅かに戸が開いている。中を覗くと露わになった両足がだらしなく放り出されていた。
「大志田さ~ん…お荷物で~す」
安藤は囁きながら中に入り、戸を閉めて鍵を掛けた。大志田波琉に異常事態が起こっていることは簡単に想像が付いた。息がない。証拠を残さないように状況写真を納め、暗がりに紛れてその場を去った。
一同は徹人の書斎に集まっていた。テーブルには徹人の義父・久野秀徳の手紙や安藤の手に入れた現場写真が置かれていた。
「安藤、おめえ、おいしいものを手に入れて来たな」
久坂は半ば悔しがった。
「おれ、持ってんだよ」
「はいはい」
安藤の母は少女の頃、家出をして父親に拾われた。そして身籠ったのが安藤だった。安藤は幼いころから父親に折檻されて育った。中学になり、つるんでいたワル仲間から格闘技を教わり、同じ手口で父親を殺した。児童自立支援施設への送致となり、安藤の初めての味方が少年法だった。戸籍がない安藤を逸子が奔走して就籍に漕ぎ付けてくれたのが安藤の立ち直るきっかけになった。どうしようもない自分に親身になってくれた逸子に、安藤は心の中で忠誠を誓っていた。
安藤は潔癖症だった。だらしなくなった波琉の裸体を見て、かつて酔って前後不覚になった母を想起した。殺されている波琉の漏らした排泄物を片付けてやりたい衝動に駆られたが、何もせずにその場を後にしていた。
依頼者の後藤田信和が訪ねて来た。逸子が応対した。
「警察から何か連絡がありましたか?」
「全くありません」
「…そうですか」
「こちらのほうは…」
「後藤田さんに確認したい事があります」
「何でしょう?」
「奥様は何かお仕事なさってました?」
「いや…してなかったと思いますが…ただ…」
「ただ !? 」
「時々、気晴らしで浅草に出掛けていたようです」
「気晴らしに…」
「そのことは警察には?」
「特にそういったことは聞かれなかったので…」
「…そうですか」
「それが何か関係があるんでしょうか?」
「まだ分かりません。分かりませんが、少なくとも奥様は気晴らしで浅草に出掛けていたのではないような…」
「どういうことですか?」
「奥様らしき人を見たという複数の人が、保険の勧誘に来られたと言っているんです」
「保険の勧誘 !? それは妻じゃないと思います」
「そうですか…自宅に名詞か何か…」
「妻のものはひととおり整理したんですが、そういうものは有りませんでした」
「…そうですか」
「奥様の目撃証言を一概に見誤りとは言えませんので、ご主人の仰ることも眼中に入れて引き続き調査したいと思って居ますが、如何ですか?」
後藤田は暫く考えていた。
「私には、『禅乃楼』さんを頼るしかないんです」
力なく堪え、後藤田は去って行った。
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