第16話 “記者”も鳴かずば…
『禅乃楼』にマスコミ記者たちが詰め掛けた。中でも執拗だったのが週刊東朝記者の藤堂薫だった。フロントの鞠江は最初面喰った。いきなり大勢の記者たちが殺到して来たのだ。何があったのかさっぱり分からない。記者たちは口々に、最近働き出した袴田永久子・くぬぎ母子の事を聞いて来た。あの親子が一体どうしたというのだ。しかし、鞠江は弁護士の国家資格の持ち主だけあってすぐにピンと来た。袴田に何かがあったに違いなかった。
フロントに香奈枝が現れた。
「あら、藤堂さんも !? どうしたの !? 何があったの !? 」
藤堂は一瞬怯んだが、質問をたたみ掛けて来た。
「こちらに袴田永久子・くぬぎ母子が居るそうですね。夫の袴田康臣氏がふたりの拉致監禁でこちら『禅乃楼』社長の宮園徹人氏を訴えた件に関してお聞かせください」
「そうなんですか? 知りませんでした。そうした事実はありませんので、お答えのしようがありません」
香奈枝はすぐに電話を取って110通報をした。
「すみません。報道陣が無断で建物内に入って営業妨害に遭っていますので、すぐに来てください…そうですね、私の知っている方は週刊東朝記者の藤堂薫さんだけですね…はい、宜しくお願いします」
自分の名前が出たことで藤堂は抗議して来た。
「なぜ私の名前だけ言うんだ!」
「だって、この中では、あなたしか知らないもの」
鞠江のシャッターでフラッシュが光った。
「皆さん、すぐにお引き取り頂けないと住居侵入罪になります」
「報道の自由です」
「報道の自由を主張する記者さんなら刑法第130条の後段をご存じですよね。“要求を受けたにもかかわらず住居などから退去しなかった者も処罰する” 旨が記載されています。不退去罪といいますよね。刑罰は住居侵入罪と同様に3年以下の懲役または10万円以下の罰金になります。時とお金を無駄になさりたくなければ、ちゃんとアポを取ってからお越し願えますか?」
警察官がふたり駆け付けて来た。報道陣は身のこなし早くフロントから離れ、建物から出て行った。
「藤堂さん!」
香奈枝が呼びとめた。
「西垣安治さんてご存じ?」
藤堂はわずかに狼狽えた。
「知りませんよ」
「そう…そうなの」
香奈枝にはその名を出す根拠があった。西垣と藤堂の繋がりは、かつて香奈枝がまだ警察に勤務していた頃に知った。香奈枝が交通課から捜査2課に転属されて間もない頃、西垣と藤堂が詐欺罪で挙げられて来た。藤堂が一瞬怯んだのは、まさかの香奈枝に会ったからだ。香奈枝の血が騒いだ。袴田がまた動き出しているに違いない。ゴミどもの排除に備えて陰に控えていた小松と久坂は、本来の香奈枝に息を吹き返したことに安心した。
「俺らの出番だな」
小松と久坂はそう言って『禅乃楼』を出て行った。
「鞠江ちゃんのお陰で助かったわ。流石弁護士ね」
「まだ、就職前ですけどね」
「弁護士事務所は何処に決まったの?」
「もうちょっと勉強したい事があってね」
「アルバイトでここの顧問弁護士になったら?」
「その前に日弁連か各地の弁護士会の審査を受けて登録してないと弁護士活動は出来ないのよ」
「面倒臭いのね」
鞠江は思わず笑った。香奈枝が自分を取り戻してくれたという実感が湧いて嬉しかった。あの忌まわしい夢は何だったのだろう…予知夢が外れたのは初めてだった。
フロントに取材依頼の電話が入った。
「東朝新報・記者の藤堂薫氏からの取材アポです。断りますか?」
「いや、受けて…いつ」
「これからだそうです」
香奈枝は電話を替わった。
「久野です。お待ちしてます」
香奈枝は電話を切って微笑んだ。
「香奈枝さん?」
「この男…警察時代に真っ黒なのに検挙できなかったのよ、嫌な力が働いてね。江戸の仇を打つチャンスだわ」
香奈枝はこの電話を待っていたようだ。
「また鞠江ちゃんの出番かもよ」
香奈枝はここ数日で調べ上げた小松と久坂の調査書を差し出した。
「これ、しっかり読んでおいて」
調査書には藤堂の詳細が記されていた。鞠江は小松と久坂の調査力をまざまざと見せ付けられた思いだった。自分が弁護士として一人前になるためには、こうした力が必要になる。香奈枝の積年の悔しさを晴らす舞台は整っていた。
少しすると藤堂がやって来た。
「取材をよく引き受けてくれましたね。感謝しますよ。他の記者たちは?」
「藤堂さんだけですよ」
「そうですか、それは益々有難い」
「取材の前に、これをご一読願います」
「取材の資料ですか? 準備がいいですね」
調査書を読み進むうち、藤堂の表情が青くなった。
「内容に齟齬があればご指摘ください」
「どういうことですか、これは!」
藤堂は怒りと不安で表情がきつくなった。
「どういうことって、そういうことです。どうです? 齟齬がありますか?」
「・・・」
「ないようですね」
香奈枝は立ち上がり、パソコンのエンタキーを押した。
「今、報道各社に送りました」
「なんだと !? 」
調査書の内容には藤堂の裏の顔が克明に記されていた。香奈枝は鞠江に目で支持した。
「藤堂さんは児童福祉法違反になります。10年以下の懲役若しく300万円以下の罰金、又はこれに併科する条例違反で懲役2年、罰金100万円。刑法の強姦罪も該当しますので3年以上の有期懲役。それに刑法の強制猥褻罪にもなりますので6月以上10年以下の懲役が考えられます」
「こんなことをして、ただで…」
「その言葉は脅迫に成り得ます」
そこに刑事の戸田と仁科がやって来た。
「藤堂さん、ちょっと署までご同行願えるかな?」
藤堂の高飛車な空気がしぼんだ。香奈枝は調査書を差し出した。
「戸田さん、これもご参考に」
調査書には藤堂のこと以外に、西垣安治の麻薬ルートが記されていた。その延長戦に居る浅草の格安宿泊所「草乃」の経営者である覚醒剤密売人の大元、田原元についても記されていた。
「香奈枝さん、恐れ入ったよ」
戸田なりの精一杯の称賛だった。藤堂が連行されて『禅乃楼』を出るとマスコミ記者が待ち構えていた。
翌日、週刊誌の紙面は『 “記者”も鳴かずば撃たれまい』のタイトルが躍り、東朝新報・藤堂薫記者のスキャンダルが大々的に報道され、ネット上では時の流行語になった。
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