第17話 誠心誠意

 『禅乃楼』のフロントに往年の逸子を彷彿とさせる老婆が現れた。鞠江は本能的に違和感を持った。しかし、老婆の物腰は柔らかく、人に警戒感を持たれるような素振りなどない。

「いらっしゃいませ」

「藤堂ひな子と申します。息子が大変お世話になりました」

「藤堂さまと申しますと…」

「はい、藤堂薫の母でございます」

「そうでしたか。藤堂薫さまはお元気ですか?」

「勾留中に自らの命を絶ちました」

 その情報は『禅乃楼』に行き渡っていたが、徹人は箝口令を布いていた。その人物の母親が現れたのである。徹人の指示どおり、鞠江は初耳を装った。

「藤堂薫さまがお亡くなりになったのですか !? 」

 香奈枝が出て来た。

「あなた様は、もしや…」

「はい、久野香奈枝でございます」

「その節は大変ご迷惑をお掛け致しました。今はこちらで?」

「はい、末席から他人様をお送りするお仕事をさせて頂いております」

「こちらの『禅乃楼』さまに一廉ならぬお世話になったのは、きっとあなたさまがいらっしゃったかお陰ですね」

「そんなことはありません。そもそも『禅乃楼』の方針が、どなた様にも誠心誠意尽くさせて頂くということですので、私のお陰などとはお考えにならないでください」

「息子が言っておりました…と言っても、遺言に記されてあったことですがね。そのためにご相談にお伺いしたのです」

「そうでしたか…遺言にですね。どういったご相談でしょうか?」

「自分の死後は、『禅乃楼』で送ってほしいと…」

「ご葬儀をここで…」

「葬儀は致しません。母一人子一人ですから、通夜の後、荼毘に付したいと思っております」

「ご遺体は今、どちらに?」

「警察に引取りに行かなければなりません。どうでしょう…お願い出来ますでしょうか?」

「勿論です。誠心誠意ご希望に沿わせて頂きたいと思います。宜しければ、ご遺体の搬送もお受けしますが?」

「お願いします。では早速、明日にでもお願い出来ますでしょうか?」

「分かりました。すぐに手配致します」

 ひな子は深々と頭を下げて去って行った。


 翌日、ひな子は搬送される息子の遺体と共に『禅乃楼』にやって来た。

「ただ今から、お通夜の準備を致しますので、こちらでほんの少しお待ちいただけますか? お通夜の間、貴重品以外の藤堂さまのお手荷物をお預かりしても宜しいでしょうか?」

 ひな子の表情がきつくなった。鞠江はあくまでも平身低頭な態度を貫いた。

「決まりで申し訳ありません。24時間ご利用の場合、お手荷物の検査とお預かりをお願いしておりまして…」

 徹人が出て来て鞠江を制した。

「藤堂さまはお荷物を持ったまま安置室にお入りになりたいようですから、構いませんよ、鞠江さん」

「お荷物検査は?」

「藤堂ひな子さまですから、その必要はありません。藤堂さま、失礼しました。そのままで結構ですから」

 ひな子の表情は穏やかになった。鞠江はまた違和感を懐いた。しかし、徹人に制された以上、『禅乃楼』の決まりを押し通す理由もない。通夜の準備を終えた香奈枝が現れた。

「社長、お支度が整いました」

「そうか」

 徹人は香奈枝と共に、藤堂薫の遺体の待つ安置室にひな子を案内して行った。

「では、明日の10時までお使いいただけますので、息子さんとゆっくりお過ごしください。24時間体制で控えておりますので、ご用があれば、何時でもお呼びください。」

 ふたりはその場を辞した。


 一人残ったひな子は、物言わぬ息子を無表情で見つめて呟いた。

「薫…これでいいんだね」

 徐に手荷物からペットボトルを出した。

「私が育て方を間違えたのか、あなたが育ち方を間違えたのか…悪さをするのは赦されないことだけど、それを杓子定規に咎められると、母さんはやっぱり腹が立つよ。出来の悪い息子でも、自分の腹を痛めた息子なんだ。あなたが憎い…けど、それ以上にあなたを咎める者が憎い」

 ひな子はペットボトルの蓋を開けた。室内にガソリンの臭いが広がった。

「これからおまえの遺言どおりにやるからね」

 ひな子はペットボトルのガソリンを部屋の壁伝いに撒いて行った。空になると手荷物から別のペットボトルを出して、部屋は万遍無くガソリンが撒かれた。

「遺言では、火を付けたら何気ない素振りで帰れとあったけど…母さんは、あなたが死んでくれたんで、もうゆっくりさせてもらうよ」

 ひな子はライターを擦った。揮発したガソリンが火の勢いを早め、安置室は見る見る炎が広がった。ひな子は部屋を出る気はなかったものの、火の勢いとあまりの熱さに耐えかねてドアに駆け寄った。

「…! 開かない!」

 ひな子は燃え盛る炎を背にドアを叩いた。安置室の構造は頑強に作られていた。一旦火災が起こると自動制御が働いて、遺体は壁に収納されて行く。遺体を汚さないために完全に酸素がなくなるまでスプリンクラーは作動しない。他客へ影響を配慮して、火災と同時に室内は密封状態になり、ドアを叩いても外には響かない構造になっている。避難方法はただ一つ、遺体が収納される前に、台の下の非難スペースに入ることが利用者に配る説明書に記載されていた。

 ひな子は炎と酸欠で七転八倒し、息子の安置室で命を落とした。忠哉が営業から帰ると同時に非常ベルが鳴った。ほどなくセキュリティが駆け付けて来て、藤堂薫の安置室の惨状が明らかになった。


 消防と警察の現場検証が行われた。息子の元で死にたかった老母による覚悟の焼死自殺と断定され、『禅乃楼』の非は問われなかった。

「被害届を出しますか?」

「被害届を出したところで、誰が賠償してくれるんですか?」

仁科刑事の形ばかりの質問に、徹人はうんざり答えた。

「それもそうですが…」

「ご遺体の検視が終わったら『禅乃楼』で善処します」

「…報われませんね」

「結果的にどうあれ、当方で請け負ったお客さまですから、最後まで誠心誠意努めさせていただきます」

 仁科の耳には徹人の言葉が深く刺さった。

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