第18話 墓穴

 小松と久坂が、また西垣の新情報を手に入れて来た。

「西垣の野郎、いつの間にか釈放されて、ちゃっかりホテル袴田で経営者顔して居座ってるよ」

「どう見ても客とは思えねえような風体の野郎たちが出入りしているのが気に喰わねえ」

「そいつら、客か?」

「内藤と牧口さんが洗ってる」

「マスターが何で?」

「近頃、ガラの悪いやつらが店に出入りし始めてから、一般客が来なくなって死活問題らしい」

「袴田が店に出入りするようになって以来、西垣もちょくちょく『牡丹』を利用するようになって、金魚の糞が付いて来たんだろ」

「…成程。そのガラの悪いやつらというのがホテル袴田に出入りしている連中ということか」

「そういうこと」

「マスターはまだ何も言って来てないな」

「連中が現れてから、一週間も経ってねえからな」

「…そうか」

 翌日、忠哉が牧口からの情報を持って来た。

「…日吉寿雄 !? 」

「社長はご存じでしたか !? 」

「日吉組の坊々ぼんぼんだよ」

 日吉組とは暴対法で解散するまで、この地域を仕切っていたヤクザだ。久坂や小松らがかつて組員だった暴力団だ。解散とはいっても地下に潜っただけで、その分、取締りが難しくなったに過ぎない。組長の息子の日吉寿雄は半グレ組織の頭に持ち上げられて幅を利かせるようになって久しい。小松と久坂が組を抜けた後、敵対して来た因縁の組織でもある。彼らは西垣に取り入ってホテル袴田の乗っ取りを企てていた。治まっていた久坂の怒りが再燃した。

「あのクソガキ、やっぱり目障りだ。殺るしかねえな」

「お料理の段取りは?」

「袴田の奥さんの離婚が成立して、ホテル袴田の名義が奥さんになった」

「…ということは?」

「取り敢えず最初は奥さんが経営する形を取るつもりだろう」

「…成程…すると奥さんが狙われるということか?」

 しかし、妻の永久子は、徹人にホテル袴田を買収して欲しいと言って来ていた。徹人は資金提供や共同経営の話などを提案して自立を促したが、永久子は頑なに断った。共同経営の策は、日吉寿雄の干渉から永久子を逃れさせる徹人なりの思い遣りでもあったが、永久子は袴田との関わりあるものは一切断ち切りたいとホテル袴田への一切の関わりを断った。

 元々、徹人にはもう一つの構想があった。『禅乃楼』別館での単なる遺体保管の領域からはみ出さざるを得ない事態に迫られていた。核家族化での「孤独死」や「孤立死」の悲惨さは貧富を問わない。遺体安置で来る客の半数以上から事後の遺品や清掃処理の相談を受けるようになって久しい。故人の家財道具一式を片付ける「遺産整理」、自殺、殺人、孤独死などで汚れて異臭を放った凄惨な部屋の清掃を「特殊清掃」というが、そうした需要も増加し、火葬同様、需要と供給のバランスを失っている現状があった。

 徹人が永久子に持ち掛けたのは、ホテル袴田をそうした需要に応え得る改築案だった。遺体安置と特殊清掃を受け入れられる運営は将来性がある。しかし、永久子の意思は固かった。


 ホテル袴田の売買契約は速やかに済んだ。徹人は居座る西垣に立ち退きを要求したが一向に応じる気配を示さなかった。それは徹人にとっては想定内の事だったが、西垣は徹人が遺体旅館に改築することを読んで、周辺住民を煽る作戦に出て来た。周辺住民の先頭に立ち、改築反対を訴えて説明会を要求して来た。

「人の死というものは極めて厳粛なものです。それを金儲けにする施設がこの土地に建設されるなど納得がいきません!」

 近隣住民の反対運動は強硬な勢いだった。徹人は穏やかに話し始めた。

「可笑しな話ですね。皆さんはご存じなかったですか? これまでこの旅館は覚醒剤売買の巣窟だったんですよ」

 住民たちがざわ付いた。

「皆さんが誰一人抗議なさらなかったのは、ホテル袴田がそうした異常事態だという事をご存じなかったからだかもしれませんが、この施設が心機一転、皆さんの誰もが一度は通る人生の終末であるご遺体の安置に寄与する場となることに対しては、皆さんが挙って抗議なさるというのは、私どもには甚だ理解に苦しみます」

 西垣は、徹人が “覚醒剤” に触れて来るとは思って居なかった。徹人の事である。恐らく大体の情報は握られているに違いない。反論すればそれをこの場で曝すつもりだろう。西垣は目を逸らして黙る以外になかった。西垣の隣に居る男が怒鳴り出した。

「尤もらしいことを言って体裁を作ろうとしても我々は誤魔化されませんよ! 住民の気持ちは考えたことがあるのかね! こういう施設が近所に存在すること自体、正直みんなは薄気味悪いんだよ!」

「あなたさまはどちらにお住まいですか? このご近隣ではお見掛けしないお顔ですよね」

「そんなこと、言えるわけがないでしょ! あとで脅迫にでも来られたら敵いませんからね!」

「こういった反対運動のために、お金で雇われる人たちが居るそうですが、あなたさまは違いますよね」

「何を言ってるんだ、君は!」

「すみません。ここはご近隣住民の皆様方に対する説明会の場です。会場入口にも表示してありますが、必要ある時はご近隣の住民の方かどうか確認させていただくことになっております。免許証のような身分を証明するものを拝見させていただいても宜しいですか?」

 会場に立っていた久坂と安藤が慇懃無礼にその男の前に立ちはだかった。

「私を脅すのかね、不愉快だ! 帰る! 話しにならん!」

「穏やかに済ませましょうよ。身分証を拝見するだけですから…」

 話を断ち切って男が立ち上がると、続いて隣の2人も立ち上がって説明会場を出て行った。久坂は男たちの背に叫んだ。

「旦那さんたちはお金で雇われて反対運動をなさってる人たちですか!」

「うるさい!」

 三人の男らが立ち去った会場はざわめいていた。徹人は構わずたたみ掛けた。

「この中に、今退場なさった方々を見掛けたことがある方がいらっしゃいましたら、お手を挙げていただけますか?」

 静まった会場の住民の中に手を挙げる者はいなかった。

「西垣さん、あなたならご存知ですよね、あの方々がどういう方々か」

 西垣は黙ったままだった。久坂が近隣住民に説明した。

「私どもにはあの方々に付いての情報があります」

 そう言って三人の男の顔写真付きの説明書を住民に翳した。

「あの方々は近隣住民の方々ではなく、西垣さんが個人的に雇った運動員です。お名前も把握しています。林博文さん、西秀英さん、王天佑さんです。西垣さん、あの方々はあなたとどういうご関係ですか? ご自分で言いたくなければ、こちらから説明しましょうか?」

 徹人が久坂を制した。

「それは後でもいいでしょう。どうせ今日明日中にホテル袴田には警察の家宅捜索が入りますから」

 徹人の言葉に西垣は顔色を変えた。会場が再びざわつき始めた。徹人は構わず話を続けた。

「遺体旅館が薄気味悪いというご意見ですが、新たな施設は、最新の設備を備え、極めて衛生的でもあります。将来皆さんのご縁戚がご利用なさることになるかもしれないんです」

 自治会長の添田長寿が遠慮がちに手を挙げた。香奈枝が優しく促した。

「…身内ならまだ我慢できますが…気持ちとして、他人は…」

 正体不明の三人が退場してから、近隣住民の抗議のトーンが落ちた。

「お気持ちは分かります。しかし、お互い様なのではありませんか? こういう施設が少なくて、ご遺体が盥回しにされている現状を皆さんはご存じですか? 皆さんのご縁戚のご遺体には、そういうことになってほしくはないんじゃありませんか?」

会場が静かになった。

「この施設は単にご他界された方を安置するだけに留まりません。不幸にも突然予期せぬ死に…例えば自殺、事故、大災害などに見舞われてしまった場合、ご遺族にとってお心の整理を付け、きちんと事実を受け入れるために、敢えてこういう施設をご利用なさって時間を置かれる方もおられます」

 徹人の正論に近隣住民の効果的な反論のないまま、説明会は滞った。徹人も住民の心情的な抵抗感は充分に理解出来ていた。そして『禅乃楼』の経営転換のきっかけとなった西園寺忠哉との事を切り出した。

「私が代々続いた旅館経営から、ご遺体をお預かりする施設運営に切り替えたのには、きっかけになった人がいます。それが彼です」

 徹人は忠哉を促した。

「西園寺忠哉と申します。今、私は宮園社長の元で働いています。大学生の頃、父の遺体を預かってもらえるところがないまま、途方に暮れていました。気が付くと、かつて父から聞かされていた『禅乃楼』の前に立っていました。そこで宮園社長と初めて…」

 忠哉の話は住民の誰もが将来の自分たちを想起させるに充分だった。徹人は今後の工事計画を説明し、近隣住民の一様の理解を得るに至った。


 ホテル袴田から撤退した西垣らは苦虫を咬んで『牡丹』に屯していた。

「五日後に解体が始まるらしい」

「解体 !? 改築じゃないのか !? 」

「解体するなら明日にでもブツを移動しねえと!」

「明日は駄目だ」

「何でだよ !? 」

「ガサ入れがある」

「やつらの話など当てになるか!」

「鼻薬の効かせてある仲間に確認したんだよ」

「ガサ入れか…やべえな」

「地下室の床下の土の中…」

「黙れ!」

 西垣が慌てて林の言葉を止めた。

「余計なことを口に出すんじゃね」

「…すまん」

「明後日だ、解体前の明後日の深夜に忍び込もう。ガサ入れで見つかってなけりゃいいがな」

 運良くガサ入れでブツが見付からなかったという情報に西垣たちはホッとした。翌深夜、満を持してホテル袴田の地下に忍び込んだ一同は必死に床下の土を掘り進めたが一向に手応えのない一同は怯み始めた。床下2Mほどのところまで来て泥だらけになった西秀英は作業の手を止めた。

「ほんとにここに埋まっているのか !? 」

「袴田がここに隠したと言ったんだ、間違いない!」

「2Mも掘ったんだぞ。もう出て来てもいいんじゃないのか !? 」

「ガタガタ言ってねえで手を動かせ、朝になるぞ!」

 一同は仕方なく作業を再開した。


 夜が白々と明ける頃、地上では久坂がほくそ笑んでいた。

「墓穴を掘って成仏しろよ」

 西垣らが穴掘りで夢中になっている間に、ホテル袴田周辺はすっかり防護壁に包まれて、その瞬間を待っていた。

 東の空が白々として来た。久坂は発破技士の支倉宗孝に合図した。支倉は手元のスイッチを押した。鈍い爆破音が立ち、防護壁に覆われた仕切り内で埃を上げながらホテル袴田が崩れ落ちて行った。一瞬の出来事だったが、日の出前一瞬の衝撃は近隣住民のストレスを最小限にするためのものだった。小規模の微震ぐらいにしか感じず、再び眠りに就くはずである。

 しかし、土中にいる西垣たちはそうではなかった。

「何だ、地震か !? 」

 四人の動きが止まった。

「もう工事が始まったのか !? 」

「…そんな音はしてねえ」

「今何時だ?」

「4時半過ぎだ」

「やはり、地震だったのか !? 」

「だいたい、解体工事は明日からだろ !? 」

「林、ちょっと見て来い!」

 林博文が暗闇の中を携帯の灯りを頼りに出入口に戻った。暫くして叫び声が聞こえた。

「나올수없다 !! 埋まった !! 」

「なんだと !? 」

 無残に瓦礫で埋まった出入口が携帯の灯りで照らされ、掘り進んだ僅かな空間の暗闇の中で鮨詰め状態になった事を自覚せざるを得なくなった。

「いつ出られるんだ !? 」

「解体した瓦礫が片付くまでは出られんだろ」

「叫んで助けを呼ぶしかないだろ」

「バカかお前は。俺たちは何でここに居るんだ?」

「だけどこのままじゃ死ぬだろ!」

 4人は凍り付いた。


 久坂らは朝日を浴びていた。

「ほんとに片付け作業は2週間後からでいいんですか?」

 BMの黒田社長が久坂に再確認していた。

「ええ、急遽そうなった。あまり工事を急いで進めると、近隣の住民を刺激してしまう。工事はゆっくりやるようにとの社長の指示なんだ」

「…確かにね。分かりました。では2週間後に工事再開という事で」

「それから “雨天中止” で…作業代はお支払するそうですので」

「ま、そのほうがこちらも助かります」

 黒田らは工事車両を現場内に搬入し解散して行った。


 暗闇の土中は冷えた。

「三日もすりゃあ地震で崩れた瓦礫は大体片付くだろ。隙を見て夜中に抜け出すしかない」

「三日もすりゃあって、水もねえんだぞ」

「ションベンでも飲んでろ」

 西垣らは地震による崩壊だと思って居たため、近隣住民を気遣って瓦礫の撤去作業は早期に終えるだろうと考えたが、林博文は人為的解体を疑い、作業の遅れを予想して黙々と出入口の瓦礫を退けようと奮闘していた。

「やめとけ、体力を無駄に消耗すんじゃねえ」

 西垣の忠告を無視して作業を続けていたその時、勢い瓦礫が掘り進んだ土中に崩れ落ちて来た。林は瓦礫の下敷きになり、間もなく息絶えた。

「林…大丈夫か? …林! 林! おい、返事しろ!」

「どうなってんだ! 灯りは!」

「全員バッテリー切れ」

「クソッ!」

 互いに脱出方法を考えるも、思い付くわけもなく、闇の時間だけが過ぎて行った。

「…息が苦しくねえか」

「この土、凍ってねえか?」

「助けを求めるしかねえだろ!」

「…好きにしろ。オレは逮捕だけで済むが、在留資格のないおまえら全員強制送還だぞ」

「じゃ、脱出する方法を考えろ!」

「だから、工事の再開を待てって言ってんだろ!」

「狭いとこで怒鳴るなよ。耳元で充分聞こえてるよ」

「工事はいつ再開するんだ?」

「さあな…今日の午後か、明日か明後日だろ。他にいい案があるなら聞くぞ。脱出までの時間はたっぷりありそうだからな」

 西と王は黙った。

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