第19話 火種
純喫茶『牡丹』には、ガラの悪い連中がぱったり来なくなった。たまに店の入口から日吉寿雄が中を覗くこともあったが、西垣らが居ないことを確認すると、すぐに帰って行った。2週間もすると店は元の客相に戻った。今日も忠哉と鞠江がマスターの牧口から情報を受け取りがてら、店での朝食を採っていた。
「気になることがあるのよ」
「…気になること?」
「日吉組の御曹司・日吉寿雄のことなんだけど…」
「西垣と関係があること?」
「西垣との関係だけだったら大したことはないんだけど、小松さんや久坂さんとの因縁があることよ」
「ふたりは元日吉組の組員だったんだよね」
「そうなんだけど、問題は組解散後に出来た半グレ組織よ」
「日吉寿雄が台頭していることで?」
「日吉寿雄は単なる名目上のリーダーで、実際は柳井一二三という男が実権を握っている。この間、偶然街で見掛けたのよ」
「その柳井って人をかい?」
「日吉寿雄が柳井にこずかれてぺこぺこしてた」
「鞠江は、柳井一二三を何で知っているの !? 」
「この間、『禅乃楼』本館の宿泊客で来たのよ。本名かどうかは分からないけど、そこでは柳井一二三と名乗っていた」
「何かの下見?」
「一人で来たから、柳井本人だったらその可能性はあるかもね」
「社長は何か知ってるのかな?」
「どうなんだろう?」
「一応、社長に報告したほうがいいのかな?」
「でも、もう少し詳しい情報がないと報告しづらいよね」
「柳井一二三って元日吉組?」
「それが組員の名簿にはないのよ。正体不明の流れ者って感じね。あちこち調べてるけど、まだ素性が分からないのよ」
「物語でよくいう一宿一飯の流れ者ってやつ?」
「かもね」
「不気味だな…小松さんとか久坂さんも知らないのかな?」
「それも聞きづらいよね」
「…予知夢とかは見ない?」
「そんなにしょっちゅう見るわけじゃないから」
「だよね」
ふたりは溜息を吐いてコーヒーを啜るのに専念した。忠哉がポツリと呟いた。
「このところ『禅乃楼』の目指している先に恐ろしさを感じる時がある」
「ターちゃんも !? 」
「鞠江も !? 」
「でも、私はそれが小気味いいの。可笑しいかな?」
「いや、僕もその傾向にある。社長は善人には手を差し伸べるし、努力している弱者に限っても手を差し伸べるよね。でも、悪しき原因の源には極端に冷酷なんだよ」
「そうそう、悪人の崩壊には拍車を掛けようとする。火に油を注ぐって言うの?…正義の暴力って感じよね。私はそれも小気味いい…ていうか、小気味よくなった」
「前に、命の価値には個人差があって、人によっては抹殺すべき命があると明言していたこともある。今から思えば、あれは袴田氏のことだったかもね」
「身内が被害を受けたら、私もきっと、あらゆる手を駆使して復讐するかも。社長の考え方に同調する。弁護士としては失格かな」
「長く生きてるから人格に価値があるとは限らないし、盲目的に年長者を敬うのは耳触りを売りにする偽善者のすることだとも言ってた。あれはきっと、嘘の手紙を送ってよこした奥さんの父上の事だったかも」
「そう言えば、私がバイトを初めた頃、社内で意見が割れた時、折衷案は誰の満足も得られないし、経営に多数決は採用しないと言って、その事案に賛成した人だけが取り組む方式を採ったことがあった。だから誰からも文句は出なかったし、事案に取り組んだ人たちは結果を出そうとして必死に努力して成功に漕ぎ付けたことがあったわ」
「社長はいつも、八方美人は無能な卑怯者の処世術だと言って、何事にも媚びないし、相手にも媚びる隙を与えないよね」
「若い頃は結構なやんちゃをしてたってほんと?」
「らしい。その時の最高の理解者が大奥様の逸子さんだったそうだよ。そして、その時期のお仲間も大奥様には大変お世話になっていた。だから、今になっても彼らは社長を懸命に補佐している」
「社長って、いつまで経ってもどこか近付き難い人だよね」
「そう言えば、奥さんとお嬢さんの件はどうなったのかしらね」
「ホテル袴田が解体されたことで一応のけじめにはなったんだろうか?」
その時、店のドアチャイムが鳴った。しかし、誰も入って来なかった。カウンターでマスターの牧口が入口をじっと見据えていた。窓の外を見ると、白いBMWが去って行った。鞠江は後部座席に柳井一二三を確認した。
「柳井が乗ってる」
「入口のチャイムを鳴らしたのは…」
「日吉寿雄だ」
いつの間にかマスターの牧口が忠哉たちの席に来ていた。
「このことを急いで社長に伝えてくれ。あいつら西垣たちを探している」
鞠江の懸念が現実となって首を擡げて来た。鞠江は久し振りに強い胸騒ぎを覚えた。
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