第21話 “ばっけ”の女将

 宮園朔太郎が過労で倒れた。優しい朔太郎は梨咲と香奈枝の事で食事が喉も通らなくなるほどずっと気に病んでいた。入院を余儀なくされて、この機会に全身の精密検査もすることになった。

 叔父の一大事とあり、以前から葬儀屋の手伝いをしていた牧口常三が退院までの間は朔太郎に代わって火葬場の切り盛りをすることになったため、『牡丹』のマスターには急遽、小松憲に白羽の矢が立った。

「何でオレ !? 」

「おめえ、看護師の資格あんだろ。だから、推薦しといた」

「ちょっと待てよ、久坂。『牡丹』のマスターと看護師の資格とどういう関係があんだよ!」

「気配りって言うか…なっ、そういうのだよ」

「 “なっ” てな!」

「カウンターでボーっとしてりゃいいんだからよ」

「オレ、何も作れねえよ」

「だったら丁度“品切れ”だって言えばいいだろ」

「全部品切れになるぞ」

「コーヒーぐらい淹れられんだろ」

「インスタント飲みに『牡丹』まで来る客がある分けねえだろ」

「ほら、今は美味しいコーヒーが市販でもあるだろ。それ飲まして誤魔化せ」

「無理、無理、無理!」

「兎に角、みんなの期待を一身に集めてんだからさ」

「誰も期待してねえよ、オレなんかに!」

「そんなことはねえぞ。おまえ、注射上手いだろ」

「茶店のマスターに注射の技術なんか必要ねえだろ」

「薬やりたいって来る客があるかもしれねえぞ」

「ねえよ!」

「頼むよ、無理ならオレが代わるから」

「本当だな!」

「オレがおまえに嘘を吐いたことがあるか !? 」

「殆ど嘘吐いてんだろ!」

「まあ、そう言わねえで、一日だけでもいいからさ」

「じゃ、一日だけだぞ。あとはおまえが代われ」

「了解!」

 小松憲が『牡丹』のマスター代行を務めることになった。一日目は鞠江が手伝いに来てくれたお蔭で何とか無事に済んだ。翌日、小松は久坂が来るのを待ったが、昼過ぎになっても一向に現れなかった。

「あのやろう…」

 その時、ドアチャイムが鳴った。

「てめえ、遅い…いらっしゃいませ…」

 久坂ではなく、派手目の性別不明の老人が元気に入って来た。

「どうも!」

「…どうも」

「…えーと、ひとりなんだけど、あそこの窓際のテーブル席でもいいかしら?」

 派手目な性別不明の老人は、愛想よく席を差した。

「ええ、お好きなところへ…」

 と言ったものの、今日は鞠江がいない。何も注文して欲しくないなと客を見ると、しっかり手を挙げていた。久坂は仕方なく派手目の性別不明の老人におずおずと近付いて行った。

「取り敢えず、コーヒーをいただけるかしら?」

「コーヒーですか…」

「ええ、今日のおすすめは何かしら?」

「おすすめは、特にすすめていません」

「えっ !? 」

「え…」

「じゃ、普通のコーヒーで」

「えーとですね…普通のコーヒーは品切れ…」

「品切れ !? 」

「はい、すみません」

「普通のコーヒーが品切れとなると、普通以外のおすすめは?」

「普通以外は…品切れで…」

「コーヒーが品切れ…今日は忙しかったのね。そしたら、紅茶にしようかしら」

「それがですね、紅茶も品切れ的な感じで…」

「品切れ的な感じ !? 」

「品切れ…です」

「嘘 !? やだわー…コーヒーも紅茶も品切れって珍しいわよね」

「珍しいですね」

「じゃ、ちょっと待ってね。取り敢えず、お水もらえる。お水は品切れじゃないわよね」

「お水は大丈夫です」

「あら、良かったわ。じゃ、その間に注文するのを考えとくわ」

「はい…あの…」

「注文しないでゆっくりなさっても構いませんけど…」

「それじゃ商売にならないでしょ?」

「今日は注文しなくても寛げる特別デーということで…」

「少しお腹も空いてるし、何か注文するわ」

「…そうですか…ではお水持って来ますね」

 ガッカリしてカウンターに戻る小松の額には汗が滲んでいた。再びドアチャイムが鳴った。

「久坂、遅いじゃ…いらっしゃいま…なんだ、香奈枝さんか」

「何だはないでしょ、香奈枝さまのお出ましよ。どう? 頑張ってる?」

「無理に決まってるでしょ!」

「あら、ミキさん、お久しぶり!」

「やっぱり会えた!」

「どうかしたの?」

「朔ちゃんが入院しちゃったでしょ? いろいろ相談されたんだけど、私には何がどうなってるのかさっぱり分からないのよ。ここに来たらいつかは香奈枝ちゃんに会えるんじゃないかと思ってね」

「直接電話してくれればよかったのに」

「でも、あたし、そういうの気が引けるのよ」

「ミキさんらしいわね」

「今度からここに連絡して」

「分かったわ、そうする」

 ミキは香奈枝から携帯の番号を書いたメモを受け取った。

「朔ちゃんは迷惑が掛かった事をとっても心配してたけど、どうなってるの? 差支えなかったら聞いていい?」

「代行、代行でね、何とかなってる状態かな?」

「葬儀社の方は甥ごさんが代行してるわ」

「知ってるわ。ここのマスターしてた人ね」

「そうそう、で、ここのマスターは急遽、『禅乃楼』の仲間が代行して…」

「ああ、品切れの彼ね」

「品切れの彼 !?」

「あたしに出来ることがあったら言ってね。朔ちゃんのために何かしないと、いたたまれなくて」

 香奈枝は水を運んで来た愛想のない仏頂面の小松を見て言った。

「…ある、ある。ミキさんならここのマスターの代行してもらったら最高なんじゃない?」

「でも、ここのマスターは…」

 ミキの視線から目を逸らした小松は天井を仰いだ。

「何なら、ミキさんに代わってもらう?」

「いいのかい !? 」

「あたしなんかで良ければ…」

「 “あたしなんかが” いいに決まってるだろ!」

「じゃ、お願いできる、ママ」

「ママ !? 」

「ゴールデン街にある “ばっけ” というお店の女将のミキさんよ」

「プロじゃんよ。お願いしますよ! じゃ、オレ用事あるから」

 小松はさっさと店を出て行った。

「彼はああ見えても看護師なの。いい気なもんよ。休暇使いまくりで患者への使命感などゼロ。腕はいいんだけどね」

「今時、使命感などあったって、患者からの称讃なんか困った時の一瞬しかしてもらえない。情に流されない彼は正解よ」

「流石ミキさん…さて、今日は一旦喫茶店を閉めますね」

「閉めなくても大丈夫よ」

「でも今の今からというわけにも。いろいろメニューの引き継ぎだってあるし…」

「ざっと見たけど、だいたい大丈夫」

「ほんとに !? 」

 その日から急遽、ミキが『牡丹』を切り盛りすることになった。


 ミキの喫茶店マスターぶりがすっかり板に付いた数日後、香奈枝はミキの作ったモーニングを堪能していた。店のドアチャイムが鳴った。

「いらっしゃいませ!」

 ミキは慣れた感じで客に声を掛けた。しかし、客は入って来なかった。どうしたのかとミキが入口に行ってみると、中を覗こうとしていた男がミキの顔を見るなり胤を返して運転席に戻って行った。香奈枝は窓からその様子を見ていた。いつもなら日吉寿雄がパシリで店の中を確認に来るのだが、運転席に戻ったのは柳井一二三だった。香奈枝は急いで入口のミキを呼んだ。

「『岸の駅』の工事で死体が見つかったの知ってるわよね」

「ええ、大変だったわね。覚醒剤も埋まってたんでしょ? それより、あの男見た?」

「彼は柳井一二三という男で…」

「あら、知ってたの?」

「ママも知ってるの !? 」

「あの男には気を付けたほうがいいわよ。ゴールデン街でも有名な詐欺師だったんだから」

「詐欺師 !? 」

「何人も喰い物にされてるの。暫く見掛けなかったけど、こんなとこに出没してたとはね。仲間の仇を討ってやりたい!」

「きっと、また来るわ」

「もう来ないと思う」

「どうして !? 」

「あたしの顔を見るなり、急いで車に戻って行ったわ」

「知り合い !? 」

「詐欺はあたしが見破ったの。警察に突き出そうと大騒動。結局逃げられたわ。結局、ゴールデン街には顔を出せなくなってそれっきりよ」

「何とかしないとね」

「もう警戒して来ないんじゃない?」

「覚醒剤の保管と売買ルートを潰されたのよ。何とか仕返しを考えてるはず。必ず関わって来るわ」

「警察に見回りを頼んだほうがいいんじゃないかしら?」

「そんなの何の役にも立たないことは、ママだって百も承知でしょ?」

「承知だわ」

「うちのボス…虫取りが上手なの」

「昔、監察官だった人?」

「今もよ。旅館の経営者でもあるけど、大学の先生でもある」

「あなたのいい人?」

「亡くなった姉の夫よ」

 ミキはまじまじと香奈枝の顔を覗いた。

「何よ?」

「今はあなたのいい人でしょ?」

「やめてよ。私は単なる部下よ」

「でも、香奈枝の顔には単なる部下とは書いてないわよ」

「ミキさん、ほんとやめて」

「はい、はい、単なる部下さん」

「もし、今度また柳井一二三が来たら、すぐに連絡して。このことを早く社長に報告しないと!」

「了解!」

 香奈枝はモーニングもそこそこに店を出た。


 香奈枝は女将の事など店での一件を徹人に報告していた。話を聞いていた徹人は一点を見詰めて冷笑した。

「柳井一二三はさっき本館にチェックインしたよ」

「危険だわ! 何されるか分からないわよ!」

「そうだね」

 言葉とは裏腹に、徹人は微笑んでいた。

「どうします !? 」

「おもてなしするしかないでしょ」

「…社長」

「恐らく、もうすぐ続々と宿泊のお客様が詰め掛けて来るでしょう。何があっても落ち着いて接客してください」

「急遽の団体予約が入ったんですか?」

「いや…」

 徹人の読みどおり、本館のフロントからヘルプの要請が入って来た。

「香奈枝さん、本館のフロントのヘルプをお願いします。鞠江さんも連れてってください」

 香奈枝は鞠江を連れて本館に向かった。本館のフロントには徹人の言ったとおり、20名以上のガラの悪い客が詰め掛けていた。

「早くしろ! いつまで手続きに時間を掛けてんだ!」

 香奈枝は笑顔でフロントに入り、受付を開始した。

「よう、姉ちゃんよ、今まで裏で何やってたんだよ」

「オレらも仲間に入れてくれよ」

 その時、鞠江が香奈枝を呼んだ。

「店長、所轄署の戸田刑事から連絡です」

「あら、そう」

 香奈枝が受話器を受け取ると、詰め掛けた一同が静かになった。

「お待たせしました、戸田さん。何時ごろお見えになります? …分かりました。準備は出来ておりますので…はい…はい…分かりました。では後程」

 ガラの悪い中のひとりが鞠江に探りを入れて来た。

「所轄署が何の用かな?」

「この後、現役とOBの交歓会があるんです、40名程で」

「40名 !? 」

「戸田ってのも来るのかよ」

 香奈枝が会話を取った。

「お知り合いでした?」

「…まあな。で、何時ごろ来るんだよ?」

「申し訳ありません、これ以上は個人情報になりますので…えーっと、今日は皆さん、丁度良かったですね! お部屋内の冷蔵庫に入っている飲み物も食べ物も全て無料のラッキーデイです!」

「ほんとかよ! 追加は出来んのかよ?」

「ええ、大丈夫です」

 一同は再び盛り上がって、割り当てられた部屋に向かった。


 柳井一二三をはじめ、元日吉組の連中は部屋のあちこちでだらしなく寝入っていた。

「お薬が効いたみたいね」

 部屋の冷蔵庫内のものには全てに睡眠薬が混入されていた。

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