第28話 里の城

 破壊された火葬場は、“改装工事” の名目で新装オープンし、やっと『岸の駅火葬場』という正式名称が付けらて早、三年の年月が経っていた。環境に調和したシックな建物にリニューアルし、麓の街では “里山の城” という愛称で呼ばれるようになって久しい。建物の背景を見守るように繁る常緑広葉樹の極相林は、かつてその奥で鉱山の採掘で賑わったなどとは想像もつかない。コナラやクヌギ、カツラが生茂る雑木林が極相林との境の緩衝地となって広がっている。

 かつてこの火葬場は “山の三昧” と呼ばれる古く薄気味悪い佇まいで、火葬以外の用で近付く者は誰も居なかった。奈良時代後半から平安時代まで、天皇の火葬を行う場所は山作所やまつくりどころ、天皇家以外は何処も三昧さんまい或いは三昧場さんまいばと呼ばれていたが、現在は葬斎場、斎場、斎苑などと称されて瀟洒な建物が多い。「火葬場」という記述は明治17年(1884年)に墓地及埋葬取締規則の第一条「墓地及ヒ火葬場ハ管轄帳ヨリ許可シタル区域ニ限ルモノトス」と規定されて以来、火葬場と呼ぶのが一般化したようだ。

 『岸の駅火葬場』には縁者用宿泊所も併設された。火葬技師としてを “山の三昧”を運営してきた鈴乃は、田耕寺の住職・牧口田慶が他界したため、徳永一郎に火葬を任せ、運営は徹人に任せて山を下り、田耕寺の住職となった。徹人は忠哉を支配人に任命し、叔父・朔太郎の口添えでミキをスタッフに抜擢した。“ばっけ ”の女将だったミキはゴールデン街の店を閉めて本名の藤島幹夫となって働くうち、開業一ヶ月も経たないうちに『岸の駅火葬場』の人気スタッフになっていた。

 徹人は『岸の駅火葬場』の地下にシェルターを建設し、久坂淳也、小松憲、黒田浩輔、兵頭多喜男による民間軍事会社を立ち上げる計画も本格的に進んでいた。侵略を想定した火葬場の地下シェルターは、田耕寺と墓地の管理人をしていた元自衛隊の兵頭多喜男が管理人となり、同じ自衛隊仲間だった黒田BM社長の黒田浩輔とその計画に深く関わるようになった。一方、兵頭が長年勤めていた田耕寺の管理は安藤幸男が受け持つことになり、以外にも水が合ったらしく兵頭に負けず劣らず檀家の信頼を得るに至った。


 監視モニター越しに時折釣客らしき男性が『岸の駅火葬場』の横の山道を通るようになった。しかしこの先には釣りにむいた渓流などない。最初ひとりだったが、ひと月もすると三人になった。忠哉は何となく違和感を持ち、兵頭と久坂に報告してその動向を監視していた。もし渓流釣りの出来ない山だと分かれば、二回目以降は釣り具など持って来ないはずである。それにも拘らず相変わらず釣り竿のバッグを背負って山に入るのは不自然極まりない。しつこく釣り場を探しに来たとして見つからなければ三回目には持って来ないはずであるが、男らはそれが通行手形でもあるかのように来るたびに釣り具バッグを背負って山に入る。帰りも山菜を取って山を下りるでもなく、楽しげでもない。寧ろ、無愛想な体で黙々と山を下りて行った。

 兵頭と久坂は満を持して猟師姿を装い山に入り、男らの後を付けた。兵頭らはすぐに分かった。山に入る男らは素人ではない。何らかの訓練を積んだ諜報のプロである。頻りに尾行を警戒しながら森深くに分け入り、禅ノ岱鉱山の跡地に辿り着いた。ここはかつてマンガン鉱山として栄えた時期もあった。マンガンは戦時に於ける武器の鋼鉄を作るには必要不可欠な軍事物資として重宝されたが、時の流れと共に廃坑になって久しい。

 侵略の工作員らは、徴用工経験のある先人からこの廃坑跡の所在を聞き、開拓の先陣を切って出向いて来たのであろう。男らは設計図を広げ、計画について話しているようだが日本語ではない。どうやら既にこの坑道内を隈なく調査済みのようだ。何れ軍事基地の拠点にする算段に間違いなさそうである。これからどう出るのだろう…取り敢えず坑道に車や建設重機を乗り入れられるように開拓するつもりであろう。秘密裏に進めるにはまず木の伐採から始めなければならない。兵頭らは兎に角このまま様子を見ることにした。

 数日後の深夜、兵頭らの読みは当たった。『岸の駅火葬場』の前をその男の運転で軽四輪が通った。暗視カメラに映った荷台には複数のチェンソーなどの工具が積まれていた。暫く経った深夜、十数人の男たちが息を潜めて坂を登って山に入って行った。たまたま来ていた鞠江がモニターを見て、おやっとなった。

「どうした、鞠江?」

「…あの人」

「知ってるのか !? 」

「結構やばいかも」

「どういうこと?」

 鞠江が別件でマークしていた男に酷似していた。『禅乃楼』利用者から個別にストーカー被害の相談を受けていたのだ。

麻牧ユリ子は父・岳人の遺体安置を依頼しに来たが、その父はストーカーの加害者に殺されていた。目撃した犯人は金杉賢という男で、逮捕に至るも訳も分からぬうちにすぐに釈放された。ユリ子の抗議は受け入れられなかった。鞠江はその男に目が止まった。

「彼は所謂一番性質の悪い、外交官特権のある “プロ市民” よ」

「 外交官特権のある “プロ市民” !? 」

「本来の職務以外に、主に “選挙や宗教工作員” 活動で潤っている連中よ。何が面白くないのか、挑発的で陰湿で限無くしつこく、組織に邪魔な存在は平気で殺す連中…一人では何もできないくせに集団になると愚かになる日本人とよく似てるけど、外交官特権がある上に、普段は日本人に擬態してる危険な類で性質が悪い。麻牧父子は運悪くそういう男に目を付けられたのよ」

「成程…やつらか。終戦後、日本に居残ってからもう5世に至るかな? 2世までは法律で生活保障されているけど、それ以降もただ飯喰らってる連中の親玉連だね。かつて月25万の生活保障じゃ食えないと豪語していたミンク姿のおばちゃまが映像に移ってたけど、クズを放ったらかしの日本で外交特権を利用し、プロ市民と買春で稼がせてやりたい放題。誰かが掃除しないといけない連中だな」

「金杉賢…本名、金賢キム ヒョン。彼を筆頭に2週間ほど前にこの地区に集団で移動して来たわ。カルト信者に擬態した工作員に間違いない」

「他の連中も同類ということか…」

「そう見たほうがいいわね」

「片付け甲斐があるな」

 最早一刻の猶予もない。プロ市民らに作業をさせてはならない。首謀者からどれだけの資金が出ているのか知らないが、鉱山に秘密拠点を建設されたら次に狙われるのは『岸の駅火葬場』だ。ここを占拠して徐々にこの地に侵略の足場を広げて行くつもりだろう。

 徹人が長年掛けて収集した武器が日の目を見る時が来た。兵頭、黒田、久坂、支倉の四人は重装備で男らの後を追った。鉱山跡では男らが早速電動草刈り機で雑木の伐採を始めていた。見る見る坑道入口が開けていく。弘道入口から重機の出入が出来る幅に刈り取り、障害になる樹木は次々にチェンソーで倒されて行った。その時、ひとりの工作員の片足が蔓に巻き上げられて体が舞い上がり、宙吊りになってもがき出した。潜んでいる兵頭の唇が緩んだ。

「やっと一匹目が掛かったな」

 工作員らが右往左往し始める間もなく、宙吊りになった男の体はすぐにだらんとなった。眉間に銃弾が命中していた。徹人が手に入れた消音ライフルAK-9を構えた黒田の鋭い目があった。作業の工作員たちは鉱山跡に逃げ込んで行った。発破技士の支倉は入口目掛けて工事現場用のダイナマイトに点火して次々と放り投げた。爆破が続くうち、入口は崩れて完全に塞がった。

 逃げ出した工作員は金杉以下6人だけだった。そのうちのひとりが山を下りる途中で兵頭の仕掛けた穴に落ちた。気付いた仲間が穴に懐中電灯を照らして覗くと、天に向かった鋭い竹に串刺しになり、悶絶しながら目を剥いている仲間と目が合った。5人は震えあがった。真っ先にその場から逃げ出した男の足にまた蔓が絡んだかと思うと、勢い宙に浮き最初の犠牲者の如く眉間に銃弾を受けた。金杉が恐る恐る懐中電灯を照らすと、まるで残りの4人に死の順番待ちの催眠術を掛ける振り子のように緩やかに揺れていた。

「어리석은, 손전등을 지워라!」

「죄송합니다!」

 4人は闇の坂を転げるように下り、やっと『岸の駅火葬場』の見える山道に出た。先頭にいた金杉はホッとして仲間に問い掛けた。

「적은 누구야?」

「모르는」

「정보가 유출된 것일까?」

「・・・」

「어떻게 생각하니?」

「・・・」

 仲間の返事がなくなったので振り向くと、後ろに付いて来ているはずの三人がいなくなっていた。

「너희들 도망쳤어!」

 懐中電灯を付けて探すと3人は連なって路上に倒れていた。慌てて傍によると、皆眉間を撃たれて息絶えていた。金杉は慌てて懐中電灯を消し、周囲を警戒した。低い姿勢で『岸の駅火葬場』の前を通り過ぎ、恐る恐る振り返った金杉の眉間を狙った黒田を、兵頭が制した。

「あいつは逃がそう。誘い水だ。やつは必ず残りの残りのクズを連れて報復にやって来る」

「だな」

 久坂、支倉は工作員らの置き土産の軽トラで夜明け前に死体を回収し、順に火葬炉に “奉納” していった。最新式の設備を誇る『岸の駅火葬場』の煙突から強制成仏させられた煙が夜空に放出された。

「良く見えんが、恐らく “謎の黒い煙” か…」

 そう呟いて操作室の徳永はお気に入りのレコードに針を置いた。殺伐とした室内にショパンのノクターン嬰ハ短調第20番「遺作」が厳かに流れた。

 兵頭たちは仲間の工作員の救助のためすぐにでも報復にやって来るだろうと待ち構えていたが、そうした日本人的考え方は見事に打ち消された。思い返せば、彼らには仲間意識などない。目的達成あるのみだ。金杉は報復を完璧なものにするための準備のみに専念していた。


 ひと月ほど経ったある日、お気に入りの『禅乃楼』別館ロビーで遊ぶ梨咲と愛絆がその場に立ち上がって妙なことを言い出した。

「来る」

「来るね」

「どうしたの、梨咲ちゃん !? 」

「来るよ」

「誰が?」

「いっぱい知らない人」

「丸い帽子を被って」

 香奈枝はピンと来て『岸の駅火葬場』の忠哉に連絡を入れた。

「分かりました」

 忠哉は緊急ボタンのひとつを押した。『岸の駅火葬場』の前面と山道側の側面から建物の床面と思われていた3m幅のコンクリートが突き出して建物を覆った。

 その夜半、梨咲と愛絆の予知どおり、金杉率いる工作員らが襲撃して来た。武装した2台のジープから降りた工作員らはいきなりロケット砲を放ってきた。ロケット砲は彼らの予想に反して、建物を覆ったコンクリートに無残に打ち砕かれた。続け様に20mm多銃身機銃で総攻撃するも3m厚の壁はびくともしなかった。弾切れとなって工作員らは車から降り、一斉に『岸の駅火葬場』に向かって来た。待ち構えていた兵頭の合図が下りた。山林に潜んでいた支倉がダイナマイトの起爆装置を押すと数人の体がバラバラに吹っ飛んだ。怯んだ工作員らがジープに戻ろうとすると、そのジープが2台続けて爆破された。更に行き場を失った工作員が容赦なくその場に倒れて行った。『岸の駅火葬場』の屋上にはAK-9を構えた黒田のあの鋭い目があった。


 ショパンのノクターンが流れる中、運の悪い襲撃犯らはその夜のうちに全員夜空に放たれる黒い煙となった。

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