第27話 黒い煙

 火曜日だというのに、鈴乃の火葬場の煙突からは煙が立っていた。鈴乃の片腕となって久しい火葬技師の徳永一郎が呟いた。

「黒いな」

 火葬炉の燃焼操作及び火葬炉の取り扱いに法令資格は定められていない。火葬場施設の長が指名した者なら年齢・学歴・保有資格がなくても火葬炉を操作したり取り扱うことが出来る。但し、同法施行令の解釈では18歳未満の者か、妊娠中の女子は火葬業務に従事させてはならないと定めている施設が多い。徳永は鈴乃が資金援助をしている児童養護施設の出身だった。施設を自立後、火葬炉燃焼制御装置の設計・製作会社に就職していたが、鈴乃への恩返しを志し、火葬場で働くようになっていた。

徳永が勤務間もない頃は、度々煙突から黒い煙が出ていた。それを目撃した麓の住民からよく苦情が来たものである。一般的に不完全燃焼の場合には黒い煙、燃焼効率が良い場合は白い煙が出ると言われているが、徳永の就職後、「再燃炉」や高性能なバグフィルターなどを設置して徹底的に集塵しているため、黒い煙は出ないはずである。

 現在、火葬炉は大きく2種類に分けることができる。約60分を要する「台車式」と約40分で焼ける「ロストル式」である。火葬終了後、遺骨は30分程冷却されて遺族に引き渡される。現在の火葬炉は1500℃までの火力設定が可能なので設定を高くすればその分火葬時間を短縮出来るが、火力が強過ぎると遺骨がきれいに残らない。遺骨を残すには設定温度を低めに設定し、尚且つ時間を掛ければいいが、頭蓋骨や骨盤をしっかりした形に残しても、骨壺に入れ難くなる。火葬技師の腕の見せ所はその辺りにあろう。

 不思議にもこの “わけあり遺体” に限ってだけ黒い煙が出てる以上、装置の再点検は必要だとしても、鈴乃から “わけあり遺体” の火葬を急ぐように指示されているため、暫くは “わけあり遺体” の火葬は麓の住民の目に触れ難い深夜に集中することにした。

 “わけあり遺体” は凡そ20体。一体の火葬には40分から一時間を要する。一般の火葬は日中にし、原因不明の黒い煙となる “わけあり遺体” は深夜に行っていた。つまり、徳永はこのところ不眠不休で作業を続けていたのである。

 深夜の火葬も3日目に入り、やっと最後の遺体を火葬炉に入れて点火した徳永は、疲労困憊でうとうとと監理室の椅子に掛けたまま寝入ってしまった。その時、火葬場の周囲の暗がりに数人の影が蠢いていた。


 夜が白々と明け初めて、徳永はうたた寝から目が覚めた。

「しまった…寝ちまったらしい」

 炉の中を覗くと火葬は自動制御で無事に済んでいてホッとしながら、外に出て外気を吸うと、何か違和感を覚えた。僅かに香水の臭いがする。こんな隔絶された火葬場の空気らしからぬ臭いに警戒心を持った。ゆっくりと火葬場の周りを歩いてみると、深刻な事態になっていた。建物の壁に1m置きに時限装置らしきものが設置され、赤い数字が時を刻んでいた。徳永は急いで鈴乃に連絡した。

「早くに済みません! 建物の周囲に時限装置らしきものが1m置きに設置されておます! どうしたら…」

「すぐに建物から離れなさい!」

「しかし!」

「いいからすぐに離れて!」

 その時、黒田BMのトラックが残骨灰の収集にやって来た。“焼き切り”で灰状になるまで焼かれた骨を “遺灰” 、不要な分を “残骨灰と” 呼ぶが、日本に於ける火葬技術は “お骨上げ” の慣習儀式があるため、遺骨をすべて灰にせず骨を形のまま残すことが重要視されている。厳密に言えば、骨の形が残っている一部が骨壺に納められている。現在、火葬場で焼き切りが可能なのは関西圏の一部にある火葬場だけのようだ。関西圏以外で遺灰レベルに細かくするには、粉骨の代行サービスに依頼する必要がある。

 骨壺に納めなかった骨や灰の所謂 “残骨灰” の処分は、主に業者に委託している。業者は、遺体の歯や人工骨に使われた貴金属及び残骨灰を、植物の肥料、道路の滑り止め、洗剤、食器洗いなどに加工して売ることを認められている。一方、形のある遺骨の場合、許可なく墓地以外の場所、例えば庭などに埋めると「死体遺棄罪」に問われるため、業者に依頼し、“焼き切り”乃至、遺骨を何らかの方法で2mm単位までのパウダー状に粉骨した散骨の場合は罪に問われない可能性もある。そうした残骨灰の粉砕処分や産業廃棄物の処分は黒田が社長を務める黒田BM株式会社も請け負っていた。

「早過ぎたかな」

「黒田さん、大変です! 建物の周囲に時限装置が! 早く逃げてください!」

「その場所に案内してくれ!」

 発破技士の支倉が徳永を促した。

「火葬場の壁の周り一帯ですが駄目です! もうすぐ爆発します!」

「あと何分だ!」

「分かりません!」

 徳永の言葉を振り切り、支倉は火葬場に走った。壁の周囲には1m置きに設置された時限装置があった。何れも残り20分弱を示した時刻を刻んでいた。

「社長、徳永くんを車に乗せて出来るだけ遠くに離れてください!」

「支倉、無理せんでくれ!」

 支倉は社長の叫びを無視して既に解除を試み始めていた。


 徳永を乗せて急いで火葬場を離れた社長の黒田は辛うじて火葬場が見える斜面に待機して見守るしかなかった。あれから既に10分は経っている。

「…支倉」

 どうすることもできないまま胃がきりきりする中で待つしかなかった。時の経過がこれ程残酷に思えたことはない。ついに残り時間は1分を切っているはずだ。火葬場の風景がそのまま変わらないことを願った…が、非常にも大爆発が起こってしまった。

「支倉ーっ!」

 黒田は徳永をその場に残し、夢中で火葬場に走った。老いた黒田の脚力に建物までの上り坂が立ちはだかる。徳永がトラックを運転して追い付き、黒田を乗せて建物に急いだ。車を降りるなり黒田は無残に崩れた火葬場に立ち竦んだ。

「支倉ーっ! 支倉ーっ!」

 黒田は何度も支倉の名前を叫ぶとその場にへたり込んだ。

「支倉…」

 残骨灰の噴煙が治まる頃、瓦礫の一部が動いて盛り上がった。中から残骨灰だらけの支倉が立ち上がった。

「支倉 !? 」

 支倉が立っている。黒田は歓喜の目を疑った。

「支倉…支倉!」

 黒田は瓦礫に躓きながら支倉に駆け寄り、強く抱き寄せた。

「社長、痛いす…どこか折れたかも」

「どうして無事だったんだ !? 」

「残り2つほど間に合いそうになかったんで、とっさに火葬炉に潜り込んだんです」

「火葬炉か!」

「死ぬ前に入るところじゃないすね。まだ耳がよく聞こえません」

「救急車呼びます」

 徳永の言葉に支倉は制した。

「いや、呼ばないでくれ。それより、早く火葬場の復旧を」

 鈴乃が駆け付けて来た。

「解除が間に合いませんで…」

「みんな無事で良かったわ!」

「兎に角、火葬場の復旧を!」

「支倉さん、あんた怪我してるじゃない !? 」

「この事を知られては犯人どもの思う壺です! 出来るだけ早く火葬場の復旧を!」

「分かったわ! 明日にも工事を開始するわね」

「いえ、今からです! 社長!」

「任せなさい!」

 黒田は早速、復旧職人を手配した。

「さて…誰の仕業かな」

「黒いキャラバンと擦れ違ったわ。普段、見掛けない車ね。ただ…」

「ただ !? 」

「田耕寺の前に停まっているのを一度だけ見掛けたわね。住職の話では日吉組の組長の愛人を送って来た車だと言ってたわ」

「ラウラか…でも、ラウラがなぜ田耕寺に?」

「柳井一二三の納骨の件で来たみたいよ」

「組長の愛人が何故、裏切り者の柳井の納骨を」

「柳井との間に子どもがね…そういう仲なのよ」

「大きいのか?」

「もうすぐ成人ね。縞英二…柳井の本名が縞一二三」

「今、どうしてるんだ?」

「恐らく、この火葬場で焼かれたわね。これはその報復かもしれない」

「随分とやってくれたもんだね」

「何しろ、ラウラには母国のマフィアが付いてるからね」

「鈴乃さんは随分と詳しいね」

「半分はここに来る道すがら徹人から得た情報よ」

「徹人は?」

「もう動いてるわ」

 鈴乃はほくそ笑んだ。

「成程。徹人さんのことだ。何やらかしてくれるか」

 その日の夕刻、ラウラが住む豪邸が大火災となった。丁度パーティらしきものが催されていたらしく、邸の中から30数体の焼死体が発見された。

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