第29話 廃坑

 夜が明けぬうちに県道で爆破された2台のジープは、『禅乃楼』のスタッフ総動員で片付けられた。黒田はいつもの精鋭社員を招集して建物に工事フェンスを張り、ロケット砲の襲撃で破損したコンクリートの補修を急がせた。夜が明け始める中、忠哉は残灰と化した悪党どもを積んだ産業廃棄物積載ダンプが発つのを見送った。そこに庭師の格好をしたツールベルト姿の徹人が現れて呟いた。

「あとはお客さん待ちだな」

 県道の清掃作業を終えた忠哉は、火曜日の今日は一般客の火葬がないのに、徹人が勘違いをしているのかと聞き返した。

「今日は火曜日で一般のご遺体の火葬は有りませんが…」

「昨日の騒ぎにかこつけて様子見に来るやつがいるかも知れん」

「騒ぎといっても、車の鈍い爆破音など街までは届いてないと思いますが…」

「待てど暮らせど工作員が帰らないんで、首を長くしているやつらの司令塔がいるだろ」

「司令塔 !? 」

「何処の国も、大ボスの “老害” がことを面倒にしている」

 徹人は麓の街に残っている最後の司令塔が、今だ帰らぬ捨て駒工作員の様子見に来ると確信していた。徹人の言葉に黒田がほくそ笑んだ。

「例えば犬の散歩を装ってとかね」

 黒田の視線の先には犬の散歩の老婆がいた。徹人は忠哉に手箒を渡して庭木の手入れを始めた。

「どれ、我々は庭の木の手入れでもするか」

 火葬場の補修作業に戻る黒田に目配せして擦れ違ったのは藤島幹夫だった。藤島は真っ直ぐ老婆に近付いた。

「あら、おめずらしい! 生きてる人間を見るのは久し振りだわ。お散歩ですか?」

「ええ、夕べ、ここで何かあったんですか?」

「夕べ、ここで !? 庭師さん、ゆうべここで何かあったの?」

 藤島は庭木の手入れをしている徹人たちに聞いた。

「夕べも猪に荒らされて、このざまだよ」

 不愉快な体の徹人を後目に、藤島は逆に老婆に聞き返した。

「夕べ何かあったんですの?」

「爆発のような音がしてね」

「この辺りから?」

「ええ」

「いつ頃?」

「深夜に…」

「あんた、夜は眠れないのかい?」

「いえ、音で目が覚めて…」

「それにしても、日本語、お上手ですね」

 その言葉に老婆はハッとした。

「お国はどちらですか?」

「…日本人です」

 老婆は不快そうに答えた。

「そうですか、じゃ、外国生活が長かったんですね? 外国訛りは中々消えませんからね。どちらにお住まいでした?」

 老婆は然らぬ体で山を見上げた。

「最近、大勢の外国人の方々が引っ越して来たと街の話題になってますけど、どうしてなんですかね?」

「…さあ…私には」

「よくこんな山の中まで犬の散歩に見えましたね。街の方々は滅多に来ませんよ。この辺はよく熊が出ることを知ってますからね。この間も犬を連れて山菜取りに来たお年寄りが、引き摺られた血の跡を残したまま行方不明になりましてね。犬だけ家に帰ったんでおかしいという事になって大騒ぎになりましてね。まだ発見されてないんですよ」

 老婆の表情に陰りが見えて来た。藤島は構わず話を続けた。

「この山の奥には廃坑跡があるんですが、ご存じですよね」

「私が !? 」

「ええ」

「全く知りませんね」

「全くね…なら良かった」

「え?」

「たまに知ってる人が廃坑の中に入って行方知れずになるって噂があってね。お知り合いにそんな人とかいません?」

「いませんよ」

「そりゃ良かった。先日の地震と大雨で崩れてしまいましてね。熊が棲家にしていて、そこに餌にする人間を運んで行って熊諸共閉じこめられたんじゃないかって言われてるんですよ。どう思います?」

「廃坑が崩れたと !? 」

 老婆の顔色が変わった。

「時間が経っても救助隊はまだのようだし、生き埋めになってたら、もう助からないでしょうね」

「私はこれで…」

 老婆が帰ろうとして向きを変えた時、犬がけたたましく吠えた。次の瞬間、老婆に向かって猪が突進して行った。あっと言う間に猪に体当たりされた老婆は数mほど弾き飛ばされて地面に打ち付けられた。

「救急車を呼ばないと!」

 すると倒れていた老婆が必死に叫んだ。

「救急車、ダメ! 救急車、ダメ!」

 徹人は、救急車要請を強く拒絶する老婆が工作員の司令塔であることを確信した。


 後日、入国管理局から感謝の一報が入った。救急搬送後、老婆の正体は宮城春花、本名・朴春花と判明した。不法滞在がばれて朴以下、街に引っ越してきた俄か市民の残党たちのアジトも突き止められ、全員強制送還されることになった。


 一か月後、満を持していた徹人が動き出した。崩れた廃坑跡で一ヶ月経過した工作員たちはどうなっているのか監察医の徹人は熟知していた。死体になった場合、直後から現れる現象を「早期死体現象」、比較的後になって現れる現象を「晩期死体現」という。死から3日目頃までに体内にガスが発生し膨張する状態を医学的には「新鮮期」と呼ぶ。10日以上経過すると、体内に充満したガスや体液などが噴出し、腐乱が始まる。この「腐乱期」には本来の体重の8割ほどになり、更に腐乱が進んで元の体重の1割ほどに減った状態を「後腐乱期」という。白骨化するのは死体の環境で異なるが、数ヵ月から数年となる。

 徹人らは遺体用納体袋を用意して山に入った。廃坑跡を掘り起こすと死臭が噴き出した。そして半ば白骨化が始まった腐乱死体10体が折り重なっていた。それらを遺体用納体袋に納めたが、道なき道を火葬場まで運ぶにはかなりの困難が予想された。一旦、納体袋の遺体を廃坑跡に戻し、獣から守るために出入口を塞いで、先に運搬し易い通り道を作ることになった。道を切り拓くうち、採掘が盛況だった時代の鉱山鉄道の敷設跡が見つかり、思ったより工事が捗った。


 10体の遺体が火葬場に運ばれた。煙突から煙が昇り始めた。相変わらず黒い。火葬技師の徳永は “やはり、こいつらもか” と溜息を吐き、お気に入りのレコードに針を置いた。室内に流れるショパンのノクターンはいつも非日常の空間にひとり置かれる徳永の心を癒した。

「どう?」

 寛ぎ始めた徳永は驚いて振り向いた。入口に藤島が立っていた。

「ご遺体の火葬が始まると、いつもこの曲が流れるわね。私も一度そばでゆっくり聴いてみたかったの。いいかしら?」

 良いも悪いも断る雰囲気でもなさそうな空気に、徳永はぶっきら棒に椅子を勧めていた。ふたりは『岸の駅火葬場』竣工後、初めての会話だった。藤島は音楽を聴きながら目を閉じた。室内に芳醇な時が流れた。徳永は誰かと一緒に好きな音楽を聴くのも悪くはないと思った。「遺作」のピアノの最後の音が静かに響き、室内は厳かな静寂となった。藤島の微かな鼾が平和だった。


 いつものように梨咲と愛絆がお気に入りの『禅乃楼』別館ロビーで遊んでいた。今日は、鞠江が傍に居て二人を見守っていると、突然、また梨咲と愛絆がその場に立ち上がって妙なことを言い出した。

「来る」

「来るね」

 フロントの香奈枝はまた工作員の報復を予知したのかと思った。

「丸い帽子を被ってる?」

「お山が泣いてる」

「お山が !? どういうこと !? 」

「・・・」

「…梨咲ちゃん !? 」

「知らない」

 梨咲と愛絆は何事もなかったように遊びに戻っている。鞠江は暫く考えていたが、ピンと来て『岸の駅火葬場』の忠哉に連絡を入れた。

「火葬場の裏山に沢がある?」

「どうして?」

「沢はある?」

「少し奥に谷は有るけど水の流れている沢はないよ」

「…そう」

 忠哉は鞠江の懸念を一応徹人に伝えた。何しろ工作員の襲撃を予知した梨咲と愛絆が、また謎の言葉を発している。

「今度はあの子たちに何が見えたんでしょうか?」

「やはりな」

 徹人は忠哉を火葬場の外に誘い、山を見上げた。

「どう思う?」

「え !? 」

 唐突な問い掛けだった。

「もし、ここに土砂崩れが押し寄せて来たらこの火葬場はどうなると思う」

「ここの山は安定した陰樹林かと…第一、今まで百何十年間問題なく来ているわけですから」

「この間、工作員を追って山奥の廃坑跡に入っただろ」

「ええ」

「先人が植林した針葉樹林一帯が “縞枯れ現象” を起こしていたんだ」

「“縞枯れ現象” !? 」

「鉱山開発や営林署の撤退で、山は放置されたままということだ。これまで下草刈りや枝打ちをして端正に育てて来た生き物の杉林が突然放棄されて、麓には毎年花粉症の置き土産を残した。もっと恐ろしい置き土産は、忘れた頃にやって来る人災 “土砂崩れ” だ。土砂崩れは地震が引き起こしているのではなく、人間が安定していた陰樹林を破壊して植林し、不要になって放置したために起こる」

「土砂崩れはいつ来ると !? 」

「分からん。ただ早急に対処しておかなければならんだろう」

「どう対処すればいいんでしょう?」

「君のお父さんのご他界を機会に、私はここまで来れた。あの時、君が寂れきった『禅乃楼』の前に立ってくれなければ、この日を迎えることは出来なかったかもしれない」

「ボクは…ボクが立ったあの場所は、自分の未来への入口になりました。社長に会わなければと思うと…」

「それはお互い様だよ。お蔭で私の夢が叶う日は今目の前に来ている。あの日までに私が描いていた構想は、普通の旅館を遺体安置旅館にするだけのものではなかった。この国は危うい。今のままでは他国の侵略から身を守る術は皆無なんだ」

「そうなんですか !? 」

「この国の憲法は自国民を守るとは一言も書いてない稀有なものだ。日本国民は自分の身は自分で守る以外にないんだよ」

「日本政府は守ってくれないんですか !? 」

「拉致被害者を鑑みれば分かるだろ」

「・・・」

「日本にとって最も重要な森林の価値も分からない政府の裁量など全く当てに出来るわけもない。森林こそ未来に繋げてくれる最後の砦なんだよ」

「森林が最後の砦 !? 」

「海に囲まれた日本は一旦侵略されたら逃げ場は山しかないんだ」

「・・・!」

「すぐにでも裏山に自己防衛のための軍事基地の建設を始めたいところだが、梨咲と愛絆の予知は今黄色いシグナルを出している。それを無視して工事を始めることは出来ない。私は梨咲と愛絆の予知を信じる」

 ふたりは再び『岸の駅火葬場』の後ろに聳える陰樹の山を見上げた。


 徹人は久坂や黒田ら工事のスタッフを引連れて廃坑跡に立っていた。工作員の遺体運搬で切り拓いた鉱山鉄道跡の道路を利用して重機を入れ、土砂崩れが軍事基地予定地の廃坑跡を逸れるように谷の砂防堰堤さぼうえんてい工事を急いだ。同時に忠哉率いる黒田GMの精鋭社員たちは『岸の駅火葬場』の山側に、土石流にも耐え得るであろう分厚いドーム型のコンクリート防壁の建設を担った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る