第30話 お父さん、死ぬよ(最終話)

 砂防堰堤工事の完成を待っていたかのように、これまでの沈黙を破る大地震が起こった。地面の底から唸りが続き、これから起こるであろう只ならぬ恐怖を誘った後、本格的な横揺れが始まった。陰樹林の葉がゆっさゆっさと揺れ始め、そこを塒にしている種々の野鳥たちが大空に散って行った。容赦のない大きな揺れは立っていられない程になった。

 動く山を背にした里の城『岸の駅火葬場』の前面と側面から自動的に厚い壁がせり上がり、建物の全面が防御された。五分程揺れたであろうか、次第に揺れが治まり静寂が戻った。それから間もなくである。ゴーッという唸りが起こり、あっという間に『岸の駅火葬場』の横を噴煙を上げながら土石流が想像を絶する勢いで麓に向かって崩れて行った。砂防堰堤工事が完了していなければ、『岸の駅火葬場』を直撃していたであろうことは一目瞭然だったが、厚い防護壁がガードとなって何とか縞枯れ樹林の土石流が掠って行く流れに耐え続けていた。


 徹人は『岸の駅火葬場』を忠哉に任せ、『禅乃楼』別館に急いだ。麓を見下ろす小高い丘に位置する『禅乃楼』は土石流の影響はないが、案の定、遺体が次々に運び込まれていた。『禅乃楼』から数十メートル下に位置する葬の宿『岸の駅』と合わせても、受け入れ可能な遺体は50体そこそこである。それも身許が判明して24時間経過した遺体でなければ火葬に回せない。「墓地、埋火葬に関する法律」の第3条で「埋葬又は火葬は、他の法令に別段の定があるものを除く外、死亡又は死産後24時間を経過した後でなければ、これを行つてはならない。」と定められている。昭和23年当時からの蘇生の可能性があった時代の名残りで、現代医学には全くそぐわない法律である。コロナ過の今は、妊娠七ヶ月に満たない死産の場合と感染症での死亡の場合には特例として24時間以内でも火葬・埋葬することが可能となっているが、一般の遺体は24時間経過しなければ火葬出来ない。その分の遅れが積み重なって、被害遺体の受け入れ速度にブレーキが掛かっていた。

 日頃の火葬待ちの比ではない土砂被害者の急増という緊急事態なので、遺体安置を受け入れないわけには行かず、『禅乃楼』の庭には急遽簡易的な遺体安置所を特設して受け入れるしかなかった。身元が判明して24時間経過した遺体は、搬入経路の確保が出来ていた『岸の駅火葬場』に移送してのフル操業となった。

 徹人は自然災害などの緊急事態を想定し、各施設にはトランシーバーを複数用意していた。それが功を奏し、携帯電話が繋がり難くなった非常時でも連絡には何の問題もなかった。


 遺体搬送業務もどうにか落ち着きを取り戻した頃、徹人の知り合いに頼まれたと名乗る人物から、徹人自身に遺体引き取りに来てほしいという要請の連絡が入った。

「…この訛り !? 」

 徹人はその人物の訛りをどこかで聞き覚えがあった。

「現場での遺体確認もあるので私が引取りに行くしかないか…」

 公的機関は何処も手一杯で受け入れを断れば件の遺体は数日間放置されるだろう。監察医の徹人は車に向かった。

「私も行きたい!」

 めずらしく梨咲が徹人を追い掛けて来た。

「梨咲ちゃんは駄目だよ、お仕事なんだから」

「私も行く! 絶対に行く!」

 いつになく聞き分けのない梨咲に香奈枝も違和感を覚えた。

「…あなた」

 徹人も香奈枝と同じ感覚だった。

「分かった。でも、今日だけだよ」

「うん!」

 徹人は一台だけ残った四輪駆動車で出発した。徹人が出掛けて間もなく『禅乃楼』別館に戸田刑事と仁科刑事が訪ねて来た。

「あら、所轄随一の色男たち、どうなさったの?」

「この人物に見覚えは有りませんか?」

 戸田刑事が朴春花という老婆の写真を提示した。たまたま別館に遺体を引き取りに来ていた藤島が何気なく写真を覗いた。

「この婆さん !? 」

「知ってるのか !? 」

「火葬場のほうまで犬の散歩に来ていた婆さんよ」

「火葬場のほうに !? 」

「あんな熊の出るところまで犬を連れて来るなんてね。地元の人なんかめったに来ないのに。めったにっていうか全然来ないわよ」

「いつ!」

「いつだったかしら…って、あの婆さん、猪に突き飛ばされて救急車で運ばれたんだったわ。それで身元がばれたんでしょ !? 戸田ちゃんも後で火葬場に事情聴取に来たじゃない?」

「…そうだった」

「 “そうだった”って…まさか彼女を強制送還する前に…逃がしちゃったの !?」

「…のようです」

「戸田ちゃんともあろう色男刑事が何やってんのよ」

「公安の管轄だから…」

「じゃ、尻拭いってわけね、お可愛そうに」

 香奈枝の表情が一変していた。

「どうしたの、香奈枝さん?」

「あの人と梨咲が危ない!」

 香奈枝は急いで表に出たものの、全ての車が出払っていたため、建物に横付けされた徹人の趣味のトライアルバイクを発進させた。


 徹人が指定された現場に着くと、確かに遺体はあった。しかし、息絶えていた現場は土石流の影響のない場所だった。周囲に連絡の主を探したが誰もいなかった。少し待ったが依頼者が来ないので、仕方なく遺体を運ぶことにした。徹人がうつ伏している遺体に近付こうとすると、梨咲がいきなり徹人の袖を掴んで引き止めた。

「お父さん、死ぬよ」

「え !? 」

「死体に触ったら死ぬよ。早くあっち行こ!」

「梨咲、どうしたんだ !? 」

「お父さん、早く!」

 梨咲は必死に袖を引っ張った。梨咲の表情は甘えとかそういうものではなかった。


 その頃、香奈枝は徹人の後を追って猛スピードでトライアルバイクを走らせていた。その後に戸田刑事と仁科刑事の車が続いた。

「戸田さん、香奈枝さん、スピード違反…」

「…そうか? 高々60キロだろ」

 手元のメーターは100キロを疾うに越えていた。

「そ…そうですね」

 猛スピードのトライアルバイクの先で爆発音と共に爆炎が上がった。香奈枝はバイクを乱暴に乗り捨てて現場に走った。

「あなたーっ! 梨咲ーっ!」

 炎上する現場には近付くことも出来ず、香奈枝はその場に泣き崩れた。急停車した戸田らは香奈枝に駆け寄った。

「どういうことなんだ、香奈枝さん!」

 香奈枝は震える手で指差した。そこには燻った遺体の手足が散乱していた。

「罠よ! 誘い出されたのよ! あなたーっ!!  梨咲ーっ!!」

 香奈枝は気付けなかった自分を責めて悶絶した。

「あのお手々は梨咲のじゃないよ、お母さん」

 見ると隣に梨咲が立っていた。

「梨咲 !? 無事だったの !? 」

 香奈枝は梨咲を思い切り抱き寄せた。

「お父さんは !? 」

「あそこ」

 徹人は香奈枝が乱暴に乗り捨てた趣味のトライアルバイクを起こしていた。戸田が駆け寄った。

「宮園さん、大丈夫ですか!」

「香奈枝が乱暴に乗り捨てたもんだからマフラーが折れちゃったよ」

「…ご無事でしたか」

「あそこ」

 徹人の差した先に、長い白髪をガードレールの支柱に結わえ付けられてもがいている朴春花の姿があった。

「どこまでもクソ婆だよ」

 徹人は苦々しく嘯いた。香奈枝が梨咲を抱き締めて寄って来た。

「香奈枝、このバイク、レアなんだからもっと丁寧に扱ってくれよ」

「…あなた」

「梨咲のおかげで助かったよ。梨咲がね…」

 あの時…徹人は仕方なく一先ず梨咲の言うままに袖を引かれて行った。その時である。鈍い音を立てて死体が爆発した。咄嗟に梨咲を抱き上げて衝撃を遮った徹人の背に死体の肉片が叩き付けられた。その様子を物陰から伺っていた老婆が舌打ちした。

「そういうことでしたか」

「あんな危ない婆さん、もう逃がさないでくれよ」

「申し訳ない」

 朴春花を煩わしげに連行して署に戻る戸田と仁科の背中を見て、徹人と香奈枝は思わず噴き出した。

「お役所勤めはつらいね」

「そうよ、部下の目は国民じゃなく、上司に向いてるしかないもの」

 徹人と香奈枝はまた大笑いした。


 遺体の受け入れが順調になり、『禅乃楼』別館庭園に設置された仮設安置所も解体された。徹人は廃坑跡に行ってみることにした。土石流は、急ぎ行われた工事のお陰で軍事基地建設予定地の廃坑跡を避けて谷の砂防堰堤沿いに流れて痛々しい地肌を剝き出しにしていた。この辺りは、かつての針葉樹植林後、手入れを放置されたままになっていた一帯だ。徹人は山肌が剝き出しに削られた針葉樹の縞枯れ樹林跡を徐々に広葉樹林に変えていく計画を立てていた。

 日本の森林の面積はこの半世紀の間ほとんど変わっていないが、天然林の減少と人工林の拡大で総面積には変化がなかった。森林資源の需要は年々増えているが、国産の森林資源を放置して外国産に依存している。人工林に於いて、かつては定期的な間伐や下刈りなどの手入れで本来の役割を果たす森林となっていたが、現在、多くが放置され、山の地表に日光が届かず、土が痩せ、根が水を吸えなくなり、土砂崩れが発生しやすくなっている。手入れされている人工林に降った雨は地中を経由して澄んだ水となって川に流れ出る『水源かん養機能』と呼ばれる機能が働くが、手入れをしなくなった殆どの人工林は土砂崩れのリスクが高まっている。

 林野庁によると、野生鳥獣の繁殖の放置も森林の枯死などで土砂崩れなどの災害のリスクが高まるとし、対策としては不用意な伐採を避け、広葉樹の保全が有効としているが、最も大きな原因は植林後の放置にある。ある程度は野生鳥獣の駆除による個体数の管理といった対策も必要となろうが、頂点捕食者であるオオカミを絶滅させた人間の過ちによる鹿などの激増が問題であろう。何より、海に囲まれた日本は、有事の際の逃げ場である森林が最後の砦となることを見失った時点で終わっている。

 徹人は緊急避難を兼ねた軍事基地建設と並行して山林の健全化計画を実行に移した。海に囲まれている日本は他国からの侵略に対しては領土の68.46%といわれる森林を活用するしかない。全国の自治体が一丸となって土石流にも耐え得るシェルターが点在する里山の構築を急ぐべきだが、徹人には他の自治体にまで働き掛ける気は毛頭なかった。これだけ平和ボケした国民にはもう未来はないと考えていた。


 山から見下ろす里の城『岸の駅火葬場』の煙突から水蒸気を含んだガスが外気に触れ、冷却された白煙が短く立ち昇っているのが見えた。頑固だった父は、あの空でも無関心を装って肩肘を張っているのだろうか…少なくとも母は喜んでくれているに違いないと、徹人は取り敢えずここまで来れた運命に感謝した。


( 完 )

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遺体旅館 伊東へいざん @Heizan

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