第3話 幼馴染・鞠江

 『禅乃楼』別館の遺体安置事業が開始した。忠哉の両立の不安とは裏腹に、待機遺体の運営は急速に需要が増え、両立に慣れざるを得ない状況が続いた。案ずるより産むが易しで、忙しい職場は大学に通いながらでも両立の潤滑油となるほど忠哉に活力を与えた。父の葬儀までの経験がこんなにも活かされるとは思っていなかった。

「受付が年老いた母では『禅乃楼』お化け屋敷説に拍車が掛かるだけだな」

徹人の言葉に母の逸子は笑っていたが、その目は忠哉に何かを期待している目だった。

「西園寺さん、誰かいない?」

 逸子はすぐに本題に入って来た。忠哉の知り合いに遺体旅館の受付を手伝ってくれる友人がいないかということだ。元来社交的ではない忠哉には思い当たる友人はいなかった。ただ、ひとりだけ幼い頃から近所に住む大園鞠江とだけは家族のように接して来た。中学から同じ弓道部に通い、大学に至っても学部は違えど部活は一緒だった。

「僕は友人付き合いが苦手なので…」

 と答えたが、鞠江のことが浮かんでいた。しかし、普通の仕事ではない。遺体旅館の受付など想像も付かない仕事である。ファーストフード店やファミレスのように明るく「いらっしゃいませ!」と言える職場ではない。


 忠哉は大学キャンパスでも逸子の言葉が頭を離れなかった。

「どうしたの?」

 学食でボーっとしている忠哉に鞠江が声を掛けて来た。

「ターちゃん、お疲れのようね。アルバイト、どう?」

 彼女の言葉は絶対だ。忠哉は昔から鞠江には自動的に何でも話して来た。気付いたらボーっとしている原因を全て話していた。

「両親もあの旅館で初めて結ばれたんだ。そして僕が生まれた。父はあそこで始まり、あそこで生涯を閉じた」

「そこで亡くなったの !?」

「そうじゃなく、送ったんだ」

「送った?」

「父が亡くなった時、火葬まで2週間以上待たされた。長期間遺体を安置できる葬儀会社がなかったから困ってたんだ。そしたら鞠江が偶然、山の上に変な旅館を見付けたと言ってあの『禅乃楼』を教えてくれた。行ってみて思い出したんだよ。小さい時に一度、父に連れられて見に来たことのある旅館だってことを。偶然、オーナーの息子さんに会ってね。駄目元で相談したんだよ。そしたら父を預かってくれたんだ」

「すぐには火葬出来なかったのね」

「今は息子さんが継いでオーナーなんだけど、死者は夏場とか暮れに増えて、これまでにも度々ボクと同じような相談をして来る人が他にもいたそうなんだ。火葬待ちが1週間から10日は普通で、これからもっとひどい状況になるだろうって。だからそういう背景もあってあの時、試しにボクの父を受け入れてくれたんだと思う。今は死者とその縁者も泊まれる旅館になったけど」

「面白そうね」

「鞠江は気味悪くないの !? 」

「それって可笑しいでしょ? いつかは誰もが通る道なんだから。死んだらみんな幽霊になるの? 違うでしょ? 死体は生きてないけど火葬されるまでは普通の人よ」

「まあ…そうだけど」

「腐って醜くならないように、今はエバーミングとかの技術があるでしょ?」

「エバーミング?」

「防腐処理のことね。普通は火葬までドライアイスとかで冷却して遺体が腐らないようにするわよね。でもエバーミングだと1週間から10日程は大丈夫みたいよ」

 エバーミングとは、遺体を殺菌、消毒し、血液を防腐剤と入れ替え、更に腹腔内の体液を吸引することによって防腐処理をし、死後硬直なども防ぐ。入院などで青白くやつれて痩せた顔や身体を、元気な頃のように血色のある状態に維持したり、交通事故などによる遺体の痛みがひどければ修復する。アメリカでは土葬が多いため90%以上がエバーミング処理されているが、火葬文化の日本ではこれまで殆ど使われて来なかった。日本ではエバーミングに関する法律も存在せず、1994年にエバーミングを施したことに対し、死体損壊罪にあたるとして告発がなされたが、受理されず、エバーミングは死体損壊罪にあたらないと認められた事例もある。現在、日本遺体保全協会の基準では、エバーミングは “エンゼルケア” の目的と同様に感染予防対策としても大きな効果があるとされている。

「私、東日本大震災の時、ボランティアをしていたの。そこで篠原麻紀さんという人に会ったの。彼女は復元納棺師」

「復元 !? 」

「もともと看護師をしてらっしゃったんだけど、復元師になったそうなの。“復元納棺師”っていう名称は、篠原さんの復元に感動なさったご遺族が付けた名称なんですって」

「復元納棺師…」

「篠原さんは看護師のエンゼルケアに限界を感じたのね」

「エンゼルケア?」

「病院で亡くなった患者さんにする最後のケアね。天国へのお見送りのための正装のお手伝いって感じ?」

「看護師ってそんなことまでしなきゃいけないの !? …って、どんなこと?」

「昔はね、みんなお家の人がしたんだけどね。今はそういう習慣がないから、殆どの人は亡くなった家族をどうすればいいのか分からないのよ。知ってても嫌がる家族もあるのよね」

 “エンゼルケア” とは看護師が患者に行なう最期ケアである。患者が亡くなり、医師が家族に死亡時刻を告げるのはドラマでも目にする光景である。しかし、看護師にはその後にやらなければならない重要な処置がある。医師の死亡通知後、チューブや点滴を抜針し止血、口腔内のケアや腹部を圧迫し、尿や便を排出させてから全身を清拭し、創部があればガーゼで覆い、浸出液や排出物の流出を防ぐために、綿で、鼻、口、耳、肛門、腟などに詰め物をしていく。そうした処理が終わったら、最期の旅立ちの服装に着替えさせるが、一般的に浴衣が多い。襟は「左前」、帯は「縦結び」にするのが日本の死者に対する決まりごとである。そして、“死化粧” といわれる薄化粧や髪のブラッシング、男性の場合は髭を剃って整える。そして、患者の胸の上に両手を組ませ合掌させるが、左手の親指が身体につくように、左手を手前に組ませ、硬直するまでは包帯や合掌バンドで手を固定する。最期に患者の顔に白い布をかけて “エンゼルケア” は完了する。

「津波でね、上がった遺体は殆どが苦悶の表情で、遺族の方はその死を受け止められないんですって。でもね、復元によって穏やかな表情を取り戻してあげると受け入れるようになるんですって」

「特に子供はショックを受けるよね」

「最後の別れが恐怖の苦悶に満ちた表情だなんて、一生トラウマが残るわよね。誰も悪くないのに、後悔とか自分を責めたりとか…だから、せめて遺体が穏やかな表情だったら、なんとか死を受け止めることが出来るし、人は前を向けるのよね」

「…このバイト…オレなんかより、鞠江に向いてる」

「何言ってんの、ターちゃんは社長に見初められたんじゃない。それって凄いことよ」

「遺体旅館って繁盛するのかな?」

「ターちゃんはお父さんのご遺体を預かってくれるところがなかったんでしょ?」

「ああ、火葬場が混んでて…人口は減ってるはずなのに」

「人口は減っても、亡くなる方が増えてるのよ、きっと。それだけ需要と供給のバランスが崩れてるのね。団塊世代が亡くなる時期に来てるんじゃない?」

「…そうか」

 東京都福祉保健局によると、都内の年間死亡者数は約12万人とされる。1日300人以上が亡くなっていることになる。都内の火葬場は26カ所あるが、そのうち島嶼部とうしょぶにあるのが8カ所だ。高齢者の死亡のピークを迎える12月から1月は火葬が混雑を極め、新たに火葬場を建設する必要性に迫られているが、地域住民の猛反対がネックとなっている。

「私でもいいなら手伝うよ」

 鞠江は弁護士を目指していたが、既にこの秋に合格し、来春の卒業を待つばかりだった。

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