第24話 愛絆《める》

 検死が終了し、香奈枝の両親の遺体が『禅乃楼』別館に運ばれて来た。遺体は火災で判別出来ない程痛みが激しかった。別館の裏の安置室専用出入口から搬入されたにも拘らず、フロントのソファアで遊んでいた梨咲がいきなり立ち上がって安置室の方を向いた。

「あれは、お祖父ちゃんじゃない」

 フロントのくぬぎが梨咲の様子を怪訝に思い、事務室の香奈枝を呼んだ。

「梨咲ちゃんが変なことを…」

 香奈枝はすぐに梨咲が何かを察知したと気付いた。

「梨咲ちゃん、どうしたの?」

「お祖父ちゃんじゃない」

 香奈枝はピンと来た。ずっと不審に思っていた。木島旅館の火災現場から判別不明な男女二体の焼死体が発見され、それは久野夫婦であろうとされたが、久坂と安藤が木島旅館内に閉じ込めたのは、母の優子と木島旅館の主の木島貞五の筈である。その後、父は爆破をあきらめ、恐らく木島旅館に監禁されているであろうふたりを助けようと…正確には “利用し直すために” 助けようと駆け付けたとすれば、暴発による焼死体は3体の筈である。2体という事は誰かが爆発から脱出したということだ。梨咲が “お祖父ちゃんじゃない” と言っていることで、父と思われている遺体は木島貞五に間違いないだろうと確信した。香奈枝は梨咲の耳元で囁いた。

「梨咲ちゃん…そのことはママとの秘密にしようね」

「どうして?」

「お祖父ちゃんも、すぐに後で来るからよ」

「うん、分かった」

 梨咲は遊びに戻ろうとして再び振り向いて香奈枝の顔を見た。

「…ママ?」

「なあに?」

「あの人は誰?」

「誰かしらね。分かったら後で教えてあげるね」

「うん」

 梨咲は再びソファアの上でのお絵描きに戻った。香奈枝は徹人らがいる事務室に戻った。


 ソファアの上でのお絵描きをしている梨咲に話し掛ける老婆が居た。

「何を描いているの?」

「さっき来た人たち」

「黒くて誰だか分からないけど、それは誰なの?」

「梨咲のお祖母ちゃんと、知らない人」

「その人知ってるよ」

 梨咲は老婆に振り返った。そこには久野優子が立っていた。梨咲は老婆をじっと見てから聞いた。

「…あなたは、お祖母ちゃん !? 」

「そうよ」

 くぬぎはまた梨咲が見えない空間に向かって独り言を言い出したので、慌てて香奈枝を呼びに事務室に急いだ。

「じゃ、こっちの黒い人は誰?」

「それは木島さんという人よ」

「木島さん?」

「お祖母ちゃんのお友だちなの?」

「いいえ、お祖母ちゃんの知らない人」

「でも、同じ “ねんね(安置室)” の部屋に入ったよ」

「そうね。お祖母ちゃんも嫌なの」

「別々のお部屋にしてもらえるようママに頼んであげようか?」

「梨咲ちゃんは優しいね」

 梨咲は事務室から出て来た香奈枝を手招きした。香奈枝は梨咲の前にしゃがんで囁いた。

「なあに?」

「お祖母ちゃんがね、知らない人とは別々のお部屋に “ねんね” させてほしいって」

「知らない人?」

「木島さんっていう人だって」

 香奈枝はハッとした。

「お祖母ちゃんと話したの?」

「うん、そこに居るよ」

「…そう」

 香奈枝はゆっくり後ろを振り向いた。しかし、自分には母は見えなかった。

「まだ、居る?」

「居るよ」

「じゃ、お祖母ちゃんに伝えて? すぐに別々の部屋にするからって」

「分かった」

 香奈枝は立ち上がった。

「くぬぎちゃん、ごめんね。様子がおかしかったら、また教えてね」

 くぬぎは微笑んで頷いた。

「お祖母ちゃん、良かったね」

「ありがとう」

「お友だちが来たからバイバイ」

 梨咲はそう言って背を向けると、優子は消えた。少しするとまた梨咲の独り言がまた始まった。

「愛絆ちゃんはいつ生まれて来たい?」

「いつにしようかな?」

「早く生まれておいでよ。これからお祖父ちゃんとお祖母ちゃんがお母さんをいじめるから戦うの手伝ってよ」

「分かった」

 聞き捨てならない梨咲の独り言に、くぬぎは迷った。いくら何でも3回も立て続けに呼びに行くのはと思い、香奈枝に伝えるのをやめにした。くぬぎは梨咲の独り言にも慣れ、事務室に香奈枝を呼びに行くのは次第に減って行った頃、忠哉と鞠江が結婚することになった。そして、別館や葬の宿『岸の駅』の運営が軌道に乗り、その忙しさで二人の結婚式が先延ばしになっているうちに愛絆めるが誕生した。


 産後、暫く休んでいた鞠江だったが、愛絆を抱いて久しぶりの別館を訪れた。

「愛絆ちゃん!」

 梨咲が勢いよく別館に戻って来た。いつものように本館の自宅で梨咲の相手をさせられていたくぬぎが後から追い駆けて来た。

「すみません、ちょっと目を離した隙に逃げられて…」

「くぬぎちゃん、いつも厄介掛けちゃってごめんね! 駄目でしょ、梨咲ちゃん!」

「ねえ、抱っこさせて、抱っこ、抱っこ!」

「まだ首が座ってないから、梨咲ちゃんにだっこは無理なのよ」

「大丈夫だもん」

「いいわ、抱っこしてね。ずっと待っててくれたんだもんね」

「鞠江さん !? 」

「梨咲ちゃんなら大丈夫よ」

 梨咲は宝物のように愛絆を抱いた。香奈枝はもしものことがあったらと気が気ではない様子だったが、鞠江はすっかり弁護士の顔になって徹人に話し始めていた。

「お義父さまのことが何か分かりましたか?」

 徹人は驚いた。“お義父さまのこと” と聞いてきたからには、鞠江はここに収容されている2遺体のうちの男の遺体が久野秀徳ではないことを見抜いている。鞠江の透視力は相変わらずだと感心した。

「まだ分かっていないが、鞠江さんはどう思う?」

「不吉な予感しかありません」

 徹人も香奈枝も、鞠江の予感は恐らく合っているだろうと思った。しかし、久野秀徳は何をしようとしているのだろう。所在が分かるまでは優子の遺体をこのまま安置しておかなければならないが、相当に痛んでいるため、早く火葬にしなければならなくなりつつある。


 一週間経過しても久野秀徳の所在が明らかにならないので、仕方なく遺体の火葬準備を始めていた。

 今正いままさに鈴乃の待つ火葬場に遺体を安置した霊柩車を出発させようとしていると、車の前に久野秀徳が現れた。

「もしかして、中に私の妻がいるのかな?」

 同乗している香奈枝が車を降りた。

「もう、DV出来なくなったわね」

「夫の許可もなく勝手に火葬するのか?」

 徹人が降りて来た。

「お義父さんを待っていたんですけど、遺体の損傷が激しくて、これ以上保存が難しくなったんです。一緒に火葬場に行ってもらえませんか?」

「何故この男を同行させるの?」

「故人の旦那さんじゃないか」

「故人を殺した人間よ」

「私はスイッチを押していない! 私も被害者なんだ!」

「下手に助かりやがって、あの女と一緒に死ねば良かったのに」

「香奈枝!」

「同感だよ」

 そう言って久野はコートを脱いだ。体には優子と同じように時限爆弾が巻かれていた。

「おまえの言うとおり、一緒に死のうと思ってね」

 久野は時限装置のスイッチを持ち上げた。

「時限爆弾の大安売りだわね」

 その時突然、梨咲が飛び出し、久野から時限スイッチを奪って庭先に走り出た。

「お祖父ちゃん、鬼ごっこしよ! 梨咲に追い付いてこれを取りかえして!」

 梨咲はきゃっきゃとはしゃいでその場で飛び跳ねた。久野は焦った。

「あのガキは何だ!」

「私たちの子よ。とっても出来た子でしょ。お祖父ちゃんと遊びたいんですって」

 香奈枝が笑った。

「それ、お祖父ちゃんに返してよ…ね…えーと、名前は…」

「梨咲よ」

「梨咲 !? 」

 久野が香奈枝に振り向いた。

「生きていたのか !? 」

 香奈枝は微笑んだ。

「生き返ったのよ」

「生き返った !? 」

「お祖父ちゃん、早く! ここまでおいで!」

 久野は梨咲にゆっくり近付いて行った。梨咲は久野が近付いた分、はしゃぎながら距離を取った。

「お祖父ちゃん、遅い!」

「梨咲ちゃん、返してくれないと、お祖父ちゃん困るんだよ」

「じゃ、早くおいで! おいで、おいで!」

「お祖父ちゃん、怒るよ!」

 耐えきれなくなった徹人が叫んだ。

「梨咲ちゃん、そのスイッチをそこに置いて逃げなさい!」

「やだ!」

 梨咲は誰も知らないことを知っている。前世の母・佳桜里が袴田との二人目の児を中絶したことを。そしてその子の生まれ変わりが愛絆めるであることを。

「梨咲はこうするの」

 といって時限装置のスイッチを押した。鈍い音がして久野の体が大破しながら肉片と血飛沫が飛び、梨咲の顔まで届いた。

「お祖母ちゃん、これでお祖父ちゃんと一緒になれたよね。一緒に連れてってあげてね」

 久野の妻・優子の幻影は爆死した夫の傍で微笑んで頷いた。

「梨咲ちゃん、ありがとう!」

 別の世界の一部始終は鞠江にも見えていた。

「ターちゃん、一緒に火葬場に運びましょう」

 怯んでいる忠哉にもう一度嗾けた。

「何をボーっとしてるの !? 早く!」

 鞠江の指示に徹人と香奈枝が動いた。忠哉は慌てて作業を引き継ぎ、久野の遺体を霊柩車に安置し、鈴乃の元に急いだ。


 休業日の火曜の火葬場は静かだった。出迎えた鈴乃は法衣だった。霊柩車から3遺体が火葬炉に搬入され、鈴乃による除霊の錫杖経しゃくじょうきょうが始まった。

手執錫杖しゅじしゃくじょう當願衆生とうがんしゅじょう設大施会せつだいせえ示如実道じにょうじつどう供養三宝くようさんぼう…」

 経の途中、火葬炉に点火され “ボッ” という重い音が響くと、次第に火葬室内が不穏な空気に包まれた。除霊の攻防が過ぎ、鈴乃の汗が引く頃、久野秀徳・優子は完全に火葬封印されたらしく、いつもの落ち着いた火葬室の雰囲気に戻っていた。

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