第32話 勝利と絶望

「俺たちの勝利だ!! なぁにが海竜だ! 神すら怖くねぇ!!!」

「図体がデカいだけの畜生風情に負けるわきゃねぇわなぁ」


 ウツボモドキの首を蹴り、サン・リヴィアの海域を荒らしていた『海竜』の討伐完了を喜びあう船員たち。勝利ムードのなかでリューは『まだ戦闘態勢を解くな』と私に耳打ちをした。


 つまり、これでは終わらないリューはそう考えているのだろう。そして私もその考えに同意する。もし竜ならばこんな簡単に倒されてくれるはずがない。私は、集中力を研ぎ澄まし更なる戦闘に備える。


 ――ズドォンッ!!!


 巨大な地震が起きたかのように巨大な船が揺れる。割れんばかりの衝撃。船底に魔導障壁を張っていなければ、今ので撃沈しかねないほどの衝撃だった。


 人の希望を打ち砕く存在。それが竜。視認はできないが、その存在が私たちの船底にまで近づいていることは明らかであった。



   ◇



 船底から伝わる衝撃から、これから私が戦わんとする海竜が今まで報告されている中でも最大クラスの相手であるのは間違いない。


 黒竜紋を通して超質量の存在が海面に上昇し、いままさにその姿を現さんとしている気配を感じる。海はうねり、巨大な渦の中から……これから相対すべき敵の存在が現れる。豪華客船の船首の先に姿を表したのは……巨大なタコ。


「……神よ」


 船首の先に居た誰かが呟いた。瞬間、身体が爆ぜ飛んだ。……この海竜が直接何かをしたようには見えなかったが、恐らくアレがこの海竜の能力。


 姿をあらわした海竜の姿を見て理解した。私達が首を斬り落としていたウツボモドキは、このバケモノの触手に過ぎなかったと。


『アレは音だ。超指向性の音による攻撃』

「……音で、そんなことが可能なの?」


 リューが説明する。音とは、つまりは振動のこと。超指向性の音波を人体に浴びせれば、

 細胞レベルで摩擦が起こり、あのようになる。


『こいつが本体だ。過去の文献で竜の中に首を九本持つ奴が居たはずだ。確か……』

「ヒュドラ」


 ヒュドラ。多くの書物で描かれる有名な竜。だが、九つの首を持つという点は似ているが、その姿はあまりにも異なる。


『それだ。だけどこの未確認の竜は海棲だから……』

水のハイドロヒュドラで、ハイドラってところかしら?」

『異議なしッ! よしッ。そんじゃっハイドラを殺るぞッ!』


そう言い終えたあとに、少しバツが悪そうにリューは続ける。


『……あとな、せっかく気合入れた所で悪いんだが、話しておかなきゃならないことがある。そのだな……悪いニュースと、悪いニュースがあるのだが。どっちを聞きたい?』

「正直どっちのニュースも遠慮したいところね。でも良いわ、話して」


『まず、ウツボモドキが再生してきてやがる。更に悪いことに、徐々に船が海に引きずりこまれてやがる。更に更にこの船の動力炉な、さっきの衝撃でブッ壊れた……』

「……ちょっと。悪いニュース、二つのはずじゃなかったかしら?」

『そこは勘弁しろ。我もさすがに三つもあるなんてよぉ……気まず過ぎて……言いにくいだろ……ッ』


 冷静になれ。まずは事態を整理しよう。ウツボモドキは再生しかけているし船は動力炉が壊れ、更に海に引きずり込まれている。更に海竜ハイドラは不可視の音による攻撃によって甲板の上を破壊している。


(……これ。さすがに泣いていいかな?)


 そうも思ったが、そういう訳にはいくまい。まだ希望は残されている。この絶望的な状況の中で、再生しかけているウツボには砲撃手が対処している。


 つまり、私が相手をするのは海竜ハイドラ本体のみ。……楽勝だ。この膝の震えは、武者震い。決して、この状況に怯んでいるわけではない。顔をピシャリと叩き、自分に喝を入れる。


『タコには九つ脳がある。ウツボモドキもアイツの脳の一つだったのかね?』

「だとしたら潰すべき脳は残り一つね。簡単すぎて笑っちゃうわ」


 完全な強がりだ。だが、実際に口に出すと不思議と勇気が湧いてくる。


『ヒヒッ。笑ってすまねぇ。毎度のことだがあり得ねぇって思ってヨ』

「そうね。この状況もあのバケモノもあり得ない。悪夢にしても出来が悪い」

『ああ、全くだなッ』


 強力な竜は条理を超えた存在。一般的な尺度で評価できるような存在ではない。竜は狡猾で、慎重だ。自身を最上位の存在だと認識しつつも、決して侮らない。その竜が自身の本体を晒したということは……。


「生きて返すつもりはない。そういうことよね」

『小娘だけじゃなくて、この船の全員をナ』

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