第8話 這い寄るモノ

『小娘、オメェに鯉の滝登りの話したことってあったけ?』

「いいえ。覚えが無いわね。聞かせてくれるかしら?」


 リューは私の知らない多くのことを知っている。学校というところに通ったことがない私にとっては、ちょっとした先生のような存在でもある。


(まあ、先生なんて呼んだら死ぬほど調子にのるから言わないけどねっ)


 学校に通ったことのない私としては、リューが語る様々な書物の情報はとても有益だ。そういった面では、評価もしいている。「鯉。って湖の生態系を完膚なきまでに破壊したって噂のあの、鯉?」


『そうそう、って。……言い方ァ!? いやな、アレ昔は縁起物だったんだゼ?』

「そうなの? 食べても美味しくないし、湖を濁らせるからあんま好きじゃないかな」


『味とか、生態系の悪影響とか……生々しい話は一旦、横に置こう。…んで、話を続けるが、昔の偉い人が、鯉が滝に登ると龍になるって言ったらしい』

「鯉は龍になれないし、そもそも滝を登るなんて不可能でしょ」


『それはその通りだ。事実、鯉の滝登りってのは、不可能の例え。周りから見て同じように不可能と呼ばれるような偉業を成し遂げた奴を、龍として扱ったって話だ。ここでいう龍ってのは、立派な人間になったって意味だな』


「つまり、ちょっとは成長したってこと?」

『そうそう。まあ、身体の方は成長していねぇけどな!』


 私は無言でリューを岩に叩きつけた。


『イテテッ。まあ、痛覚はねぇけどヨ。つまりソレくらいありえねぇ。そーゆー話だァ』


『ぶっちゃけ、我。ここが死地だって覚悟決めてたんだゼッ? だけど人っつーのは案外なせばなるモンだなッ。自分で自分を褒めてやりたい気分だゼッ!』

「あなたにしては良いこと言うじゃない。まあ、あなたは剣だけど」

『うるせー。こまけぇーこたぁいいんだよッ!』


 死地を乗り越えたのは今日が初めてではない。その隣にはいつもリューが居た。そして、何かを成した後にこんな風にお互いに軽口を言いあうのだって……。



 ――ヒュッ



「……っ……え?」


 はらりと舞い散る銀色の髪。遅れて気づく。何者かに首筋を斬られかけていたことを。髪に触れる瞬間まで、それに気づけなかった。


 ――何が起こったのか理解が追いつかない。決して油断していた訳ではない。下位炎魔法【トーチ】で視界は確保済み。魔物が近づけないよう魔除けの共鳴石も展開している。


 さらにリューのソナーは可視、不可視を問わず、接近する魔物の存在を見逃すことはない。


(……切り換えろ。今考えるべきことはこの事態を乗り越えることだ)


 間違った対応をすれば、その時はすなわち、死。現状の正確な把握はない。理解すべきことは一つ。今まさに、現在進行系で不可視のナニモノかに殺されかけているということだ。


(……おかしい……。何かがおかしい)


 私は即座に、剣を自身の正面に垂直に立て、ひじを張る。王冠構えフィオーレと呼ばれる守りの構え。だが通常の幅の剣では相当の練度の物でなければ守りの型として使うのは困難なため、実戦では使われることは少ない。騎士が王に忠誠を示す儀礼的な構えというのが一般の認識であろう。


 だが、幅広で面が広いこの竜殺し包丁であれば、心臓、喉笛、頭蓋を護り敵の急所に対する攻撃を防ぐことが可能となる実践に向いた構えとなる。


 ――カァンッ


 再びどこからか不可視の攻撃を受けた。非常に重く、速い一撃。だが、剣で受け止めることで、おぼろげながら、私の命を狙わんとしているその武器の形状を理解した。


(おそらくは鞭のような形状の武器……)


「……、っ!!」


 タッ、地面を蹴り空中へ退避。私が立っていた場所は深く抉れていた。回避に失敗していれば、両足ごと持っていかれただろう。


(……チッ。急所狙いから、足狙いに変えてきたか)


 王冠構えフィオーレで対応できるのはあくまで急所のみ。無防備な足を狙われれば、足ごと斬り落とされる。……ナニモノかの襲撃を受けている。なのにその相手が分からない。音もなく、一撃で命を狙う不可視の存在。


『――タニア! 俺を力の限りにブン回せ!』


 不可視の魔物に当てようとせず、ひたすら竜殺し包丁を横薙ぎにブン回す。目的は二つ。一つは、不可視の存在から距離を取るため。もはや、急所のみの守りの型は意味をなさない。そして、もう一つは……。


「――隠れんぼは、もう終わり。見つけたわよっ!」

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