第19話 ソフィア

 私は竜殺し包丁の切っ先をハイエルフの女に向ける。


「おやまあ、断りもなく刃物を向けるとは。人に刃物を向けてはいけない。子供の頃、そう教わらなかったのでしょうか。品性を疑います。でも、仕方ありませんよね。きっと、貴女のご両親の教育が悪かったせいでしょう。貴女に罪はありません。今後、気をつければいいのです。無知は恥ですが、無恥よりはマシです」


 女は手に持っていた本をパタリと閉じ、私の方に目を向け、まるで思い出したかのように手をポンと叩く。


「あぁ、そうですね。私たち初対面ですし、まずは自己紹介をしなきゃですよね。私の名前はソフィア。礼節は人としての基本ですしね。あぁ、でもあなたの自己紹介は不要かしら。だって、あなたはここで死ぬのだから。うっかり自己紹介されたら、無駄な知識が頭に入ってノイズになるでしょ。だから、あなたの自己紹介はいりません」


 ソフィアと名乗る女はカツカツと礼拝堂を歩き言葉を続ける。


「人はやがて土に還ります。それはこの世の理、定められた運命。私はそれを少しだけ早めてあげただけのこと。彼らは、生きていても何も生み出さない、価値のない存在でした。ですが、死によって、彼らの存在は意味ある物になりました」


 女は祭壇を離れゆっくりと歩く。


「生きていれば苦しいことや悲しいことがあります。この世界はあまりに不完全で、特に彼らのように血が汚れた存在はその不完全な世界の中でも極めて、有害なゴミでした。ゴミのように意味も価値のない存在を苦役から解放してあげるのもまた、慈悲ではないでしょうか。大いなる存在のための犠牲になれたのです。むしろ幸せだった、そう思いませんか?」


 死者を冒涜する言葉に怒り、私は叫んだ。


「こんなの、あんたの信じる神だって、望まないはずよっ!」


「ふふ。残念です。あなたとはお友達にはなれそうにないですね。この行いは、全ては創世神アウローラ様のための行為。ですが、私の崇高な理念は、あなたのような品格も教養もない、虫けらには理解などできないでしょう」


「私だけじゃないわ……。この世界の誰もあんたのことを理解なんてできないわ!」


「でしょうね。私が理解され、正しく評価されるのは死後のこと。偉大な人間が正しく評価されるのはいつだって死後。私はそれを理解しています。たとえ、私の行いが、アウローラ様の意に反する物だとしても、最終的にお役に立てるのであればそれで良いのです。言われたことしかしない人って無能です。私は自分の頭で考え、行動し、常に最善を尽くしてきました。たとえそれが教義に反することだとしても。それこそが真の信者としてのあるべき姿」


『ブッ壊れてやがるッ。ここまで話が通じねぇ奴がいるとはな……』


 女は何かを思い出したかのように自分の胸元のあたりをあさり…。


 ――ヒュッ。


 ナイフが髪をかすめる。はらりと銀色の髪が舞う。……ガラスのような透明な素材で造られた、視認が困難な暗器。


「あらあら、外しちゃいました。自慢の暗器だったんですけどね。残念です。少し掠めただけで致死に至る毒を塗った自慢のコレクションの一つだったのですが。……でも、毒で死ねなかったあなたが本当に運良かったのか。それとも、悪かったのか。どちらでしょうね。まるで哲学的な問いのようです。……ですが、心配しないで下さい。その解は、間もなく身をもって理解することになるでしょうから」


 竜殺し包丁を構え、一気にこの女との間合いを詰めようと思った瞬間。……理屈ではなく本能的に、死を直感し。足が止まる。


 ――ドゴォン


 私とソフィアという女の間を隔てるかのように巨大な樹が生える。おそらく、ソフィアという女は私が動く瞬間を見極め、この樹で串刺しにして一撃で葬るつもりだったのだろう。


 狂気に飲まれているようで、どこまでも正気。……樹はドンドン巨大になり、礼拝堂の天蓋を突き破り、醜悪に蠢く巨木となり、花を咲かせた。枝を彩る花の色は、儚い桜色だった。

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