第42話 旅立ち

 レオンが目を覚ますと、高い天井の木目が目に入った。部屋には窓から明るい陽が差している。次にレオンが横になっているベッドの横に、美しいが疲れ切った顔のメイドが目に入った。


「ここは?」

「お目覚めになったのですね。ここはルードヴィヒ様のお屋敷です。私はコリアンヌと申します」


 聞き覚えのない名前に慌ててベッドから体を起こすとわき腹が激しく痛む。


「まだ、起き上がるのは無理です」


 メイドの声は固く緊張の色が見える。


「助けてくれたのか?」


 いや、違う。あの時リアがいた。彼女がヒールをかけてくれたのだ。


「あんたは何者なんだ? リア様には丁重に扱うように言われたが」


 男の詰問するような低い声が聞こえる。見ると戸口にガタイのよい騎士がたっていた。腰に佩いた剣の柄に軽く手を添えている。レオンを警戒し牽制しているのだろう。


「私の名はレオン、アリエデ王国で神官をしている。ここはクラクフ王国内か?」

「そうだが、あんたは何の目的で、密入国したんだ」


「フランツ、やめて。彼はまだ回復していない。それにリア様に彼を介抱するように頼まれているのよ」

「しかし」


 フランツと呼ばれた騎士は不満なようだ。明らかにレオンに敵意を抱いている。しかし、今はリアの事の方が先だ。


「リア、そうだ。リアにすぐに逃げるようにいってくれ、彼らは無理やりリアを連れ戻そうとしている。彼女はいまこの国でしあわせなのだろう?」


 リアの身を案じるレオンの言葉に、フランツとコリアンヌは思わず顔を見合わせる。リアからはレオンは絶対に敵ではないと聞いているが、状況が状況だ、異邦人をあっさりと信用できない。ルードヴィヒの誘拐に関与しているのではと考えた。

 だが、この様子だと、彼は敵ではないようだ。二人はそろって頷きあうとフランツが口を開く。


「どういった経緯があったのか聞かせて貰えないか?」


 レオンはことの顛末を二人に聞かせた。自分の失態も崩壊しかけているアリエデの様子も余すことなく伝えた。



 そのあとレオンは二人から、今この屋敷で何が起きているのかを聞いた。






 レオンは目を覚ました翌朝、借りた旅装に身を包んでいた。


「あんたも頑固だな。そんな体で、アリエデ王国に戻るのか」


 フランツの言葉にレオンが勝気そうな目を向ける。

 彼の顔色はいまだ青白い、大量に出血したから血が足りないのだろう。


「なら聞くが、あなたは、あの森を一人で抜けられるのか?」


 無理だ。なぜかあの森は、抜けられない。気づくとマルキエ領内に戻っている。どうしてもアリエデに入れないのだ。


「案内、よろしくな。神官レオン」

「腕に覚えはあるんだろうな? フランツ」

「当たり前だ。俺はクラクフの騎士だぞ!」


 コリアンヌは二人のやり取りに若干不安を覚えつつ、声をかける。


「二人とも喧嘩しないでくださいね。体力も使いますし、お腹もすきますよ」

 

 フランツはもともとやんちゃな所があるし、レオンも利かぬ気のようだ。

 コリアンヌがどれほど止めても二人の男達は行くと言って聞かなかった。しかし、弁当は二人とも素直に受け取る。


 レオンは丁寧に礼を言う。この恩は忘れないと。なんだか、この神官、律儀で育ちがよさそうだとコリアンヌは思った。きっと高位貴族の令息だろう。


 リアが前にチラリと言っていたアリエデで唯一助けてくれた神官が彼なのかもしれない。その思いは確信に近かった。


 リアには伝えていないが、この国には呪いを受けた王族が攫われた場合、救出しないという不文律がある。だが、フランツはルードヴィヒの騎士だ。だから主がどこに行こうとついて行くのみ……と言ってきかない。


 コリアンヌは早々にフランツの説得を諦めた。



 不安ではあるが、フランツはかなり強い。とりあえずレオンを信じてみようと思い、彼らの姿が森へ消えるまで見送った。


 主のルードヴィヒも優しいリアも、きっと無事だとコリアンヌは自分に言い聞かせた。








 ジュスタンは、王都からとんぼ返りするように、惑いの森を目指していた。あの森は一人でも抜けられる。 


 結界が弱まっているいま、レオンの力など、信仰など関係なく抜けられる。彼はそのことに気付いた。そしてそれに気づいているのが自分だけというのが愉快だ。フリューゲルもニコライも何も知らない。いまだにこの国が他国に攻め込まれないと信じ込んでいる。


 本当はルードヴィヒを餌にリアを王宮に連行し、ニコライに引き渡す約束だった。しかし、ジュスタンはその約束を破る。

 

 フリューゲルの方が美味しい条件を持ってきたからだ。だから、リアは無理やり捕縛し神殿に引き渡した。

 彼女の抵抗が激しく、かなりひどく殴ってしまったので、神殿に連れて来た時には意識がない状態だった。


 フリューゲルは怒ったが、約束の金子きんす……いやそれ以上を強奪するように奪い取ってきた。あの生臭坊主はうなるように金を持っている。私利私欲を満たすために神官長に上り詰めた男だ。


 いまジュスタンの持つ行李には金がぎっしりと詰まっている。愚かな国王ニコライはリア奪還に成功したら領地をくれるという。だが、ジュスタンには必要ない。この国は日に日に落ちぶれて行く、そのうえ他国の、それも大国の王子を攫ったのだ無事でいられるわけがない。滅ぼされるのも時間の問題だ。


 アリエデ側は結界があると高をくくっている。だが国を守る結界の力が弱まっていることにクラクフ王国が気付けば、報復が始まるだろう。いや、すでに気付いているかもしれない。とにもかくにも愚かな者達について行くなど真っ平だ。


 それにリアはあの時神聖力を使わなかった。否、使えなかったのだ。彼女にはもう聖女としての力はない。この事実は伏せている。フリューゲルは知らない。


 ジュスタンはこの国からおさらばするつもりだった。生意気で邪魔なレオンを片付けたあの森を抜け、この資金をもとに新たな生活を始めるのだ。

 

 そして、いち早くアリエデの情報を売り、クラクフに味方し、手柄を立て爵位を貰う。

 もとが貴族だ。爵位を貰うのはたやすいだろう。大国とアリエデは貴族の格も違うはず。ジュスタンは微笑んだ。彼だけがこの滅びゆく国からの逃亡に成功する。後は皆沈む。


「ふふふふ、あははははは!」


 腹の底から笑いが漏れる。痛快な気分で灼熱色の髪をなびかせ馬を走らせる。



 城からは一番の駿馬を盗んできた。もうあの城もおしまいだ。国に尽くした分、このくらい微々たるものだ。


 惑いの森の入口につくと、ふと妻になる予定だったカレンを思い出す。すっかりおかしくなってしまい、黒の森付近で閉じ込められているという。神殿も実家も彼女の受け入れを拒否したからだ。あの女に未練はない。


 それにしてもプリシラと置いてきた聖騎士達の醜聞は最悪だった。表向きに伏せられているが、彼らのうち数人はプリシラの色香に惑わされ、唆され言われるままに彼女を連れて黒の森から逃亡を図った。

 逃げる途中で複数の魔物に襲われ、大けがを負い、プリシラは魔物に体の半分を喰いちぎられこと切れたという。危うく、こちらが騎士たちの管理責任を問われてしまうところだった。


 こうなっては仕方がない。


 クラクフ王国で手柄をたて、美しい伴侶と肥沃な領地を得よう。

 

 ジュスタンは意気揚々と惑いの森へ踏み込んだ。




 





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