第46話 追放聖女
フリューゲルは俗物ジュスタンに褒美をちらつかせ、リアが来るのを待ち詫びていた。
聖女に
それが日々刻々と広がりをみせ、最終的に体全体に広がり始め、顔の上半分を覆うようになる。
一応医術をたしなむ者に多額の金を積んで診てもらったが、このような病は見たことも聞いたこともないと言う。残念な事に、この国には聖女がいるため医術が発達していない。
嫌な予感がして、文献をあさると秘匿されている文書に、神官の不信心が呼ぶ病とあった。別名「聖女の呪い」である。やがて皮膚が盛り上がり、こぶができ膿が出て腐っていくという。恐ろしい。
(そんな馬鹿な。不信心な神官などいくらでもいる。なぜ、私が?)
フリューゲルはこのような病は初めて見た。真の聖女を追い出したからか。しかし、追い出したのはニコライである。自分はリアを追い出すための情報を提供しただけだ。たった、それだけでこんな目に?
このような不名誉なことは誰にも話せない。それに不信心が原因などと文献をみても信じられない。
(リアをこの国に連れ戻し、この病を彼女に癒させなければならない)
幸いニコライも己の体調不良のためリアを国に呼び戻したがっている。彼女のヒールなら完璧に癒せるはずだ。
♢
リアはカルトリ神殿の祈祷室という名の地下牢で目を覚ました。
ジュスタンや兵にひどく打たれたからだが痛む。起き上がるとじゃらりと冷たい鉄の感触がした。
「やっと目覚めたか。護国聖女よ」
聞き覚えのある不快な声音に慌てて身をおこすと、リアの全身に痛みが走った。
腕は冷たい鉄枷で繋がれている。
「まったく、ジュスタンがひどいまねを」
声のする方向に顔を向けると長いローブにフードを目深にかぶったフリューゲルが立っていた。
以前よりも痩せて衰えて見える。
「フリューゲル様、これは一体どういうことなのですか? なぜ私は牢に繋がれているのです」
リアが動くと腕に嵌められた鉄枷がじゃらりとなる。鎖の先は壁に埋め込まれ、ひっぱっても鉄格子に触れるところまで移動できない。その直前で止まる。
「いや、ジュスタンには丁重にリア殿をお招きしろと言ったのだが、行き違いがあったようだ。とりあえずは貴殿の誤解が解けるまで、しばしこのままで話をしよう」
フリューゲルはリアの神聖力の一端を知っていた。そして彼女がかなり強いことも、だからここで鎖を外した彼女と相対するのは危険だ。まずなだめすかし、己の病を癒させる。
それから、騎士や兵士を呼んで、王宮に連れて行けばいいと考えた。王宮より先にここにリアがいた理由はジュスタンのせいにでもすればいい。国王ニコライは愚かだ。
リアとフリューゲルは牢の中と外で対峙している。
「ルードヴィヒ様はどこです!」
リアはフリューゲルのいう事を聞く気がなく。ルードヴィヒがいないことに腹を立てている。
「あのお方ならば、今は王宮にいる。陛下がもてなしていることだろう」
「嘘ばっかり! ルードヴィヒ様は普通の体ではありません。なぜこのようなひどいことをするのです! あの方になにかあったらどうするおつもりですか!」
彼女の青紫色の美しい瞳が怒りに燃える。
「リア、貴殿が私の体を癒せばすぐにでも彼をここへ連れてこよう」
「そんな。まさか、そんな事のために、ルードヴィヒ様を攫ったのですか!」
リアの瞳が驚きに見開かれる。
フリューゲルはリアの強情な態度に腹が立った。少なくともこの神殿にいたときの彼女は従順であった。きっと隣国の第二王子に甘やかされたのだろう。それでこんなにも失礼で生意気な娘になってしまったのだ。
聖女を甘やかすなどもってのほか、そんなことをすれば彼女たちは自分たちが特別なものと思い込み、勘違いし、神官のいう事など聞かなくなる。絶対に神聖力の強いものを褒めてはならない。
クラクフの者達は聖女の扱い方も知らず何と愚かな真似をしたのだろう。
「お前には分かるまい。この病の恐ろしさが。リア、お前も知っての通り、私はこの国にはなくてはならない人間だ。
陛下はまだ年若く、経験不足だ。今この国は未曽有の危機に瀕している。私が病で倒れるわけにはいかないのだ。それともお前は自分を育てた祖国を見捨てるのか」
「意味が分かりません。私は追放されたのです。見捨てたのはあなた達でしょう! 手前勝手ことを言わないでください!」
リアはケガを負っていてもなお美しい。まるで生まれ変わったようだ。だが、性格はすっかり変わってしまった。以前はここまではっきりものを言う、我が強い娘ではなかった。
「なんてことだ。聖女リアよ。お前はクラクフ王国で嘘を吹き込まれ、贅沢を覚えさせられ、堕落した!」
「確かに堕落したのかもしれせん。私はもう聖女ではありませんから。だから、病気の治療など神殿の聖女に頼んでください。癒すのは、私である必要はないはずです」
リアが訴える。
「何を言う。お前はこの国唯一の護国聖女だ。あの追放劇はすべてお前の姉プリシラが世間知らずな国王陛下を誑かしておこした過ちだ」
フリューゲルはリアの説得を試みながらもイライラとしてきた。今すぐに彼女がヒールをかければ、自分の病は治る。この不快な症状もあっという間におさまるのだ。それなのにいつまでたってもルードヴィヒに会わせろとごねる。
ならばと思い。フリューゲルはフードを脱ぎ捨てる。
フリューゲルの青黒い肌がぼこぼこと膨れ、黄色く濁った膿がとろりと流れる。とめどなく溢れる腐臭、恐ろしく醜い肌に、リアが驚き息をのむのが分かる。
「今すぐ、病を癒してくれ、さすれば、お前の言う通りにする。ルードヴィヒ殿下をすぐにでもこちらにお連れする。丁重にクラクフ王国にお送りしよう」
リアがフリューゲルのこの世のものとも思えぬ醜い姿に一瞬たじろぐ。しかし、気を取り直し反撃に転じた。
「そんな話信じられません。あなた方は直ぐに嘘を吐く。
それに、その病はいったい何なのです? 見たこともありません。聖女に癒せないのならば、それは死病か、呪いなのではないですか?」
その可能性にフリューゲルはいままで必死に蓋をしてきた。
ニコライの頭痛や老化より、ずっと重症だ。ガーゼをマメにかえなければ、膿は衣服の上に染み出てしまう。ずるりと皮がむけるときのひどい痛みと不快感、腐臭。そのうえ、治療用のガーゼすらこすれて痛い。
しかし、聖女リアに死病か呪いと言われてしまうと、このままに腐っていくのかと認めてしまいそうになる。だが、絶対に諦められない。まだ、死にたくない。
フリューゲルの執務室にある金庫には強欲なジュスタンに少し奪われたものの、まだ使いきれないほどの金貨が眠っている。それを使わずに死ぬわけにいかないのだ。
その上ニコライは愚かな王で役に立たない。フリューゲルがこの国の愚かな民を引っ張っていかなければならないのだ。そのためにもこんなところで死ぬわけにはいかない。
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