第45話 引き換え

 ニコライは相手が聞きいる姿に得々として話を続ける。


「引き換えとは、等価交換。つまり、兄王子達の子孫、クラクフ王族の誰かが過去の罪を負うのだ。貴様の足は矢で打たれたかのようにひどく痛むであろう。高い熱がでて全身が焼けるように苦しくないか? ふふふ、死ぬまで業火に焼かれるがいい。祖先の悪行に苦しめ」


 ニコライがあざ笑う。しかし、ルードヴィヒの表情は涼やかなままだ。ニコライはそんなルードヴィヒの様子に妙に緊張し、喉の渇きを覚えた。紅茶を一息に飲みほすと何かに突き動かされるようにまた語り始める。


「それからクラクフの兄王子たちも民も、何人たりともアリエデに入れなくなった。東の森を抜けようとしても南の地に迂回しようとも一向にアリエデに入れない。まるで透明な壁に阻まれているように。それが結界の完成だ」


「なるほど。ずいぶんとアリエデ側に都合がいい話だな。クラクフはすっかり悪者だ。だが、なかなか興味深い話だったよ」


 ルードヴィヒが端整な顔に艶やかな微笑を浮かべる。本当に茶会を楽しんでいるようだ。その余裕に焦りを感じる。囚われているのは彼で、こちらが優位に立っているはずなのに。だから余計にイライラする。


「その身に呪いを宿しているのに今の話を信じないとでもいうつもりか? 呪いはお前らクラクフ王族の過去の業だ。骨の髄まで苦しむがいい!

 その余裕ぶった態度、腹が立つ。地下牢に繋がれてもなお己の立ち位置がわかっていないようだな。ここで貴様の首をはね、生きているふりをして、クラクフを脅すこともできるのだぞ!」


「クラクフは脅しには屈しない」


 ルードヴィヒはニコライの恫喝に眉一つ動かさない。


「何を言っている? お前はあの国の王子で、人質だ。まあ明日拷問の上処刑する予定だがな。いや、処刑はリアの到着にあわせよう」


 ニコライは目に残忍な色をぎらつかせる。


「クラクフは取引に応じないし、リアが来ることもない」

「何を言っている? 随分リアとは仲が良いのだろう。絶対にお前を迎えに来るはずだ。すでにその手はずは整っている」

「なるほど」

 

 何をいっても揺らがないルードヴィヒにニコライは揺さぶりをかけたかった。


「どうやら貴様の国には獅子身中の虫がいるようだ。情報を売ったのはお前の兄か弟かも知れん。裏切られた気分はどうだ?」

「くだらない。私がマルキエ領で悠々自適に暮らしていることは知っている者も多い。秘密でも何でもない」

「ちっ」


 ニコライは舌打ちをする。ルードヴィヒの言う通りだった。王宮の守りは固く、そこからは情報など得られなかった。だが、ニコライはもともと、クラクフ王族の不治の病は呪いだと知っている。伝承のお陰だ。


「クラクフは合理的な国だ。呪いでいつ死ぬかもわからぬ王子を助けるわけがないだろう? ましてやそれを取引材料につかおうなどと」

「はっ! 何を言っている。それでは国の沽券にかかわるだろう!」


 ニコライはルードヴィヒの言葉を遮った。おかしい。この場も彼の命もにぎっているのはニコライのはずだ。それなのにルードヴィヒに気圧される。この一人では歩くのもおぼつかない男に主導権を奪われそうだ。


 ルードヴィヒがニコライの焦りを見透かすように微笑む。妙に迫力があり、ニコライは一瞬彼の気にのまれた。


「国の沽券? もちろんクラクフからの報復はあるだろう。だが誰も私を救いに来るものはいない。これはクラクフの不文律。我が国と国交のある国の長は皆知っている。

 呪われた王子がクラクフにとって、どれほど無価値なものかを。

 私は国にとってもいつ死んでもいい人間だから、自由なのだよ。今すぐに死ぬかもしれない者をいったい誰が守る? 私の命は虫ほどの価値も持たない。

 

 愚かだな。外交をおろそかにし、視野狭窄に陥いり、自国の崩壊を早めるとは。早晩アリエデはクラクフに占領される。少しは民のことも考えて、今のうちにお前の首を差し出してはどうだ?」


「貴様、いい加減にしろ! この国には鉄壁の結界があるのだ。侵略など不可能!」


 ニコライが癇癪を起こし、テーブルを拳で叩く。さきほどから頭痛がひどく耳鳴りがする。まるで頭の周りに羽虫が飛んでいるかのように鬱陶しくてイライラする。それにルードヴィヒが態度がとにかく気に障る。この尊大な男はなんなのだ。リアが来るまで待てない。今すぐ口ばかり達者で無力なこの男を捻り殺したい。抑えられないほどに殺意が膨れ上がる。

 するとルードヴィヒが急に声を立てて笑い出した。


(こいつ、一体何なんだ?)


「滑稽だな」

「貴様……今何と言った」


 ニコライが歯ぎしりする。


「滑稽だと言ったんだ。茶会というから何かと思えば、子守歌のようなくだらないおとぎ話に付き合わされる羽目になるとは、この国の王族も随分と落ちぶれたな。お前は、もうおしまいだ。ニコライ」


 落ちついた声に穏やかな表情、端正で美しい顔から紡がれる毒に、ニコライの怒りと憎悪が頂点に達する。彼の堪忍袋もそこまでだった。


 ニコライは立ち上がるとそば近くに控えていた護衛騎士から剣を奪い取る。静かに座しているルードヴィヒに向い上段から切りかかった。


「死ねーーっ!」


 しかし、次の瞬間、ニコライの視界がぐるりと回転した。一瞬、何が起こったのか分からならない。

 景色は反転し、ニコライはからりと晴れた青い空を見上げていた。なぜこうなった。


「随分と不思議そうな顔だな。この程度の体術を仕掛けられてもわからないか? 大したことではない。お前が私に向かってくるのは予測していた。勢いよく突っ込んでくるお前の足を引っかけただけだ。今の私にもこの程度なら出来る」


 そう言うとルードヴィヒは立ち上がり、ニコライの手首に触れた。それほど強く掴まれたわけでもないのに、剣がニコライの手から滑り落ちる。


「ひっ」


 訳の分からぬ恐怖を感じニコライは短い悲鳴を上げた。


「なるほど。等価交換か。伝承では何を差しだしたんだ?」


 ルードヴィヒの言葉にニコライの瞳は恐怖に見開かれる。


「ニコライ、お前は契約を違えた。

 リアはずっと私が助かるようにクラクフの地で祈りを捧げてくれていた。そしてこのアリエデの地で同じ王族の血を引くお前と私が出会った。

 護国聖女の追放は契約の不履行。呪いは返るだろう。お前たちはいったい何と契約を交わしたのだ。精霊とはそれほど恐ろしいものなのか?」


 その瞬間ニコライは焼けるような痛みを全身に感じた。触れたルードヴィヒの手から、呪いが数百年の時を越え返ってきたのだ。



 ニコライはカラムの天啓は真実だったと、身を持って知ることとなった。

 父は正しかった。


 そして、ルードヴィヒがニコライより先に伝承の意味を解し、語られていない真実に到達した。

 伝承には続きがあったのだろう。それが時とともに風化し、消えた。

 呪われたクラクフの王族とアリエデの王族は絶対に出会ってはならなかったのだ。


「なぜ、私は……呪われた貴様をこの国へ……いれたんだ?」


  ニコライが庭園の芝に転がったまま、視線をさまよわせ、しわがれた声で問う。


「呪われた私がアリエデの地を踏めたという事は、聖女を追放した時点でこの国は終わっていたのだ。いままでお前たちを守っていた結界が牙をむき、やがて消失するだろう」


  ルードヴィヒが答える。すると突然ニコライがのたうち回り始めた。 


「ああ……煩い、煩い。私に命令するな! 羽虫が纏わりつく。ぶんぶんと飛び回る。助けて、助けてくれーー!」


 熱に浮かされたように喚き、芝の上を転げまわる。すると彼のカッと開いた口から、両耳から黒い羽虫が連なるように幾匹も群れとなって飛び出した。


 その瞬間庭園にいた従者や騎士、メイドから悲鳴が上がった。





 


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