第43話 選別の森
ジュスタンは一歩森へ踏み込んだ。
するとお馴染みのプレッシャーを感じる。しかし、それも馬を西へ進めればいいだけだ。ジュスタンは馬を駆って一気に森を駆け抜けようとした。だが道半ばで、その目論見は外れる。
途中で、馬が瘴気に耐え切れず暴れだしたのだ。馬を捨てるしかない。ジュスタンは舌打ちした。
重い金貨を持ち歩くのは骨が折れる。こんなところで作戦変更などありえないが、アリエデに帰るのは危険すぎた。彼の所業がばれるのも時間の問題。
だが、馬で駆け抜ける作戦はほぼ成功したも同然、もうすぐ森はクラクフ側に差し掛かる。
ジュスタンは森をそのまま進むことにした。西へ向かえば、クラクフに抜けられるはずだ。しかし、しばらく歩いていくうちに異変を感じた。魔物の匂いが濃くなっていく。やはり、徒歩では襲われる危険が高いのだ。
気配を殺し移動したつもりだが、いつの間にかすぐそこまで魔物がせまっている。このまま逃げ切るのは無理のようだ。
ジュスタンは行李を下ろすかどうか迷う。敵にかなわなくて離脱するとき、行李を回収できないデメリットを考えていた。
そうこうするうちに獣臭が強くなる。前方の深い茂みがガサガサと音を立て揺れる。姿を現したのは前回と同じベヒモスだ。しかし、小型のものが一体。
これならば何とかなる。何もとどめを刺す必要はない。いったん行李を置いて、ベヒモスを弱らせてから、再び行李を回収し離脱すればいいだけだ。奴の足を傷つけ、ここからすぐに離脱する。彼は魔物から逃げ出すのは得意だ。今までもそうして戦渦をくぐり抜けてきた。
ジュスタンは慎重に間合いをとり行李を降ろすと、剣を抜き放った。いつものように祈りを唱え、剣に神聖力を纏わせる。
ところがいくら祈りの文言を唱えても剣は鉄の塊のまま、どういうわけか加護が受けられない。これでは固いベヒモスの皮を切り裂くことは出来ない。
ジュスタンは初めて焦りを感じた。聖騎士の剣は繊細なものだ。もともと神聖力が込めやすいように作られている。固いものを切れば、あっさり刃こぼれしてしまうだろう。
神聖力がなければ、いくら剣技があってもベヒモスレベルの魔物に太刀打ちできない。
悔しいがここは逃げるしかない。幸いジュスタンは足が速い。ベヒモスに背を向け、金貨の詰まった行李を諦め、全速力で駆け出した。金貨を持っていきたい思いをぐっと抑え、前を向く。
すると今度は前方の茂みの闇に、何対もの赤い眼が浮かび上がった。ジュスタンはハッとして足を止める。唸り声が聞こえる。ガルムだ。逃げ道を探すべく振り返るとベヒモスが二体に増えていた。向かう先にはガルムの群れ、後ろにはベヒモス。
どちらも神聖力が使えない今は太刀打ちできない。いや使えたとしてもこの魔物の多さでは対処しきれない。
リアもレオンも、盾になる騎士や兵士たちもいない。腕のたつレオンを早くに始末しすぎただろうか。だが、彼は仲間にするにしても、生かしておくにしても清廉過ぎた。
ジュスタンは魔物を前に初めて恐怖に打ち震える。額に脂汗が滲んだ。
「馬鹿な……。私は有用な人間だ。こんなところで朽ちるわけにはいかない」
ガルムが一頭、ジュスタンにとびかかる。とっさに横に避けたが、爪で左腕を抉られた。いつかのレオンのように。
激しい腕の痛みに、動けなくなる。身体に激しい震えが走る。
「くそっ。誰か、助けてくれーーっ!」
恥も外聞もなく叫ぶ。ただただ恐ろしい。そうしている間にもどっどっどっと背後から、ベヒモスが迫りくる。足が恐怖でもつれ、逃げきれない。
「うわあああ!」
ジュスタンは恐怖の断末魔を上げた。
すると視界が突然暗くなり、生臭い粘着液が顔や体にまとわりつき、息が止まった。腹を裂かれるような激痛が走り、ゴリゴリと骨が砕かれる音が頭蓋に響く。
想像を絶する焼けつくような痛みと苦しみ、粘液に包まれ息ができない。
意識が闇に飲み込まれる瞬間、己がベヒモスに頭から喰われたのだと気づいた。
♢
そのころレオンとフランツは森を抜けている最中だった。そろそろアリエデ側に入る。
「随分とヴァーデン側は平和なのですね。アリエデ側の森は魔物だらけです」
「まあな。ここでルードヴィヒ様とリア様は毎日のように森にはいり、木の実や果物、キノコを採取していた。時にはガルムを狩り、よくお二人で、庭で魔物を捌き、火であぶって食べていたよ」
フランツの言葉にレオンが驚愕する。
「なんと! そんな野生的な暮らしをしていたのですか。もう少しこの国は進んでいるかと思っていたが、随分と原始的なのですね」
「何を言っているんだ、レオン! それは違う。狩りは貴族的な楽しみだ」
「アリエデにはそんな原始的な貴族はいません。しかもルードヴィヒ様はこの国の第二王子なのですよね。そんなお方が気ままに森を散策し、魔物を捌くなど」
レオンはカルチャーショックに陥っていた。そんなレオンの様子をフランツは面白そうに見る。
「そう言えば、あんた、年はいくつだ」
「十七です」
するとフランツがにやりと笑う。
「ふっ、勝ったな。俺は十九だ」
「二つくらい上だからって何だと言うのです。年に勝ち負けなどないでしょう」
口ではそう言いながらも、レオンは悔しそうな顔をする。二人が他愛無い話をしていると、茂みから不自然な葉擦れが聞こえてきた。
「ふん、噂をすればだな。ガルムの群れだ」
「五、六頭というところですね」
「俺は右から、叩いていく。あんたは俺のサポートにつくか? それとも見てるか?」
「結構、左から行きます」
サポートや見学など心外とばかりに即答する。
「おっしゃ! 頑張れよ。
「ケガするなよ。おっさん」
フランツの言葉にレオンも負けずに言い返す。
「は? えっ、俺、二つ上でおっさんかよ!」
フランツが抗議している間にレオンはガルムの群れに切り込んでいった。
しかし、結果はレオンが先制したにも関わらず、フランツはあっという間に四頭倒していた。そのうえ、彼は右から叩くと言いながら、中央からつっこみ、本調子ではないレオンをフォローしてくれた。聖騎士どころではない凄腕だ。
レオンは自国の騎士にも兵士にもフォローされたことなどない。うかうかしているとフランツの足手纏いになってしまう。腕に自信があったので、こんな経験は初めてだ。
剣に秘密があるのかとフランツに見せてもらったが、何の変哲もない両刃の大剣だ。彼は魔力も神聖力も纏わせることなく魔物を打ち倒した。悔しいがフランツの腕を認めないわけにはいかない。
「ふうん、随分と強いんですね」
レオンが感心して言う。彼にしては最高の賛辞だ。
「当たり前だろ。俺を何だと思っているんだ。クラクフの騎士だぞ。というかお前はなんでいつも上からものを言う」
「そう言われても、私は生まれも育ちもいいので、そこは諦めてください」
「は? 俺だって育ちはいいぞ! 旨いものばかり食って育ったからな!」
フランツは黙っていれば近寄りがたい雰囲気を纏う気高い騎士なのだが、話すとすべてがぶち壊しになる。
また、二人の言い合いが始まったところで、森の奥から、断末魔が響いた。人が放ったもののようだ。
「ん? 人が襲われているのか!」
レオンが止める間もなく、フランツが走り出す。クラクフの騎士は、無鉄砲なのか腕に自信があるのか、それとも情け深いのか、悲鳴を聞いた途端、魔物がうじゃうじゃといる森をものともせず疾走する。慌ててレオンは彼を追う。
奥に行くほど、どんどん血の臭いが濃くなる。草むらの中に分け入り、点々と血液と肉片が落ちているのを見つけた。
「くそ! 食らわれた後か」
肉片と砕かれた骨を追いながら、フランツが悔しそうに言う。しかし、レオンは落ちていた一振りの剣に目を止めた。
「随分高価な剣だな。犠牲者は剣士か。気の毒に」
フランツもそれに気付き、神妙な顔で呟く。しかし、レオンはその剣に見覚えがあった。それは聖騎士のもの。そして柄の凝った文様に見覚えがある。ジュスタンのものだ。
彼は魔物の群れに喰い散らかされたのだろう。それもつい今しがた。茂みの先には骨片と肉片が飛び散り血まみれの惨状が広がっていた。
そして、その先には神殿で使われる行李があった。中をあらためると金がぎっしりと詰まっていた。
「卑怯にも国を捨てて逃亡をはかったんだ。我が国の聖騎士が惑いの森で報いを受けた」
それはとても恥ずべき行為。口もガラも悪いが、忠義心が強いフランツがとても眩しく思える。
ポツリと呟くレオンの肩をフランツが慰めるように軽く叩く。
「詳しい事情は分からんが、弔う必要はなさそうだな。早くここを離れよう。そうとう強い魔物がまだ潜んでいる。一刻も早くルードヴィヒ様とリア様を助けに行くんだ」
レオンはフランツの言葉に深く頷いた。
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