第39話 静寂を破る クラクフ ヴァーデンの森

 ルードヴィヒはここのところずっと調子がいい。

 

 最近ではマルキエ領の仕事を手伝い始め、執務室で仕事をする姿も見られるようになった。

彼が生きる気力をとり戻しているようで安心した。本当に不思議だ。とても強い呪いにかかっているのに、穏やかに微笑む彼には悲壮感や影が感じられない。


 初めて会ったときは儚げな印象だったが、最近では生き生きとしている。本当にこの人は長生きするのではないかとリアは思い始めていた。

きっとずっと一緒いられる。彼は約束を守る人なのだから。



その日は午後からルードヴィヒと森へイチゴを摘みにいく約束をしていた。

イチゴをたくさん摘んだら、じっくりと煮詰めて美味しいジャムを作るのだ。リアは楽しみだった。美味しいものを食べればルードヴィヒだって、もっと体調がよくなるだろう。


 しかし、その日森に入ったルードヴィヒはいつもより足を引きずっているように見えた。リアは心配になる。


「具合が悪いのですか?」


 リアがあまりにも楽しみにしていたので、ルードヴィヒは無理をしてついてきてくれたのかもしれない。

 しかし、彼の穏やかなまなざしと微笑は変わりなく


「大丈夫だよ。リアは心配のし過ぎだ。具合が悪ければすぐにベッドに横になるよ」


 イチゴの群生地までは足場が悪い。リアは寄り添うようにルードヴィヒの横に立つ。


「リア、私はゆっくり後から行くから、先にいって摘んでおいで」

「まさか。私はルードヴィヒ様と一緒に行くのです」


 むきになって言うリアを見て、ルードヴィヒがくすくすと笑う。


 その時、ふとリアは誰かが自分の名を呼んだ気がして振り返る。


「リア、どうかしたのか?」


 察しのいいルードヴィヒが声をかける。


「いま、誰かによばれたような気がして」


 耳を澄ますが何もきこえない。


「気のせいみたいです」


 そうは言うものの気になる。胸騒ぎがするのだ。そのとき森の奥でガサリと葉擦れの音が響いた。そして微かに血の臭いが漂う。近くに傷ついた獣でもいるのだろうか。


「リア、気になるのなら行ってみてきてごらん」

「ルードヴィヒ様を一人にするわけにはいきません」


 リアの言葉にルードヴィヒが苦笑する。


「心配するな。第一ここは森の入口だ。私の足でもすぐに森から出られる。森をでれば屋敷も見えるし、フランツもいる。心配はいらないよ」


 確かにルードヴィヒの言う通り、リアが来る前、彼はもっと森の奥まで一人で散策していた。


「わかりました。ちょっと見てきたらすぐに戻ります」

「くれぐれも無理はしないように。どうやらただ事ではないようだ。私は屋敷に戻るとしよう」


 勘の良いルードヴィヒも森の異変に気付いているようだ。


「はい」


 いちご狩りの中止、残念だったが仕方がない。リアは強い胸騒ぎに急き立てられるように森の奥へ走った。


 とても嫌な予感がする。どくどくと心音が鳴り響くようだ。森の奥へ行けば行くほど、血の臭いが濃くなる。血は魔物を呼ぶ。


 もし、命を失ったばかりの亡骸があるのならば、血の臭いを消して弔わねば。


 ひと際血の臭いが濃い茂みに分け入ると血まみれの男性が倒れていた。リアは驚いて走り寄る。


「どうしました!」


 声をかけるがピクリとも反応しない。

 血にまみれた服は法衣のようだ。地は白く独特の銀の刺繍に見覚えがあった。あれはアリエデの神官が着る法衣。艶やかなサラリとした黒い髪。


「レオン!」


 リアは取り乱すより冷静になった。まずは彼がなぜここにいるかではない。レオンに息があることを確認し、リアは急ぎヒールをかけた。


 彼は腕とわき腹に深い傷を負っており、はらわたが覗いている。血がとめどなく溢れ、傷が塞がる前に彼の命が尽きてしまう。

 以前ならば、すぐに癒せたのにやはり時間がかかる。



 リアが必死で治癒し続けるとレオンの長いまつげが動き、ふわりと彼の瞳が開く。

しばらく辺りを彷徨っていたレオンの視線がリアを捕らえる。

 彼が微かに口を動かした。


「駄目です。レオン、話しては」

「リア……ずいぶん、綺麗になったな……」


 息も絶え絶えに掠れた彼の声を聞くと涙がこぼれた。助けられないかもしれない。それなのに、彼はリアを初めて褒めた。

 

「黙って。しゃべっちゃダメです」


 リアの言葉が届いたのかレオンの目がカッと開かれる。


「リア、行くな。アリエデに行ってはダメだ。私のことはどうでもいい。今すぐ逃げろ」

「え?」


 彼は命にかかわる大けがだと言うのに、それだけをはっきりというと、ゴボリと血を吐き、意識を失った。





 血がとまり動かせる状態になるとリアはレオンを屋敷まで担いで行くことにした。何とか命はとりとめた。


 それにルードヴィヒも気になる。今日は足の調子がよくなさそうだった。


 屋敷に血まみれのレオンを運び込むと、使用人達がすぐに体を清めてくれた。早くも土気色だったレオンの顔に赤みが差してくる。彼にも多少の神聖力があるせいか傷の治りが普通の人よりずっと早い。

 一息ついたところに、コリアンヌが回復薬をもってきてくれた。


「ルードヴィヒ様を見ませんでしたか?」

「え?」


 コリアンヌの言葉に驚いてリアが顔を上げる。辺りは暗くもうすぐ陽が落ちる。彼はあの後すぐに屋敷に帰らなかったのだろうか。嫌な予感がする。


 するとそこへフランツが慌てて駆け込んできた。その手にリアあての書状が握られている。封蝋の文様には見覚えがあった。アリエデ王家のものだ。


「ルードヴィヒ様がお戻りにならないので、森へ探しに行ったのです。杖が落ちていてそのそばにこれが……」


 リアは震える手で封書を破り、中にある手紙をあらためた。かたずをのみフランツとコリアンヌが見守る。


「……どうしよう」


 リアの声が震え、膝の力が抜けた。フランツが倒れそうになるリアを慌てて支える。こんな弱々しい姿を見せる彼女は初めてだ。彼女は勇敢でとても芯が強い。それが恐怖にガタガタと震えている。


「リア様、どうなさいました。手紙には何とありましたか?」


 フランツが騎士らしい冷静な声で彼女に聞く。コリアンヌも宥めるようにリアの背中をさする。


「どうしよう。ルードヴィヒ様が攫われてしまった。私のせいで、どうしよう、どうしよう!」


 リアは絶叫した。胸が苦しく、怖くて、気が狂いそうだ。







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