第20話 崩壊の足音…… 1
「陛下大変でございます!」
ただでさえ頭痛がひどいのに、アリエデ王国の軍部をつかさどるブライアー公爵が数人の騎士たち引き連れ、ものものしい様子でニコライの執務室にやってきた。
「何事だ」
ニコライは不機嫌さを隠そうともせずに答える。
「魔物どもが、北の森の結界を破り侵入してきました」
その一言で場は騒然となる。広く豪華な王の執務室には、ちょうど宰相のセルゲイと文官たちが詰めていた。
「なんだと? そんな馬鹿な。リアと聖女カレンが瘴気を鎮め、結界を張ったのではないか!」
実際、北部では討伐後すぐ町や村の再建が始まっていた。
こんなに早く結界が破られるなど、やはりリアは護国聖女などではなかったのだ。いい加減な結界を張ったリアに、怒りを感じた。それとも聖女の張る結界などもともとその程度だったのか?
「リアを牢からひったてろ! あやつを再び兵役につかせてやる」
カッとなりニコライが叫ぶ。皆の顔が引きつり、執務室が静まり返る。そこで宰相のセルゲイが場を代表して口を開く。
「陛下、罪人リアには昨日刑が執行されました」
「なんだと? 追放は見合わせるといったであろう!」
国王ニコライは怒鳴りつけた。なんとしても、この頭痛をリアに治めてもらわねば困るのだ。
「恐れながら、陛下、罪人リアは追放を望みました」
その言葉を聞き、ニコライの頭の中は一瞬真っ白になった。
「そんな、馬鹿な……」
そういえば確かに条件を付けた。簡単に許されたと調子に乗られては困るからだ。だが、それにしても、むざむざ追放になるなど考えられない。泣いて感謝してもおかしくはないはずだ。
リアは生家と神殿しか知らない。そんなものが国を追放されて無事でいられるわけがない。だが、いまならまだ間にあう。彼女の足跡を追うのも
「急ぎ連れ戻せ!」
「陛下、お忘れですか? 偽聖女リアの追放先は、西の惑いの森でございます」
「どういうことだ。私はそんな命令は下していない。いったい誰の指示だ!」
声を荒げる。ジュスタンやカレンの報告にあったようにリアが半端な聖女なら、西の森で魔物に喰われかねない。
「プリシラ殿です。陛下がプリシラ様に追放先を決めてもよいと許可を出されたではありませんか!」
こころなしか宰相セルゲイの声に非難の色が見える。彼の言う通りだ。確かにプリシラに追放先を決めさせてくれと泣きつかれ、許可を出した。
(プリシラはリアを一族の恥だから、己の手で罰したいと言っていた。護国聖女とは、実の妹にそこまで苛烈になれるものなのか。普通は手心を加えるのではないか?)
伝承によれば、護国聖女は分け隔てなく慈悲深いという。ニコライはこの時初めてプリシラに僅かな違和感を覚えた。
「それならば、レオンに探させればよい。彼はリアの追放に反対していたのであろう」
信心深い前国王とは違い、ニコライは現実的で信仰心も薄い。神官や聖女を道具のように思っている。国王になり、その傾向が更に強まっている。
「あの森は一度入った者はでられないと言われています。そのような場所にご子息を送ったとなれば、マクバーニ侯爵家が黙ってはおりません。ひとまずここは事態を収拾するのが先かと」
ブライアー公爵が苦々しい思いを押し殺し、助言する。ニコライは計算高い男だが、若いせいかどこか頼りない。国王の対応の悪さに、その場にいる者達のほとんどが、この国の先行きに一抹の不安を感じた。
「急ぎ状況を確認する。神官長フリューゲルを呼べ、それから、聖騎士ジュスタンをここへ」
♢
ジュスタンは突然謁見の間に呼び出された。
用向きはあらかたわかっている。黒の森の結界がほころびたらしい。先ほど部下が知らせてきた。
しかし、いま、中央で己の地盤を固めているところ。もう武勲は充分だ。再び戦場には戻りたくない。
「北の、黒の森の結界がほころび始めた」
謁見の間にてニコライがジュスタンに告げる。そこには、宰相セルゲイ、神官長フリューゲルとニコライ派の有力な貴族がつめている。急遽招集された者達だ。
「聖女が塞いだのではないですか?」
今更ほころびたと言われてもそれは聖女のせいだ。ジュスタンには関係ない。
「あれは偽聖女だ。ところでジュスタン、お前の婚約者であるカレンは、リアが結界を張るのを手伝ったと言っていたな。半分以上はカレンの手柄であったと? 確かそのような報告を受けていたと思うが」
カレンとは、ジュスタンが戦果の褒美として賜った王都の屋敷で、 一緒に暮らしている。それを知っての国王からの問いだ。
「本人からはそう聞いております」
ジュスタンは慎重に答えた。
「再び黒の森にて、カレンに結界を張ってもらおう」
ニコライの言いたいことは分かった。それで自分が呼び出されたのだ。リアの刑は昨日執行され、彼女はもうこの国にはいない。だから、代わりにカレンをと……。
「恐れながら陛下、カレン一人では荷が勝ちすぎます。ここは護国聖女であるプリシラ殿にお出まし願えればと思います」
「馬鹿なことを言うな。プリシラは次期王妃となるものだ。そんな危険な場所に出向かせるわけはないだろう」
カルトリ大神殿の神官長フリューゲル以外の者達はニコライの言葉に鼻白む。彼は先の戦いで、まだ十六歳のリアを平然と戦場へ送ったのだ。
「しかしながら陛下、護国聖女であらせられるプリシラ殿がお出ましになれば、すぐに黒の森も鎮まるのではないですか?」
ブライアー公爵が進言する。
「プリシラは、聖女の修行を受けていない。よって結界の張り方をしらない」
対するニコライの応答に、謁見の間が騒めいた。
「皆様は、勘違いしておいでだ。聖女の御業は、神殿が施す修行の賜物です」
フリューゲルの言葉に謁見の間が静まり返る。
これからプリシラを修行させるにしても、再び戦場となった黒の森に、誰か聖女を送るしかないのだ。
「カレンを送るしかあるまい。あの者の前回の働きは素晴らしかったのであろう?」
ニコライがジュスタンに問う。彼には、頷くことしかできなかった。ここで、戦場での真実を告げるような真似はできない。リアの活躍を報告すれば、自分の手柄が半減してしまう。
たとえそれが己の婚約者を差し出すことになったとしても。
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