48話 鉄槌
黒の精霊が降臨する少し前。
王宮では、国王ニコライの凶事を聞いた宰相をはじめとする国の重鎮が、続々と兵士を連れ茶会が催されている庭園に詰め掛けてきていた。しかし、そこにはニコライの無様で醜い亡骸が転がっていて……。
「今ここにアリエデの王は潰えた。今日からこの地はクラクフが治めることとする」
クラクフ王国の第二王子ルードヴィヒが朗々と声を張り上げる。
彼はニコライと違い威厳も気品も持ち合わせている。絶対王者の風格にセルゲイ達は圧倒され、たじろいだ。
「異議申し立てのある者は前へでよ!」
今までの穏やかさは微塵もなく、冷たく鋭い眼光で睥睨するルードヴィヒ。誰もそれを受け止めきれず。目を合わせようとしない。責任を取りたくないのだ。
「時に、この国のすべての結界が破れつつあるのを知っているか?」
「な……なんですと!」
それには皆がそれぞれに反応し、一瞬で場がざわめいた。そして次に恐怖で凍り付く。すぐにでもクラクフ王国が攻め込んでくるだろう。今のアリエデには打つ手がない。
「こんな所で暇を潰すより、首を差し出すなり何なり、今すぐ身の処し方を考えた方がよいのではないか?」
重鎮たちは混乱する頭で考えた。いま、敵は目の前にたった一人、クラクフの王子がいるのみ。だが、彼を亡き者にしようとする愚かな者はいない。どうやって罪を逃れようかとそればかり。庭園に詰めたかけた貴族たちは、一人、二人と静かにその場を後にし、逃げ出した。
その時、奇妙な咆哮が響き、宮殿を地響きが襲った。
魔物の叫びに、庭園の空を仰ぎ見れば、空にはワイバーンの群れが旋回していた。結界が完全に破れたのだ。リアが捕まり、ひどい目に合っているのだとルードヴィヒは悟った。
見張り塔から来た伝令が叫びながら、城を走りまわる。
「大変です。王都に魔物の群れが出没しています!」
すぐさま王宮は恐慌状態に陥った。誰も指揮する者はいない。指示を仰ぐものもいない。国の重鎮も使用人も兵士も皆助かりたい一心で蜘蛛の子を散らすように駆けだした。
「粗末かつ無様だ」
ルードヴィヒは彼らへの蔑みと自戒を込めて吐き出す。ここに集まった全員切り殺せばよかったと怒りを覚えたが、今はリアが先だ。
魔物の王都襲来、聖女に、リアの身に何かがあったとしか思えない。
彼女は追放されたから、自分はもうアリエデの聖女ではないといっていた。しかし、ルードヴィヒの読みは違う。
黒の森、クラクフで言うところのアラニグロ地区。黒翼地帯を鎮める聖女。リアはひょっとして……。
彼女はいまきっと囚われている。
ルードヴィヒは咆哮が聞こえた方へ走る。
その咆哮は人が苦しむ悲鳴のようで、ひしひしと胸に迫った。リアが泣いている。
彼女を再びアリエデの地へは入れたくなかった。
それもこれも彼女が可愛くて手元に置いてしまった自分に責がある。王都で大人しくしていれば、こんなことにはならなかったはず。
やすやすと人質になってしまった自分に腹が立つ。
「リア、今度はわたしが君を助ける。そして必ずクラクフに連れ帰る」
ルードヴィヒは兵士から奪った剣を携え、駆けだした。呪いを受け焼けただれ、骸となったニコライをそのままに。
――廃墟のようにつぶれかかった神殿で、黒の精霊が咆哮する。契約の解除。それによる結界の消失。この地は解放された――
ルードヴィヒは、神殿に向って走っていた。咆哮がそこから聞こえてきたからだ。城から神殿までは直ぐだが、さすがに城の中は広く、城門まで行くのに時間がかかった。
街路にでると城のなか同様、泣き叫ぶ声や怒号、混乱し逃げまどう人々でごった返していた。
「ルードヴィヒ様!!」
後ろから声をかけられ、振り返るとフランツだった。隣にまだ若い黒髪の神官をつれている。
「フランツ、お前は、来てしまったのか」
ルードヴィヒが困ったように眉尻を下げる。
「私はルードヴィヒ様の騎士です! あなたを危険な目に合わせてしまい面目……って、あれ? ルードヴィヒ様! 今走っていませんでした?」
驚きに目を見開くフランツの前で、ルードヴィヒは大剣を軽く振ってみせる。筋力の衰えはあるものの全身をむしばむ痛みがなければ造作もない。
「安心しろ。このように大剣も羽のように軽い。呪いは解けた。もう私に護衛は必要ない。」
フランツの瞳が喜びに輝き、涙が浮かぶ。
「良かった………ルードヴィヒ様、本当に良かった! あなたなら、きっと跳ね返せると思っていました!」
「そんなかっこいい話ではない。それより、そちらは?」
レオンは慌ててルードヴィヒの前に跪いて名乗った。
「そうか、君がリアを救おうとしてくれた神官レオンか。礼を言う。君のお陰で彼女の心は絶望に塗りつぶされずに済んだ。それから、いまこの国の国王が崩御した」
軽く付け加えられた最後の言葉にレオンが目を見開いた。驚きはしたが、レオンには国王の死を悼む気持ちはまったくなかった。なぜ死んだのかと気にはなるところだが、いまはそれを問うている場合ではない。王都は混乱の坩堝なのだから。
「この国には、もう王はいない。中枢であるはずの貴族たちも逃げ出した。
アリエデ王国はまもなくクラクフの占領下におかれるだろう。
だが、いまはこの混乱を鎮めるのが先だ。フランツ、魔物を出来るだけ討伐してくれ。神官レオン、罪のない民を守り、安全な場所まで導いてはくれないか? リアは必ず私が連れ帰る」
「御意」
二人は、やるべきことの前に散っていく。フランツはルードヴィヒの強さを知っていた。何がどうなっているかは分からないが、呪いの解けた彼に敵はいない。主の指示に従うのみだ。
一方、レオンはリアが心配だったが、フランツにここへ来る道々ルードヴィヒの自慢話を聞かされた。実直なフランツが信頼をおく主だ。きっとリアを救ってくれると信じるしかない。
何よりルードヴィヒはリアを幸せにしてくれたのだ。あれほど彼女が美しくなったのはきっと彼を慕っての事だろう。
それに王がいなくなり、指揮系統が消えたアリエデは、クラクフの王子に従うしか道がない。
ルードヴィヒは気品があり、この混乱の中でも落ち着いていた。そしてニコライにはなかった王者の威厳を備えている。
なにより民の避難を優先した彼の命令は間違っていない。
それにしても城の周辺は逃げ出す貴族でいっぱいだ。魔物に街が襲われているというのに指揮する者すらなく、助け合う者たちもいない。
とにかく、まだ神官であるレオンには信者たちを守る義務がある。それを果たすべく庶民の街を目指して駆け出した。
しかし、いくらも行かないうちに、目の前にはたくさんの家財を荷台に積んで道を塞ぐ愚かな貴族の馬車。レオンはまずそれから排除することにした。
この国には庶民の為に剣を振るって戦う騎士も兵士もいない。そのうえ、民間人に混じり逃げ惑う兵士も散見される。
レオンは錫杖を振るい、魔物を倒しつつ、道を塞ぐ馬車を退け、庶民の住む街へ走った。
♢
ルードヴィヒは混乱の王都の街を神殿まで駆け抜ける。久しぶりに走り、息切れがした。しかし今はリアの大事だ。ルードヴィヒは残る気力と体力を振り絞った。
元は壮麗だったと思われる神殿は見る影もなく破壊されている。礼拝堂に踏み込み、大理石の床を踏んだ。パラパラと砂ぼこりが落ちてくる。
天井が崩れ、ところどころ日が差している。目を凝らすと砂塵の舞う先に地下へと続く階段が見えた。
落ちてくる砂や石、装飾品などをよけながら階段へ向かう。すると階段口まで黒く染まった茨がびっしりと張り巡らされていた。その先から強い瘴気と凍えるほどの冷気が漏れてくる。
ルードヴィヒは戦わず逃げ回っていた番兵から奪った戦斧を使い、茨を断ち切りながら、先へ進んだ。この先にリアがいると確信があった。
濃い瘴気のプレッシャーと戦いながら地下へ降りるとその先に、黒い翼をもつ異形の女がいた。
すくっと立つ姿は孤高に見えて孤独。どこか物悲しくて。
リアのかわりはてた姿に、ルードヴィヒの胸は張り裂けそうだった。
「リア、かわいそうに……」
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