幕間 ~偽聖女~プリシラの最期 *読まなくてもストーリーに影響しません
プリシラは黒の森が嫌だ。
不潔だし、風呂に入れないなど考えらない。その上魔物は怖くて、臭くて凶暴で醜い。
聖女カレンが頑張ってくれれば少しは状況もよくなるのに、彼女はおかしくなってしまった。プリシラを見た瞬間「なんであなたなの? どうしてリアじゃないのよ?」と肩をゆさぶられ、カッとなって殴った。するとカレンも負けずに掴みかかってきた。
リアより劣ると言われたのは初めてだった。許せない。とりあえずカレンが掴みかかってきたので、彼女に襲われたと報告し、独房送りにしてやった。
プリシラはついてから三日過ぎると、脱走を繰り返すようになった。何度逃げても捕まってしまう。それで今度は仲間を探すことにした。
皆、心のどこかでこの不気味な黒の森から逃げたがっている。見つけ出すのは簡単だった。
兵士にはプリシラを嫌うものもいたが、幸い聖騎士達には好かれた。
何もすべての者に好かれる必要はない。ポイントを抑えればいいと言うのがプリシラの持論だ。それに兵士は強くないので、味方にするには不足、早々に切り捨て聖騎士に狙いを定めた。
プリシラを男に媚を売る女というものもいるが、別段彼女は何もしていないつもりだった。弱いふりをして守ってもらい。相手を褒めればいい。そして常に被害者の側に立ち有利に事を運ぶ。それだけだ。皆難しく考えすぎだとプリシラは思った。
どうすれば相手の自尊心をくすぐれるか考えればいい。馬鹿な聖女たちはこの地で嘆くばかりで、そんな簡単なことも思い付きはしない。
聖騎士の中から、逃げてもいいというものが出てきた。エイワース、ジョーダン、ローバーの三人だ。
彼らも知っているのだ。これが決して終わることのない戦いだという事を。
結界を張ることができなければ魔物はいくらでも溢れ出てくる。しかし、兵力には限界がある。考えるまでもない。これは完全なる負け戦だ。
負け戦だとしてもプリシラにはそんなことは関係ない。自分以外の誰かがどうにかすればいいだけの事。きっとそのうち、生きているという噂のあるリアを誰かが、連れ戻すだろう。リアがどうにかすればいいのだ。
プリシラは三人の聖騎士達と手に手を取り合って出奔した。
騎士たちはアリエデの兵士の格好をし、プリシラは平民の服に着替え地味で薄汚れたマントを羽織った。汚い服は着たくはないが、脱走に変装は必須だと気が付いた。聖女服や騎士服では目立つのだ。
それから馬を四頭盗む。幸いプリシラは乗馬も達者だ。薄のろなリアとは違う。
今回は騎士たちがすべての手筈を整えてくれた。プリシラはただ待てばいい。仲間を募って本当に良かった。
いよいよ夜明け前に逃げ出すことになった。魔物には夜も昼もないので、闇に紛れやすい時間を選んだ。
旅はかつてないほどに順調だった。夜が明ける頃には大分営舎を離れることに成功した。追手が来るかもしれないが、それはたいてい兵士の仕事だ。聖騎士達が返り討ちにしてくれるだろう。
しかし、そう上手く事は運ばなかった。後ろから鬨の声が上がり、大量の矢が降ってきた。
何事かと馬を駆りながらも目をやると、副団長をはじめとする五人の聖騎士が、十人以上の兵士を引きつれ追いかけてきた。
「信じられん! 脱走四人にあれほどの大人数をさくなど、魔物退治が手薄になるではないか。副団長はいったい何を考えているのだ」
ロバートが驚愕する。
「くそっ、なんてことだ」
「全速力で逃げるぞ!」
聖騎士達は焦りをにじませ口々に言う。
「なぜ、副団長は、あれほどむきになっているの?」
プリシラが、疑問を口にする。プリシラ一人の時はせいぜい兵士が二、三人だ。
「副団長も逃げたいんですよ。だが、ジュスタン団長に弱みを握られていて兵役から逃れられない」
プリシラはエイワースの話を聞いて、脱走の聖騎士を供に選んだのは失敗だったと悟った。
その直後聖騎士ジョーダンが、落馬した。馬が矢でいられたのだ。馬が足りないにも拘わらず見境なく矢を射ってくる。
「あいつら俺たちを殺す気だ!」
ロバートが叫ぶ。
「おい、ロバート囮になれよ!」
「は? 何言っているんだ。エイワース」
エイワースがロバートに近づき、馬を剣で切りつける。
「ぐあ!」
馬が暴れた拍子に、ロバートの背に矢が突き刺さる。彼も落馬した。
プリシラは一人で逃げてくれば良かったと後悔する。
しかし、先ほどからプリシラに矢がかすりもしない。きっと彼らは聖騎士だけを殺してプリシラはいつものように捕らえるのだろう。当然だ次期王妃を殺すことなど出来ない。
今回は聖騎士を誘って失敗した。
残る聖騎士はエイワース一人、彼が囮になって逃がしてくれないだろうかとプリシラは思う。しかし、彼は
「プリシラ様、右手の森に入りましょう」
という。確かに街道に沿うように右側に大きな森が続いている。
「あんな森、馬で走れないわ」
プリシラは聖騎士達のように命まではとられないので気楽なものだった。
「森で馬は捨てるのです。今は矢に当たらないことを考えるのです」
矢で狙われているのは聖騎士だ。
しかし、彼だけが森に入って逃亡するとプリシラが囮のようになってしまう。その間彼が逃げおおせたらと思うと悔しい。
「わかったわ」
仕方なくプリシラは騎士について森へ入り、二人は馬を捨て逃げ出した。
ところが騎士はいつの間にか利き腕に矢をうけていて、けがをしていた。
「あら、やだ。あなたケガをしていたの?」
これでは役に立たない。なんの為の聖騎士か。
血止めにハンカチを結んでも点々と血が落ちる。捜索隊が、森に入ってきた。これではすぐに捕まってしまう。
「あなた、そんな怪我をした腕で戦えるの?」
「兵士ならどうにかなるが、騎士は無理です。兎に角逃げましょう」
エイワースは大柄で足が速くずんずんと奥へ進んで行ってしまう。プリシラは駆け足で追いかけた。女性を置いていくなど、こんな失礼な男性は初めてだ。
その時、後方から「おい、血の跡があるぞ! こっちだ」と叫ぶ兵士の声が聞こえてきた案の定、血の跡を見つけた。兵士たちが、森を踏み荒らす足音が聞こえてくる。
プリシラはイチかバチか勝負に出た。大柄な彼を囮にしよう。
聖騎士からゆっくりと離れ、突然、駆け出した。
「おい! どこへ行くんだ!」
それに気付き、焦ったエイワースが叫ぶ。
「いたぞ!」
兵士たちが声を上げる。エイワースが見つかった。彼はプリシラを追うのを諦め逃げ出した。その後を兵士たちが追う。
一方プリシラは茂みに隠れてやり過ごそうとした。
彼はきっと良い囮になってくれるだろう。
息を殺し、兵士たちがバタバタと通り過ぎるのを待つ。予想通り彼らは隠れたプリシラに気付かない。
やがて叫び声と剣がぶつかる音がする。エイワース達が戦っている間に、再び街道にでて逃げ出すつもりだった。
しかし、突然森の奥に入った兵士達のひめいが聞こえてきた。
「うわー!」
「ノールだ! ノールが出たぞ」
ノール、群れで行動する危険な魔物だ。プリシラはほくそ笑んだ。馬鹿な奴ら、脱走兵を追って魔物に行き当たるだなんて。
魔物がでてきて、ほっとしたのは初めてだ。これで彼らの意識は魔物にむき、プリシラのことなどしばしの間、忘れるだろう。
兵士たちはきっと森の外に馬を繋いでいるはずだ。後はそれを奪って逃げればいい。
もしも見張りがいたら、「魔物がそこまで、やって来ている」と怯えて見せれば、すぐに持ち場を離れるだろう。
プリシラは上機嫌で茂みをかき分けた。
今度こそ脱走は成功したのだ。後は実家で身を隠そう。
だが、茂みを出たその瞬間、左腕に強い衝撃を感じた。次に我慢できないほどの激しい痛みが襲う。慌てて、左腕に触れようとする。しかし、触れられなくて、空をかく。
唐突に、右足にも衝撃が走り、続く激痛に気を失いそうなった。バランスを崩し立てなくなり、プリシラはそのままひっくり返る。
気付けば、左腕が二の腕から下がなくなっており、右足は肉がこそげ骨が飛び出していた。目にしている状況が信じられない。まるで他人事のようだ。
「え? 嘘、なんで?」
辺りに臭い匂いが漂い。びちゃびちゃと咀嚼音がする。じわじわと恐ろしい状況が頭にしみこんでくる。
恐る恐る音のする方へ顔を向けると、ベヒモス一体と群れを離れたノールが一頭いた。
「ひっ」
恐怖に引きつる悲鳴を上げた瞬間ノールに喉を喰いちぎられた。焼けるように痛い。我慢できない。
ごぼごぼと喉から血が溢れる。
(どうして、私なの? 何で。痛いよ! リアなら私を助けられるのよね? あの子、離れた腕をくっつけられるから。でも私の腕、食べられちゃった。やだ、やだ、やだ。腕も足もなくなっちゃうの? 助けて、助けてよ!)
しかし、プリシラの叫びは喰いちぎられた喉から、ヒューヒューと音が漏れるばかり。
そのうちベヒモスとノールがプリシラの腹をめがけて突進してきた。
彼らは揃ってはらわたを喰いちぎりたいのだ。目に残忍な光を湛えたもの達が競いながら腹に突っ込んでくる。
(いやーー!)
喉から血がぼこぼこと迸て、プリシラのいまわの際の断末魔はどこへも届かなかった。
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