第29話 王都へ 2
ルードヴィヒは城で所用があるということで、リアはコリアンヌと行動を共にすることになった。彼女が城を案内してくれるという。
「クラクフ王国のことをもっと勉強したいので、何か書物がほしいのです」
「リア様も、少しはお遊びになったほうがよいですよ? せっかく王城にきたのですから、ゆっくり見学なさったらどうです?」
「私、何もせずにぼうっとしていることが苦手なんです」
申し訳なさそうに言うリアをコリアンヌが驚いたように見る。
リアは子供ころから、朝から晩まで働いていた。のんびりお茶をのんでいると時間を無駄にしている気がして罪悪感がわいてくる。
「それならば、王宮図書館へ参りましょう」
コリアンヌが優しく微笑み、先に立って歩き始めた。回廊からも見える庭園は美しく、池には睡蓮が咲いていて、弧を描く優美な橋が架かっている。
アリエデの城という器は、確かに美しいフォルムをしていた。だが、中身はクラクフの方がずっと豊かで美しい。国力の大きな差を感じる。
すぐ隣にこんなにも豊かな大国があったなんて驚きだ。
図書館の前には衛兵が立っていて警備が厳しい。
「私は入れるでしょうか?」
リアが心配そうにコリアンヌに聞く。アリエデでは図書館には身分の高い貴族や神官しか入れなかった。
「大丈夫ですよ。門外不出の貴重な蔵書もあるので、勝手に持ち出さないよう警備が厳重なだけです」
彼女の言葉通り、二人は身元を聞かれることもなくあっさりと入れた。ここの番兵もコリアンヌと知り合いのようだ。彼女はとても顔が広い。
「この城では普段から、騎士・兵士や侍女、メイドも含め城の使用人達は一緒に食事をしたり、茶を飲んだりと交流を深めているのです。だから、ほとんどみな顔見知りなのです。そのため城にめったな者が入り込むことはできません。すぐにばれます」
と言って微笑む。
「それは、凄いですね」
この国はきっちりしているのか大らかなのか……驚かされる事ばかり。しかし、アリエデよりずっと警備が厳重そうだ。
図書館は迷子になりそうなほど広かった。離宮と言ってもさしつかえないほどの大きさだ。アリエデでは文書や書物が広く公開されることはなかったので、書物の洪水に不思議な気分になる。
物珍しさにきょろきょろとするリアを、コリアンヌが慣れた様子で案内してくれる。
どうせ読むなら、マルキエの城やヴァーデンの屋敷の書庫で見たことのない本がいい。書架の前で、リアは迷いながらも一冊の本を選んだ。
『アリエデ王国の歴史』表紙にそう記されていた。もちろんクラクフを知るのも大切なのだが、アリエデが他国から見てどのような国なのかを知ることも必要だと思う。国で教わったことがすべてではない。彼女なりに知識の偏りをただそうと考えていた。
大判の書籍を開くと見開きにある言葉に目が釘付けになる。『精霊を騙して奪った国土』こんなふうにアリエデを批判する書物は初めて見た。きっとルードヴィヒが気遣ってリアの目に触れないようにしてくれていたのだろう。
「リア様、その歴史書はあくまでも個人が書いたもの。偏っているものも多いので、お気になさらずに。この国ではほぼすべての書物が保管されているのです」
コリアンヌが気づかわしげにリアをみる。どうやらリアはそのページを開いたまましばらく固まっていたようだ。
「ええ、ありがとう。コリアンヌ、気になさらないで。私はいろいろなことを知りたいのです。国では一つのことしか教えられていないから、これからはこの国の民として見聞を広げていきたいんです」
ゆくゆくはルードヴィヒの役に立ちたいと思っていた。彼がこの国で生きていく機会をリアに与えてくれたのだから、ずっと彼を守ると決めている。
リアはコリアンヌに案内されるままに、広々としたテーブル席のある閲覧室へ移った。
「私は、ここに来た当初はクラクフ王国が少し変わっていると思っていました。でも、本当に変わっているのはアリエデの方みたいです」
リアのそんな感想にコリアンヌが微笑む。
「国それぞれに個性はあると思います。ただ、アリエデ王国は他国とほとんど国交することがないので、謎の王国と呼ばれています」
地理や他国の歴史を習わなかったリアからすれば、他の国こそ謎だ。知らないから、なんとなく怖い印象があった。しかし、実際はリアを温かくもてなしてくれる。
本を読みながら、分からないことがあると、その都度コリアンヌに質問した。彼女は驚くほど自国や他国についてしっている。リアが賞賛すると「この国では、みな一般知識として習うことになっているのです」と言う。
それから、本についている地図を眺めた。するとアリエデの北部が黒く塗りつぶされている。
「この黒く塗りつぶされているのは、黒の森かしら?」
ルードヴィヒが見せてくれた地図にはなかった。
「私は学校で、アラニグロ地区とならいました」
「アラニグロ地区?」
「はい、この国では黒い精霊の住まう地と言われています。
実際にはアリエデにいった者は殆どいないのでわかっていませんが。アリエデでは黒の森というのですか? リア様はご存じなのですか?」
コリアンヌもフランツもリアがアリエデから来た訳あり聖女だということは知っているが、詳しい事情は知らない。それにこの国ではアリエデから来たと言うだけで珍客だ。
「ええ、二年ほどそのあたりで暮らしていました。黒の森と言われ、凶暴で非常に強い魔物が多く出没する場所です」
そんな説明で納得したのか、コリアンヌはそれ以上リアにアリエデについて聞くことはなく、読みやすそうな挿絵入りの本を持ってきてくれた。何か察してくれているのだろう。
コリアンヌは大らかに見えて、とても細やかな心遣いを見せる。不用意に踏み込まない。個人をとても尊重するこの国の国民性がリアにはありがたい。
ルードヴィヒが迎えに来るまで、リアは図書館に籠ってずっと勉強した。
神殿ではアリエデが世界の中心であるかのように教えられたが、実際には小国で、経済活動も活発ではないことも今では知っている。
それならば、なぜそんな国が存続できたか? リアが手にした書物には『聖女が張った結界により他国が軍事的介入できないから』とあった。
この国の書物にはリアの知らない事実が詰まっている。結界は魔物を防ぐだけではなかったのだ。
神殿では昔、護国聖女が国の周りをぐるりと結界を張ったとならった。そのため、国は悪い物から守られていると。
しかし、黒の森の一件で、聖女が張った結界がほころびることもあると知った。
何にしても、リアにはもう関係のない事だ。姉のプリシラもいるし、カレンもいるからきっとアリエデ王国はこれからも安泰で、再び結界が破られることはないだろう。もし、破れたとしてもきっと姉が修復する。プリシラは子供の頃からすべてにおいてリアより優秀だったのだから。
(もう思い悩むのは止めよう。私はこの国で生きて行くことになったのだから。この国で出来ることを考えよう)
まずはポーション作りだ。ルードヴィヒも褒めてくれている。この国に恩返しをするために役に立ちたい。そしてルードヴィヒの病を治したい。未だに彼はときどき高熱をだし、体の痛みに苦しんでいる。
しかし、きっとルードヴィヒも、公爵夫妻も呆れたように言うだろう。
「もっと、遊べばいいのに」
リアの口元が自然とほころぶ。
この国には尽くす自由もあれば、尽くさない自由もあるのだ。
(私は、自由。背負うべきものはなく、何にも縛られない)
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