第37話 虚ろ ~王都~
惑いの森へは兵を率いて行くという事で、結局指揮権はジュスタンにとられた。
確かにレオンは神官で兵を率いた経験はない。だが戦える。ジュスタンの強さは知らないが、負ける気はしない。
「ジュスタンにあるのは兵の指揮権だけだ。森を抜け無事、現場についたら、レオン、そなたが主導権をとるよい」
国王ニコライの子供だましな言葉に、レオンは舌打ちしそうになった。
♢
兵士の調整などで出発までには十日ほど間ができた。レオンは久しぶりに王都で過ごす。
その間、見て回った街やカルトリ神殿の周辺の零落ぶりは噂に聞くよりひどくレオンは心を痛めた。
それに信者や神官の手によって、あれほど美しく磨き上げられていた神殿が、いまは薄汚れている。
きけば掃除や洗濯をしてくれていた下働きの者達も随分いなくなってしまったという。生活に余裕がなくなると信仰とはこうも簡単に薄れるものかと悲しくなる。その一方で市井の人々の生活の苦しさがうかがわれた。
アリエデは他国との国交があまりないうえ、初代の聖女がはった結界により、出入り口が限られていて、国外にでるのは容易ではない。
国がどれほど貧しくなろうとも、民に逃げ場はないのだ。国外に容易にながれることは出来ない。どうにかしなくてはと、焦る気持ちはあるものの良策が思いつかず、レオンは悶々と日々過ごした。
リアが消えてから、この国は崩壊へ突き進んでいる。それは神殿も同じで、神官・聖女ともに随分数を減らしていた。
たいてい神官になる者は貴族の次男三男が多い。しかし、今のように国が傾くと領地が荒れ、一揆などが起こり、みな郷里へ呼び戻されてしまう。
つい
詣でる信者もなく、人が減り閑散とした神殿の回廊を渡る。芝が美しかった中庭は、手入されることもなく、雑草が生い茂っていた。芝よりもずっと生き生きとした濃い緑が、目にしみる。
しばらくその光景に見入っていると後ろから声をかけるものがいた。
「最近では、王都のはずれでも魔物が目撃されている」
振り返ると副神官長のアンドレアがぼうっとした様子で突っ立っていた。彼も少し会わない間に随分やつれている。以前は気位が高く、こんなふうに話しかけてくる人ではなかった。
アンドレアの話によると、聖女たちが黒の森に結界をはることが出来ず、だいぶ魔物が南下してきているらしい。
城壁内に攻め込まれたら王都はそう長く持たないだろう。黒の森では脱走兵も出ているらしい。
「聖女たちはどうしているのですか?」
「誰もここには帰って来ていない。カレンは、おかしくなって、あちらで軟禁されている。プリシラ様は勤めをはたすどころか何度も脱走を繰り返した。兵たちも呆れている。あの方にも困ったものだ」
レオンの問いに苦々しげな面持ちでアンドレアが答える。
「そもそも、プリシラ様は神聖魔法が使えないのでしょう?」
「本当に、あの女、嘘ばかりつく」
アンドレアがとうとう吐き出した。そんな事だろうと思っていた。あの女は胡散臭い。
「それはそうと、神官長はどうなさったのです? だいぶお加減が悪いようですが」
レオンは、フリューゲルの様子が気になっていた。あの衰え方は尋常ではない。それにいつも自信満々な彼がフードで顔を半分隠していた。いったい何があったのだろう。
しかし、レオンの言葉を聞いたアンドレアの動きがぴたりと止まる。
「副神官長、どうなさいました」
動きを止めたアンドレアを不審に思いレオンが覗き込む。すると彼は顔色を失っていた。そのうえ小刻みに震えている。
「ああ、恐ろしい……。なんて恐ろしい! なんてことだ!」
いきなり頭を抱え叫びだすアンドレアの様子に、レオンは驚かされた。
「えっと……副神官長、どうなさいました」
彼の奇行にレオンは戸惑う。
「そうだ! 私は祈らねば、精霊に祈らねばならないのだ。許しを乞わねば。怒りを鎮めて頂かなくてはならない! いやだ。いやだ。いやだ。罰を受けたくない……罰は受けたくない」
まるでレオンなど目に入らぬように、ぶつぶつと呟くと、足早に祭壇の間に向って行ってしまった。アンドレアは精神の均衡を失ってしまったようだ。
その様子にレオンは衝撃を受けた。
王都の噂もあまり入らぬ南方のへき地で暮らしていた彼は、この国の深刻さにあらためて直面する。
リアをここに連れ帰って、本当に大丈夫なのか?
♢
西の惑いの森には一日もあればつく、道中、ジュスタンとの関係は思ったほど悪くはなかった。
彼を警戒しつつも、その人当たりの良さは認めなくてはならない。それよりも気になるのはこの小隊の内訳だ。
聖騎士は最前線で戦っていたはずだ。それなのにジュスタンの部下の聖騎士が三名もいる。北に兵を割いているので、10人程度と思っていたが、実際には聖騎士を含め15人ほどの騎馬に馬車が二台と意外に大所帯だ。
てっきり、兵の都合がつかなくて待たされたのかと思っていた。
聖女一人を連れ戻すのにいくら何でも大袈裟な気がする。理由を問い質してみても、ジュスタンは国外へ出るのならば、これが普通だと言う。レオンは外のことは知らないが、どことなくうさん臭い。
いよいよ惑いの森へ着いた。その日の晩は近くの村で一泊し、翌朝から、森に入ることになった。
しかし、翌朝、惑いの森の入口でひと悶着おきる。
全員で、森を抜けようと主張するジュスタンにレオンが反対したのだ。
「馬車と数人の兵士はここへ残していくべきです」
それがレオンの主張だった。
「何を言っているのだ。魔物がいるのだぞ。全員で戦ってしかるべきであろう」
「森はほとんど人が通ることもなく道も狭い。馬車と数人の兵士は残していくべきです」
意外なことに兵たちはレオンの意見に賛成した。ジュスタンのカリスマ性もいまや兵に通用しないようだ。こうなるとジュスタンに指揮権があろうが関係ない。
レオンの主張には理由があった。彼は黒の森で戦った経験がある。よって、この国の兵士が魔物の前でどれほど腰抜けで役に立たないか知っていた。彼らはいつもリアやレオン、傭兵の影に隠れていたのだ。魔物の前で、兵士たちは戦力というより、足手纏いになりかねない。
「冗談ではない。何のために兵士不足のこの状況下で隊を組織したと思っているのだ」
「何を言っているのですか。
全員森を抜けられないかもしれない。そのときそれを誰が知らせに行くのです? 一週間たっても我々が戻らなければ、彼らが作戦の失敗を王都へ知らせに行けばいいでしょう」
レオンが冷たく言い放つ。馬車と数人の兵士は必要だが、こんな隊など無駄と思っていた。
「なんだと! 森を無事に抜けるために貴様がいるのであろう。信心深い神官ならばぬけられるはずだ」
「なぜ、私が森を抜けられると? 信仰など目に見えないのに」
レオンがきっぱりと言い切る。事実レオンは神殿の教義に疑問を持っていた。
すると一瞬ジュスタンの瞳が揺らぐ。不安を感じているようだ。この男も人の子なのだと思った。そこでレオンは兵士たちに畳みかける。
「皆さんどうです? 私には全員で森を抜けるなんて合理的ではないように思えます。全滅は避けたいと思いませんか?」
すると兵士たちは皆予想通り恐れをなす。
聖騎士を除いた兵士たちは、皆レオンに賛成した。レオンは気付いていたのだ。この国には手柄を立てて出世してやろうと思う兵士などいないことに。皆おのれの命こそが大事なのだ。
傾きかけた国は軍の厳格な指揮系統すら崩れていく。結局ジュスタンが連れて行く兵士を選抜し、馬車と半分の兵を森の外に残した。
だがそれも森の入口までだった。黒の森レベルの瘴気にあてられた兵士たちは、そのプレッシャーに耐えられず、少し進んだところで一目散に逃げだした。残ったのはレオン、ジュスタン、三人の聖騎士達だけだった。
ジュスタンと聖騎士達は怒りつつも逃げた兵士を追うことはしなかった。腰抜け過ぎて戦力にならないと判断したのだろう。
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