第9話 聖女の力が弱くなる?
男性が切迫した声で、なおも言いつのる。
「私のことはいい。早く逃げろ。奴らはまた来るぞ」
先ほどから、魔獣が息をひそめて近づいてくる気配と独特の匂いがする。察するにガルムだ。
「はい、もう来ているみたいです」
薄暗い茂みの奥に血のように赤い瞳が四対光る。
「囲まれました」
リアが冷静に状況を告げた。
「さっさと逃げろ!」
男がふらふらと立ち上がろうとする。回復しきっていないボロボロな体でリアの前に出る。彼女を守る気らしい。
戦場では聖女であるリアが盾になってきた。こんなふうに守ろうとしてくれる人など初めてだ。それだけで冷え切っていた心がほんのりと熱を持つ。
リアは素早くメイスに加護を願うと男性を引き留める。
「そのようなお体で立ち上がってはいけません。ここは私にお任せください。いま、屠って参ります」
男性を庇うように前に立ち、加護を纏い淡い光を放つメイスを構えた。
「おい、馬鹿なことはやめろ!」
リアが踏み出すのと同じタイミングで、先頭のガルムがとびかかってきた。迷いなく上段からのメイスの一振りで頭をつぶす。この手の動きのはやい魔獣は一撃で仕留めなければ、双方苦しむことになる。
一匹屠って一息つく間もなく、二匹目が左側からリアの懐に飛び込んでくる。メイスを力いっぱい横から薙いだ。鈍い打撃音を残して鳴き声ひとつたてることなく魔物は呆気なく沈められた。
ただのメイスではない。精霊の加護と祝福が宿っているのだ。
リアの素早い動きに、後の二頭の動きがぴたりと止まる。相手の強さを見定めているのだ。じりじりと睨み合いが続いたあと、ガルムたちは、しっぽを巻いて逃げさった。こういう時は気迫と先制攻撃が物をいうと傭兵達が教えてくれた。
戦いが終わり、リアは男のそばに仕留めたガルムをずるずると引きずっていく。
「あの今晩のおかずにと思うのですが、捌けるような道具をお持ちですか?」
罪人であるリアはナイフを持たされていない。
戦場では気の良い傭兵達がよく魔物を捌いてくれたものだ。今思うとリアは騎士や兵士よりも彼らと共にした時間の方がずっと長かった。リアはしばし思い出に浸る。
「うそだろ……?」
男性の綺麗な面立ちが引きつった。リアはそれを見て不思議そうに首を傾げる。戦場ではなんでも食べた。
(この方、ガルムの肉はお嫌いなのかしら?)
♢
「名は何という?」
男性は端整な顔立ちに、美しい金髪、サファイヤのように輝く瞳をもっている。王太子にも引けを取らない美男子だが、何というかタイプが違う。王太子のようにどこか作り物めいたところがない。それでいて儚げ。
「え、あ、名前ですか?」
リアは焦った。自分は追放聖女だ。ここで素直に名乗ってもよいものか。
「失礼した。私は、ルードヴィヒ。この森を抜けた先にあるマルキエ領に厄介になっている」
やはり貴族なのだろうか。
「あの、私、リアと申します」
迷った末に名乗ることにした。別に珍しい名前でもない。リアと名乗ったからといって追放聖女だとバレることはないだろう。それに一般の人たちは聖女というと物凄い美人を想像する。リアはそこから外れていた。
焚火の炎がはぜ、肉が焼ける香ばしいにおいがあたりに充満する。
「肉が焼けたようだ」
ルードヴィヒは、ずるずると焚火のそばにより、こんがりと焼けた肉をリアに手渡す。先ほど気付いたのだが、彼は左足が少し不自由なようだ。不思議とリアの神聖魔法をもってしても治らない。こんなことは初めてだ。リアは戦場で離れた四肢を繋ぐこともできた。
あらかた食事が終わると、またルードヴィヒが口を開く。
「この森で人を見かけるのは珍しい。薬草でも取りに来て迷ったか?」
薬草を取りにこの惑いの森に入るなど聞いたことがない。それに彼はよくこの森に来ているような口ぶりだ。いったい何者なのだろう。
「……ただの通りすがりです」
まさか追放された隣国の聖女とは言えないし、不器用なリアは、とっさに上手い嘘を思いつかなった。
「通りすがり、こんな森の奥で? 見たところ腕に覚えはあるようだが、さすがに一人では危ない」
「そういうルードヴィヒ様もお一人ですね」
不思議に思った。貴族なら供がいてもおかしくない。
「ああ、私か。この森の魔物が最近里まで出てくるというので、調査に来たのだが、魔物に襲われてね。乗ってきた馬には逃げられた。こんなに奥まで入る気はなかったんだがな……」
「まあ、それは大変」
ルーヴィヒは苦笑する。
「情けない姿を見せてしまった。それよりも先ほどの魔法はヒールか?」
「はい」
「変だな」
「何がです?」
「私が受けてきた癒しの魔法とは違う」
リアはどきりとした。たしかに国の兵士たちは疑問に思っていなかったようだが、外国から来た流れの傭兵達は最初のころリアのつかう治癒魔法を不思議がっていた。
「そ、そんなことはないと思います」
少し焦る。
「随分と効き目があるし、傷を塞ぐ早さも尋常ではないようだ」
しかし、そうは言っても未だにルードヴィヒは左足を少し引きずっている。リアは先ほどからそれが気になっていた。
「どうした?」
リアの視線に気づいたルードヴィヒが問う。
「あの、あなたの足を癒すことができませんでした」
こんなことは初めてだ。良い人そうなのに、彼の足を癒せないのが辛い。
「ああ、そのことか? 当然だ。これはケガではない。私はもともと左足が不自由なのだ」
さらりと何でもないことのように言う。しかし、リアは今まで神殿でそのような人々を癒してきたのだ。
国から追放され精霊の加護が受けられなくなり、神聖力が弱まったのだろうか。一番得意なヒールで人を癒せなかったことが彼女の自信をくじいた。
(人を恨んだから、心がけがれた……)
この森へ入って初めて落ち込んだ。
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