第33話 穏やかな暮らしの先に

 ルードヴィヒは重湯を食べ始めてから二日後、何事もなかったかのように起き上がり、日常生活に戻った。その後すぐにヴァーデンの森の屋敷へ帰り、再び穏やかな暮らしが始まる。


 それでも彼は以前より少し痩せた。高熱が出るたびに命を削られているように見える。リアは、ルードヴィヒが心配で、しばらくはそばから離れなかった。




 ルードヴィヒは「アリエデにいけば治るかもしれません」というリアを説得しなければならなかった。


「アリエデに行ったからといって、精霊の加護が受けられるとは思えない。第一、加護というものは生まれつきのものだろう。それはアリエデでも同じはずだ」


「確かにそうですが、何か方法があるかもしれません」


 リアは藁をもつかむ思いだった。

 しかし、ルードヴィヒはリアの言葉に静かに首を振る。


 リアも彼の言っていることは頭ではわかっているが、その反面行けばどうにかなるのではと思ってしまう。少なくともじっとしているよりずっとましだと。彼の呪いを知ってからはいてもたってもいられない。


「この国の神官達も昼夜精霊に祈りを捧げているが、リアのように神聖魔法を使いこなすことは出来ないし、この国には長く聖女が生まれていない。

 それに私もささやかながら精霊には祈りを捧げている。ヴァーデンの森の恵みは彼らのお陰だからね。この国の信仰はアリエデとは違い加護をうけるためというよりは、与えられるものに感謝をささげるものだ。私はそれが気にいっている。

 アリエデに行ってあちらのやり方に従ったとしても、加護が受けられるとは思えない」


 彼は言外にアリエデのやり方に従う気はないと言っている。

 クラクフでは癒しの御業を使う聖女がいないせいか、信仰と人々の日常生活の間にへだたりがある。神殿はけがや病気で駆け込むところではない。静かに祈り感謝をささげる場所だ。


 

 ルードヴィヒが毎日のように根気よく諭すと、リアもだんたんとアリエデに行くことが無謀なことだと認めるようになってきた。


「ルードヴィヒ様は王族ですし、他国へ気軽に行くなんてできないですよね。私も追放されているので、かえってルードヴィヒ様にご迷惑をおかけしてしまいます」


 リアの口ぶりはまだ諦めていないようにも聞こえるが、とりあえずはアリエデに行くという考えは捨ててくれたようだ。


「それ以前に、アリエデは外国人をあまり受け入れない」

「え?」

「アリエデで外国人に会ったことはあるか?」

「そういえば、ほとんどありません。すごく珍しいです」


 それにくらべて、クラクフはいろいろな国の人々がいる。王都や、観光地でもたくさんの外国人に出会い驚かされた。

 不思議とアリエデについてはルードヴィヒの方が詳しいこともある。





 その後、ルードヴィヒの説得が功を奏したのか、しょげかえっていたリアも少しずつ元気を取り戻した。

 しかし、それは新たな始まりで……。


「ルードヴィヒ様、新しく回復薬ポーションを作ってみました! 私で試してみたのですが、凄い効果です」


 リアが、回復薬ポーションを作ってはルードヴィヒのもとに度々持ってくる。それもだいたいルードヴィヒが部屋に籠っているときだ。部屋で倒れていたり、臥せっているのではないかと心配になるのだろう。実際はただアリエデと聖女について調べ物をしているだけなのだが、サロンや食堂に少し姿をみせないだけで、彼女はパタパタと部屋までやって来る。


 回復薬ポーションを飲んでも無駄とばかりに服用をやめていたが、リアが朝早くから森で薬草をつみ渾身の出来のものを持ってくるのでむげに断ることも出来ない。


「できるだけ長生きする」などと言ってしまった手前、貰ったものはとても苦いが、きちんと飲み干している。そのせいか体調がすこぶるいい。

 足の痛みが軽くなり、杖を忘れそうなときもある。リアはルードヴィヒが調子よさそうにしているとすごく嬉しそうな顔をする。


「これでしばらくは死ねなくなったな」


 ルードヴィヒはリアが去って行った自室で、ひとりごちる。

 いままではいつ死んでもいいように身辺を整理し、森の監視と称して、供も連れず気ままに過ごしていたが、ここにきて無謀な行いを慎むようになった。


 子供の頃から王家の呪いの話は聞いていて、死はいつも身近にあり、覚悟もしてきた。それなのに、今ここで方向転換をしなければならない。少ならからず葛藤はあったが、いまはリアが喜んでくるのならばと考えている。


 彼女は、自分と同じく理不尽な運命を粛々と受け入れてきた。その彼女が喜ぶのならば、しばらく、彼女の為に、頑張るのもいいのかもしれない。そんなふうに考えるようになっていた。

 

 一度死の覚悟ができた心を再び生きる方へ向かわせるのは楽なことではない。生きることを諦めたよりも難しく感じることがある。

 呪いを受けて生きることは、常に死の恐怖と向かい合わせだ。だが、自分を頼りにしているリアを思うと、すくなくとも気持ちの上では呪いに負けるわけにはいかない。


 そんなルードヴィヒの変化をフランツもコリアンヌも喜んでいる。それに叔父夫妻も。






 リアはここに来た頃、破門されたからといって、神殿に行くのをしり込みしていたが、地元の神殿の神官達が喜んでリアを受け入れてくれたため、今は足しげく通っている。

 自作の回復薬ポーションをせっせと神殿におろしていた。


 おなじウェルスム教ではあるが、アリエデの神殿とはほとんど繋がりはなく、教義の違いから両国の神殿はあまり良好な仲といえない。

 そのような事情もあり、クラクフ王国の神殿の上層部は、アリエデの神殿がリアを探しているときいているが、知らぬ存ぜぬで通している。


 どういう事情があったにしろ、リアの作るポーションの効き目は最高だった。それなのに安い値段で卸してくれる。そのうえ、アルマータ夫妻とルードヴィヒのお墨付きだ。リアは神殿にとってとてもありがたい存在となっていた。




 

 回復薬を精力的に作り始めたリアは、少し前までふさぎ込んでいたのが嘘のようにいろいろなことを知りたがりルードヴィヒをよく質問攻めにする。


「王宮図書館の本にアリエデは精霊を騙した国とありました」

「それは、ちょっと極端なのではないかな? あそこはすべての本を保管しようとしているからね。いろいろなものが混ざってしまう」


「では、ルードヴィヒ様はどうお考えなのですか?」

「考えというほどではないが、何かきっかけがあって、あの国は閉じ籠ってしまったのではないかな」

「切っ掛けですか?」


 リアには皆目見当がつかない。


「たとえば、アリエデに隣接している国で、大国なのはクラクフだ。元々は軍事国家でね。昔、アリエデに進攻しようとしたのではないかと思う」

「え……?」


 彼が自国をそんなふうに言うとは思っていなかった。


「たくさんの罪を犯し、多くの人の血が流れ、その上にこの王国は成り立っているんだ。罪のいくつかは風化してしまったが、王家には代々呪いが続いている。長い歴史でみればどこの国が正しくて、どこの国が間違っているかなどないのだろう。

 それにこの国では、昔、焚書があったんだ。大切な歴史的文書が随分失われた。大方、その時に王家に都合の悪い文書も一緒に燃やされたのだろう。その反省もあって、今ではすべての文書を保管しようしている」


「そんなの、やっぱり理不尽です」

「理不尽?」

「ルードヴィヒ様が呪いにかかってしまったことです。なぜ、ルードヴィヒ様だったのですか?」


 リアの思いは、いつもそこに行きつく。彼が少し困ったような顔をした。


「それならば、リアが聖女だということの方がずっと理不尽だ」

 

 まただ。彼はいつも、そんなふうにいう。リアは自分が聖女であることは過分に恵まれていることだと思っていた。目の前で苦しんでいる人を癒せるのだから。



(ならば、ルードヴィヒ様を癒せない今は恵まれていない?)



 不思議とここにいる時間が、彼といる時間が、リアを幸せにしてくれた。いまも彼と向かい合ってこうして話している。それは尊くて、とても大切な時間。

 でもルードヴィヒが消えてしまったら、いなくなってしまったら。



 初めて出会ったとき、ルードヴィヒはひどい身なりのリアに対して、アリエデの誰よりも優しく親切だった。おかげで自分がどれほど汚れているのか、気づきもしなかった。それを思い出すと恥ずかしくて赤面したり、とても幸せな気持ちになったり、と忙しい。

 

 深手を負っていたのに、左足が思うように動かないのに、彼は魔物からリアを守ろうとしてくれた。どんなに大きなハンデを抱えていてもそれを言い訳にしない人。



 (ずっとこの方のおそばに……)



 リアは自分のその気持ちが何なのか気付いていなかった。










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