第4話 婚約者
薄汚れたローブ姿のリアは、いたたまれない気持ちで自分の順番を待った。
また一人、水晶に祈り手をかざす。光は弱いものから強いものまであり、中には水晶がほとんど光らなくて泣き伏している聖女候補もいた。そんな姿を見るとリアはたまらなく不安になる。
こんな大切な儀式なのに、同じ聖女候補が誰も知らせてくれなかったことがショックだ。
そして、治癒能力の高さに定評のあるディート男爵令嬢カレンの番になった。皆がかたずをのんで見守っている。カレンが祈りを捧げた途端、水晶はひときわ明るく輝く。会場が騒めく。
他の聖女たちはカレンに羨望の視線を注ぎ、王太子も注視していた。
とうとうリアの番がきた。本来ならドキドキするところだが、期待などない。
会場はカレンで決まりだという雰囲気になっている。
リアに注目するものなど誰もいない。その空気に少しほっとした。彼女は毎日の祈りと勤めでへとへとだし、一人だけ汚れたローブ姿が恥ずかしい。
それに、これで光らなくともやることは変わらない。たぶん、このまま神殿で下働きとして雇われるのだろう。仕事は一通り覚えているし、勤め上げる自信もある。
カレンはいまや注目の的だ。その方が気楽でいい。
ふと強い眼差しを感じ、顔を上げるとレオンと目があった。そしてフリューゲルから冷たい視線を注がれる。不思議と彼らだけが、リアに注目していた。
早く会場を去りたい一心で、祈ることもなく、無造作に手をかざす。その途端、水晶はまばゆく光り輝き始めた。水晶の間の影まで奪うような眩しさ。今までの光とは明らかに違う異質なもの。
水晶の間が水を打ったようにしんと静まり返ったあと、会場は大きくどよめいた。みな喜びというより困惑しているようだ。「あの身なりの汚い娘が?」 そんなひそやかな囁きが聞こえてくる。
しかし、一番驚いたのはリアだった。
燦然と輝く水晶の前で呆然と立ち尽くす。どれくらい時間がたっただろう。
「リア、今日から君が私の婚約者だ」
そう声をかけられて見上げると。金髪に青い瞳、とても素敵な男性が立っていた。この国の王子だ。初めて声をかけてもらった。現実とは思えない。これは夢だろうか?
♢
その後、リアの生活は目まぐるしく変わる。
部屋も相部屋ではなく、広い一人部屋に移され、侍女と従者がつけられた。下働きから解放され、鼠色のローブを着ることはなくなり、白い衣をまとう。毎日の沐浴や湯浴みで常に体は清潔だ。
多くの神官たちが態度を豹変させた。粗相をしたと、リアをうったりしなくなった。聖女候補や聖女たちも表立ってリアを馬鹿にしなくなった。ときおり嫌味を言うものがいるくらいだ。
神殿の多くのものが彼女に優しくなった。聖女になり、王太子の婚約者となるとこうも扱いが違うのかと驚かされる。
神官長のフリューゲルは相変わらず、リアが気に入らないようだが、声を荒げて皆の前で、リアを叱ることはなくなった。
そして唯一レオンだけは変わらない。あまりの周囲の変わりように、最近ではそんな彼に安心感を覚えるようになった。
王太子の婚約者として正式に公示されるとリアの両親が初めて神殿に面会に来た。六年ぶりに彼らにあう。二人は喜んでいた。
父母はその後もひと月に二度三度とリアに会いに来るようになり、その度にリアを褒めてくれる。こんなことは初めてだ。親孝行ができてリアは嬉しかった。しかし、一向に現れない姉がどうしているのか気になった。それに弟のランドルフも大きくなったことだろう。
「お父様お母様ランドルフはどうしていますか?」
「ああ、ランドルフか。ランドルフは養子に行った」
少し気まずそうに父が言う。
「え? なぜです」
リアは驚いた。
「子供のいない隣国の遠縁の貴族に是非にと泣きつかれたんだ。それで気の毒になってね。もちろん私たちも手放したくなかったよ」
「まあ、そうですか。ランドルフは望まれてもらわれていったのですね」
納得はいかないものの、神殿から出られないリアにはランドルフの幸福を祈ることしかできない。
「お姉さまはお元気ですか?」
また二人は気まずげに顔を合わせる。そして今度も父が答えた。
「プリシラは後継ぎだから勉強や社交に忙しくてね。あの子は天才肌な上に努力家だから」
姉が元気ならばそれでよかった。
♢
王子が会いにやって来る時は、化粧をし髪を綺麗に結ってもらい着飾って待つ。しかし、どんなに侍女に磨かれても鏡にうつる姿は凡庸で、王子の隣に立つと見劣りする。
鏡に映る薄汚れたような灰色の髪に濁ったように見えるブルーグレイの瞳。本当に自分でいいのだろうか? 神聖力が人より少し強いというだけで彼の隣に並んでいのだろうかと、不安になる。神官長フリューゲルにもお前は相応しくないとたびたび言われた。
真面目なリアはあいた時間を祈りに捧げ、傷病者を癒し、人々に尽くすことで不安を紛らわせる。不安ならば、一生懸命に努力を重ね王太子に相応しい聖女になるしかない。
「聖女リア、調子はどうかな?」
ニコライ王太子殿下は快活で気さくでとても親切だ。愛想のないリアに、いつも笑顔で接してくれる。
それなのに、リアはいつも緊張してしまって顔がこわばり、上手く話が出来ない。王子はそんなリアを気遣って、話題を提供し、スムーズに会話がつづくように配慮してくれる。口下手なリアを詰ったりからかったりしない。
彼の結婚相手が見た目もさえないこんな自分で申し訳ないという気持ちもあるが、淡い恋心が芽生えてくるのを抑えられなかった。人にこんなに親切にされたのは初めてだ。
忙しい王太子は神殿に十日に一回は訪れ、短い時間だが、リアと過ごす。それは彼女の数少ない楽しみとなった。
彼が来る前の晩は眠れないくらいドキドキする。リアは初めて恋を知った。
もちろん、釣り合わない、似合わないと当てこすりを言ったり、嫌味を言ったりしてくる者もいるが、そんなことはリアが一番わかっている。
だた彼にあって声をかけてもらえるだけで幸せなのだ。
(本当に私でいいのかな?)
そしてリアが十六歳の誕生日が近づいてきたある日。ニコライは花を持ってリアの元を訪れた。
「リア、もうすぐ君の誕生日だね。何か欲しいものはある?」
そういわれて驚いた。誕生日に何か贈って貰えるなど初めてだ。リアの両親はプリシラの誕生日は祝っても、リアの誕生日を祝うことはなかった。
欲しいものなど考えてみたこともない。人に与えても与えられることはなかったので、何も思い浮かばなかった。それでも王太子の気持ちが嬉しい。リアは一生懸命考えた。
「あの……私、九歳でこの神殿にきてから、神殿の外へ出たことがないのです。だから、殿下とどこかへお出かけしたいです」
そう言うとニコライは驚いた。
「君は欲がないんだね」
端整な顔に柔らかい笑みを浮かべる。リアは思わず見とれた。
「殿下はお忙しい事と思います。だからほんの少しのお時間でいいのです。二人でお散歩してみたいのです」
世間知らずの聖女のささやかな願いだった。
「わかった。すぐには実現できないけれど、そのうち君と出かけられるようにする。どこかいいか決めておいて。そうだ。それとこれを」
彼は小さな長細い箱を差し出した。
「あけてごらん」
促されるままに開けると中からは細い銀のネックレスが出てきた。
「まあ、綺麗。これを私に……」
生れて初めて、プレゼントをもらった。
「君と出かける件はもう少し待っていて。日程を調整するから」
「はい、でも無理はなさらないでください」
リアは神殿暮らしなので世間を知らない。お忍びとはいえ王太子と出かけることがどれほど大変かわかっていない。あとでそれを聞いた神官長のフリューゲルにねちねちと叱られた。
それが終わると今度はレオンが待ち構えていた。
「リア、信じられないよ。お前の不敬な態度を見ているといつもハラハラする」
レオンはリアよりも二年遅く神殿に来てリアより一つ下だが、まるで先輩のような口をきく。すぐ怒るし威張る、ちょっと苦手な相手だが、彼のいう事はいちいちもっともだ。
それにレオンの言動は、リアが聖女になった今も清々しいくらい変わらない。少し安心する。多分悪い人ではないのだ。
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