第36話 振り出し

(晴琉)


「晴琉!晴琉ってば!起きて!」


聞き慣れた心地いい声がする。昨日までの騒がしい朝とは大違いだ。


「んにゃ…おはよう」


「パン焼いてあるから、着替えて顔洗って!」


懐かしい。本当に来てくれたんだな、世奈のやつ。


朝飯を食べて歯を磨く。歯磨きしてる間に、世奈はいつも食器を洗ってくれるんだけど、今日は思わずチラチラ見てしまう。


「なによ」


世奈に気付かれる。


「いや?本当に来てくれたんだなーってよ」


世奈の視線は皿に向いていたが、少しだけ頬が赤くなった様に見えた。


あぁ、あと5分くらいで出発だ。もっとこの時間続いてくんねーかな。


「準備はいい?今日から中学2年生になるんだから、これからはもっとしっかりしなきゃダメだよ!」


「わかってるって!」


そう、今日は始業式だ。その晴れやかな1日の始まりを世奈と迎えられるなんて、幸せだな。


玄関のドアを開けて出発しようとした矢先、世奈が俺を引き止めた。


「ちょっと待って」


俺の制服の袖を引っ張る。


「なんだよ」


世奈がもう一歩近付いてきた。え?近くね?真剣な顔でじっと俺を見る。世奈のシャンプーの香りがする。これ以上近付いてこられたら、思わずキスしちまうかも。


「…なんなんだよ」


「…やっぱり!私、晴琉に身長抜かれてる!」


なんだそんな事かよ…、ハラハラして損したぜ。確かに、最近グッと身長が伸びて168センチまできた。まだまだ伸びそうなんだ。世奈も身長伸びてるみたいだけど、確かに俺より少し小さく見えるな。


…いや、そうじゃなくて。




ここだ。




俺は数十センチ前の世奈の唇に目掛けて飛び込んだ。


「え!?なに?」


世奈はテンパっていた。どうだ?俺は前進できたのか?考えてみりゃ、自分から人にキスしたのは初めてだ。今まで自ら壁を作っていたけど、今日それは突破できた。十分だ。あとは世奈がどんな反応を見せてくれるか…


「いや…お前が近付いてくるからよ、思わずキスしちまったよ」


世奈の顔が真っ赤になる。と思ったら、左から力強い張り手が飛んできた。見えてなかったから完全に面食らった。


「晴琉のバカ!」


そう言って世奈は出て行った。やべぇ、やっちまったかこれ。


結局俺は今日、1人で登校する事になりました。


♦︎♢♦︎♢♦︎♢♦︎♢♦︎♢

(世奈)


もう、晴琉ったら意味わかんない。いきなりキスなんて、バカじゃないの?


私、彼氏持ちだよ?


晴琉は流石に追ってこない。そろそろ歩こう。陸との待ち合わせまでに気持ちを落ち着けなきゃ。



「よっ。今日は世奈にしては遅かったな。久しぶりの学校で準備にもたついたか?」


陸は先に待ち合わせ場所に到着していた。いつも私は20分前には着いちゃうけど、今日は5分前だった。


「ごめん、待たせたね。いこっか」


私達は今日も2人並んで歩き出す。私は陸に気付かれないように、人差し指で唇に触れた。まだ感触が残ってる。晴琉の唇の感触。続いて心臓にそっと手を当てる。この胸の高鳴りは、きっと喜びを表現してる。そう、隣に陸という人がいながら。


やっぱりこんな中途半端な気持ちで付き合うのなんて、ダメだ。ダメに決まってる。今言おう、言うんだ。別れようって。


「陸、あのね…」


「あ、そういえば今日クラス替えじゃん!楽しみだな!」


「そ、そうだね!ハハハ…」


やばい、絶好のタイミングで言いそびれた。でも腹は決まった。一旦陸と別れて、もう一回フラットな関係に戻すんだ。そしてもう1回、どっちが好きか考えたい。


私達の学年はクラスが3つある。私は1組、陸は2組だった。


「おっはよ!2人、組別れちゃったみたいね、残念」


玄関に張られたクラス替えのリストを見ていたら、後ろから沙耶が現れた。


「沙耶!おはよ。沙耶は何組なの?」


「3組よ、なんか仲良い友達少なくてさ〜、先が思いやられるっていうか…。あ、そうだ——」


沙耶は顔を私の耳に近付け、小声で続ける。


「晴琉、あんたと同じ1組だったね」


「え、ホントに?」


「ホントだよ。クラス替えは晴琉が一歩リードってとこですか?」


「からかわないでよ!」


「おい、なにコソコソ喋ってんだ?」


陸がその場にいるのを一瞬忘れていた。危ない危ない。


「なんでもないよ」


私達はそれぞれの教室に向かった。




———昼休み。


私は陸のいる2組に向かった。ちょっと時間作ってもらうくらいならできるよね。


「わり、今日は友達と体育館でバスケやろうって話になってんだ。また今度な」


「うん、わかった…」


また言いそびれてしまった。こうなったら放課後に。



———放課後。


「陸、あのね…」


「そういえば今度の県大会、世奈はやっぱ高跳びに出るのか?」




「陸、あのね…」


「そういえば昨日、世奈に勧められたドラマ見たよ、意外にハマっちゃってさ」



うん、おかしい。絶対話を逸らそうとしてる。それに普段自分からこんなに話さないのに、今日に限ってめっちゃ口が達者なのもおかしい。


「それでさ…」


「陸!」


私は少しキレのある大きな声で陸に呼びかけた。流石に陸の口は止まった。


「…」


「あのね、陸。大事な話があるんだ」


陸は何かを悟った顔をして、空を見上げた。


「別れてほしい…だろ?」


「…やっぱり、わかってたんだね。私が言おうとしてたこと」


「今朝会った時くらいから様子がおかしかったからな」


「うん、今日決心したことなんだ。さすが陸だね。私の事よく見てくれてる」


「当たり前だろ」


「理由もなんとなくわかると思うけど…、私ね、やっぱり陸と付き合ってる状態で晴琉と陸を比べられない。それって陸に凄く申し訳ない事だなって思うんだ。だからもう1度振り出しに戻って、どっちが好きなのか考えさせてほしくて」


「大体そんなとこだろうと思ってたよ。正直、俺も今日の世奈を見て気付いた事だったから、腹をくくる事が出来なかった。だから会話するのが怖くて、世奈の話を無理矢理切り替えちまったんだ。ごめんな」


「ううん、大丈夫。今こうして伝えられたから」


「でも、そうだよな。今俺と付き合ってても、世奈の気持ちに迷いがある以上、この関係には何の意味も無い。世奈がその方が気持ちの整理をつけられるのなら、1度別れよう。でも、答えを決めた時は、どんな結果になっても、教えてくれよ?」


陸は優しく笑った。


「…うん、わかった」


「…じゃあ先に帰って。今日は1人で帰りたいんだ」


「うん。ごめんね陸。ありがと」


そこからは2人、別々に帰った。

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