第十二幕


 お互いに枯れ果てるまで涙を流した。わだかまりを消し去るが如く。そうして涙を流し切ったその後は、不思議と清々とした気持ちが胸中に広がった。

 木漏れ日が朝露を反射し、眩く輝いている。

 気持ちを落ち着けたアイリスは、すっかり掠れてしまったその声で、自分の凄絶な過去を訥々と語ってくれた。

 それは一人の少女の悲劇の物語だった。




 わたしは山奥のこじんまりとした寒村の片隅の小さな家で生まれた。小さい頃はよく庭先を快活に走り回って、服を汚しては母に叱られていた。


 「おかーさん!これみてきれいないしひろったよ!」

 「あらあら、アイリスったらこんなに服を汚しちゃって。本当にお転婆なんだから」


 母は優しい人だった。

 その時には既に人族と魔族の間で戦争が頻発していた。わたしの父も戦争に駆り出されていて、ついぞ帰って来なかった。だからわたしは父の顔を覚えていない。 

 それでもわたしは寂しい思いをしなかった。

 母がわたしを思う存分甘やかして育ててくれたお陰だ。

 そんな母のことがわたしは大好きだった。

 わたしたちは慎ましやかに、だけど幸せに暮らしていた。


 だけど、そんな幸せな日々は長くは続かなかった。


 わたしがちょうど五つの誕生日を迎えたその日、突然盗賊が家に押し入って来たのだ。

 異変を逸早く察知した母がわたしを地下室に押し込み、そこから出てくるなとわたしに言いつけた。

 幼かく、状況を上手く呑み込むことが出来なかったわたしは、ただ母の言い付けを守った。

 母はわたしの世界の全てで、これまで母の言うことは全て正しかったから。

 暫く息を潜めて縮こまっていると、母の悲鳴が聞こえてきた。

 無力なわたしは地下室で母が喰い物にされる音を黙って聞いていた。 

 何か良くないことが起こっていると言うことだけは幼いながらも理解できた。だけど、わたしはその考えを頭から追いやった。

 すぐに母がわたしを迎えに来てくれると無邪気に信じていた。


 そんなわたしの願いが叶う日は永遠に訪れなかった。

 幸せな日常は唐突に終わりを告げ、現実の残酷さだけが突き付けられた。


 永遠とも思えるながい時間を地下で過ごした。

 頑なに母の到来を待ちわびたが、ついにその時は来なかった。わたしを暗闇から救い出したのは愛する母ではなく、近隣に住む男衆だった。

 地上に出たわたしを迎えたのは血に沈む無残な母の遺体だった。

 どれだけ必死に願っても目を覚まさない母の変わり果てた姿。

 幼かったわたしには死という概念が理解出来なかった。だけど、周囲の人の反応から、母の身に何か良くないことが起こったのだと理解した。

 漠然とした恐怖に駆り立てられるがままに、わたしは母に縋り付いて泣いた。

 後に村の人から賊は全員捕縛したと聞かされたが、そんな事わたしにはどうでも良かった。

 わたしはただ母に帰って来て欲しかっただけなのだ。



 孤児となったわたしはすぐに教会に預けられることになった。

 教会では孤児を引き取る際に、簡単な身体検査をする。

 公的には孤児の健康状態を検査する為と言っているが、実は他にももう一つ目的がある。


 その身体検査は【聖剣】の適合者を探す為のものなのだ。


 簡単な身体検査で聖剣の適性が有ると診断されたわたしは、徐々に大きな街の教会に移されて行った。

 より精密な検査をするために大きな街に行くと、美味しい食事が与えられたから、わたしは適性があることが良いことだと勘違いしていた。

 そして、ついに教会の本部がある聖都にまで呼ばれるに至った。


 聖都にはわたしの他にも何人かの子供が呼ばれていた。

 その時呼ばれた子供たち(わたしを含め)は、教会本部の地下にある巨大な実験場に拘置されることになったのだが、当時のわたしたちにはそ自覚がなかった。

 なにせ教会は食事を施してくれる良い団体だとわたしは思い込んでいたのだから。

 民衆の味方である筈の教会がまさか非道な人体実験をするとは、その当時は思いもしなかった。


 そして惨劇が始まった。

 聖剣とは、体内を巡る生命力の源、力の源流たるプラーナを流用して、怪我の修復や欠損部位の回復を行う為の媒体だ。

 教会の秘奥義である【癒しの祈祷術】も原理は同じらしいのだが、こちらは手足を失ったとしても、それを回復させるほどの効果は見込めない。

 どれだけプラーナを込めたとしても、せいぜいが裂傷や骨折の治療が限界だ。

 それに比べて聖剣の使い手は体内のプラーナが枯渇しない限り、無限の再生能力を持つことが出来る。

 聖剣の使い手を殺すには一撃でその命を絶たねばならない。僅かでも隙を与えると、瞬時に回復するのだ。

 そしてそれは他人の傷をも癒すことが出来る。

 そんな便利な道具を所有している教会が、それを利用しようと考えない訳がなかったのだ。


 細かい条件は知らないが、聖剣と相性が良いプラーナをしているという理由で集められた子供たちは徹底的に痛めつけられた。

 殴打による打ち身から始まった実験は、日を追うごとに悪辣なものとなっていった。

 奴らはわたしたちの全身を殴ったり、蹴ったり、鋭利な刃物で斬りつけたり、疲弊させるために逆さに吊るして食事を与えなかったり、投げ飛ばして壁に打ち付けたり、全身の骨を粉々に折ったり、四肢を捻って捥ぎ取ったり、炎で全身を炙ったり、生きたまま生皮を剥がれたり、腹をかっ捌いて臓腑を抉り出したりした。

 そして身体が再生する様子をつぶさに観察するのだ。


 この実験を通して、教会に囚われた哀れな子供たちはわたし以外全員が犠牲になってしまった。

 聖剣との相性や内包するプラーナの総量次第で再生できる限度が違ってくるのだ。

 教会の大人たちは、自分が行なっている残虐非道な行為を神の名の下に行う神聖な儀式だと、そして神に選ばれた栄誉と幸運に感謝を述べろと、言いやがった。

 恍惚とした表情で、わたしたちを痛めつけながら。


 そうして多くの命が無為に失われた。

 大人たちがわたしたちを痛めつける時どんな顔をしていたと思う?

 全員、嗤っていた。

 あいつらは嬉々としてわたしたちを痛めつけていた。

 鼻息を荒くしながら、いかにも楽しげに。


 五つの時に教会に連れて行かれたわたしは、その後三年間拷問を受け続けることになった。

 その時点でわたし以外の生き残りがいなくなったので、儀式とやらは終了した。

 だけど、そんなことを被験者のわたしに知る由もなく、次に殺されるのはわたしだと怯えて暮らしていた。


 そんな折、わたしの前に教皇と呼ばれる男が現れた。

 その男は随分と親身になってわたしの話を聞いてくれた。

 わたしの境遇に同情し、すぐにここから解放したいと言ってくれた。

 今にして思えばそれが奴の手口だったのだろうが、その当時わたしはすぐにでもこの地獄から逃れたい一心だった。もし逃れることが出来るのなら、悪魔に魂を売ってもいいと思っていたほどだ。

 そして、わたしは奴の言う通りに契約を結んだ。奴の言うことには逆らえない呪いを受ける代わりにこの地獄から出してくれるという交換条件を飲んだのだ。

 

 そして新たな地獄が始まった。



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