第十六節


 拝啓、おじいさま

 近頃日毎に暑さが増していくように感じられますが、そちらはどうですか?

 変わりなく過ごせているのなら幸いです。

 私の方はあれからすっかりと状況が一変してしまいました。

 かつての仇敵だった勇者とは共闘関係を続けていく内に、私の中で妙な情のようなものが芽生え始めたのです。

 彼女のしたことは許せはしませんが、彼女は自分の犯した罪と向き合っているように思います。その為なのでしょうか。どうにも彼女を憎む気にはなれなさそうです。

 それはさておき、今日は人族についてご報告させて頂きたく思います。

 私たちは今、聖都から南に下った先にある、森の奥にある寂れた古い村に来ています。

 そう、人族の村です。

 私はこれまで人族は全員が邪悪な存在だと断じていましたが、どうやらそんなことはなさそうなのです。

 いい人もいれば、悪い人もいる。

 まさに魔族と一緒なのです。

 実際に触れ合って、私が感じたのはそんなありふれた感想でした。

 だけど、人の善意を目の当たりにしても、今もまだ少し信じられない自分がいます。

 何かを企んでいるのではないか、と疑ってしまうのです。

 そんな風に考えてしまう自分が、今は少し寂しいと感じるのはいったい何故なんでしょうか?

 おじいさまの深遠なる智慧を頼れないことが、今は不安で仕方がありません。

 それでは今日はこの辺りで。

 これからもおじいさまが心安らかに過ごせますよう、いつも祈っています。



 朝日が顔を出す前の明るい闇の中、鳥の囀りにつられて目を覚ます。

 寝惚けた眼をこすり、見慣れないボロい天井を見上げて、此処はどこだと訝しむ。やがて意識が覚醒してくるにつれ、現状を思い出し、あぁ、と独り言ちる。

 そうだった。

 ここは私の故郷である天険の土地に佇む古城ではないのだ。

 今は私の傍らで無防備な寝顔を晒すこの勇者アイリスと共に、祖父の仇を討つために人族の国くんだりまで来ているのだ。

 すやすやと安らかに寝息を立てるアイリスの顔を眺めていると、じんわりと温かい気持ちが心の中に染み渡っていくのを感じる。

 軽く頰をつついてみる。

 あ、すごいもちもちしてる。

 何でこの子の肌はこんなきめ細かいのよ。少し私にも分けなさいよ。

 なんて理不尽なことを考えながらアイリスの頰を撫でていると、自分から手に擦り寄ってくる。そんな彼女の可愛さに悶えていると、寝惚けたアイリスの声が聞こえてくる。


 「ネレイスの手あったかい…」


 なにこのかわいいいきもの。

 アイリスが私の手を握りしめて離さない。手首をさらりとなぞる絹のような美しい髪に、なにかぞくりとする。


 「んっ…」


 彼女のくちびるが私の指にあたって、その柔らかさにたじろいでいると、無意識に漏れ出たであろう吐息がかかる。

 その感覚に全身に電流が流れた。


 今、わたしは、わたしのすべてが指先に集約している。


 …なんで私は朝っぱらからこんなにも悶々としているのだろう。

 いや、幸せではあるんだけどさ!

 このどう仕様もないおあずけ感が私の理性を揺さぶってくるのだ。

 困ったことにアイリスはこうやって度々、私に試練を与えてくる。

 それが最近の私の、認めるのは業腹だが、幸せな悩みだ。



 懊悩を押し殺すために、先ずは落ち着いて、状況を整理しようと思う。

 なぜ私たちがこんな閑散とした村に滞在することになったのか、その経緯から順番に思い出していこう。

 アイリスの壮絶な過去を聞いて、お互いに少し歩み寄ることが出来たという実感を得たあの時から何があったのかを。

 ………

 ……

 …

 ボロボロの廃屋は天井が吹き抜けているお陰で、見上げていると吸い込まれるそうな程に深い群青の空と、遮る物がない無遠慮な初夏の日差しがジリジリと肌を焼く。

 更に素晴らしいことにこの建物は建て付けも非常に悪く、今にも倒壊しそうなので、夏独特の緑の香りをふんだんに含んだ爽やかな隙間風を私たちに届けてくれる。

 その爽やかさを堪能した私はアイリスと改めて向かい合い、深刻な相談を試みる。


 「ねぇ、これからどうしようか?」


 アイリスは今ひとつピンときていないのか、こてんと小首を傾げる。


 「ここで体力を回復させて、もう一度聖都に侵入する?」

 「却・下!」

 「なんで?」


 心底不思議そうに私を見やるアイリスだが、こればっかりは譲れない。


 「先ず第一に、衛生的に良くない!こんな吹きさらしじゃ雨も凌げないじゃない!夏の夕立なめてんじゃないないわよ!風邪引くでしょ!」

 「そ、そう?」

 「第二に、アイリス自分の格好思い出して!そんなあられもない格好じゃこの先何にも出来ないわよ!」

 「わたしは気にならない」


 そう言ってくるりと一回転するアイリス。

 私が貸したマントがひらりと追随して、彼女のしなやかな脚のラインが惜しげもなく晒される。

 

 「私が!気になるの!」


 アイリスはマントの下は何も身に付けていないのだ。

 一言で表すなら、無防備、それに尽きる。


 「アイリスはもう少し他人があなたをどういう目で見ているかを気に掛けた方がいいと思うわ」

 「そう?」

 「えぇ。だから、アイリスの服の調達と私が魔族であるということを隠すために、そうね…何か全身を覆えるような防具が欲しいところね。アイリス、何か心当たりない?」

 「ん〜…」


 そう言って顎に手を当て、考え込むアイリス。

 どうでもいいから言わないけど、右手をマントから出しているから、一部スリットの様にはだけて白い脚が見えているのだ。

 重ねていうが、本当に、心の底からどうでもいいことだ。

 間違ってもじっくり見てなんてしていない。

 そこんところ勘違いしないでよね!


 「あ、」

 「何か思いついたことでもあるの?」

 「思いついたというか、何というか…」

 「なによ、歯切れが悪いわね。良いから言っちゃいなさいよ」


 言い難そうにしているアイリスをせっつく。

 アイリスはしばらく悩んだが、その末に観念したのか重そうに口を開いた。


 「確かこの辺りを根城にしている盗賊団がある」

 「ふんふん。それで?」

 「わたしがこの辺を歩き回って、襲われてくる。それを返り討ちにして装備を貰う」

 「……………アイリスもたいがい物騒よね」

 「…だから言いたくなかった」

 「でも、悪くないわね」


 そう言ってしょんぼりするアイリスを眺めているのも素敵な時間の使い方だとは思うけれど、あいにく私たちにそんな余裕は残されていない。

 だから、私は彼女の案を採用することにした。


 「まさかアイリス、囮役一人でやろうだなんて考えてないわよね?」

 「え、でもネレイスが魔族だってバレるのは流石にまずい…と思う」

 「それはそうなんだけど!手段はいくらでもあるでしょう?そんなことより私が何が気に食わないか、わかってる?」

 「ひ、一人で襲われようとしたこと?」

 「分かってるじゃない」


 うんうん。理解出来ているなら上出来だ。

 何事もすぐには改善されないだろうが、焦ることはない。

 ゆっくり、ながい目でもって見ていくことにする。

 アイリスが何か、べつに盗賊くらい危なくないとか、一人で制圧できるとかなんとか言っていたが、私は何も聞かなかったフリをする。


 「よし!じゃ今日は一緒に盗賊狩りね!張り切っていくわよ」

 「…ネレイスって意外と強引」


 私にとって都合の悪いことはすべてこの耳を通り抜けていくので、何を言われても気にならない。

 アイリスの諫言を聞き流し、二人で盗賊狩りに赴くべく、慌ただしく準備を始めることにした。

 ふと、天を仰げば雲ひとつない蒼穹がどこまでも広がっている。

 良い天気だ。

 こんな良い天気の日はきっと活きのいい盗賊がわんさか捕れることだろう。

 そんな下らないことを考えながらも、どこかワクワクとした感情が湧き出てくるのを、どうにも抑えることが出来なかった。


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