第十五節


 閃光が軌跡を描き、轟と空が鳴る。

 黒ずんだ空からは、今にも雨が降り出しそうな予感を感じさせる。

 そんな曇天な空模様と同様に内心穏やかになれない男が今日も悪態をつく。


 「クソッ!クソッ!クソッ!!何故じゃ!何故あやつらは見つからんのじゃ!?」


 でっぷりと太った巨体をイライラと揺すりながら、拳を執務室の机に叩きつけるこの男こそは、教会の現最高責任者、教皇その人である。

 勇者と魔族の小娘にまんまと逃げ出されたその日の内に、二人の捜索を自信満々に命じた教皇だったが、思う通りに事が運ばずに今日も今日とて周囲の物に当たり散らす。

 苛立ちを隠そうともその態度に辟易しつつも口にしない神官達。

 教皇にはなぜ捜索が難航しているのか、その理由が皆目見当もつかないのだ。


 「勇者は顔が割れている。それに魔族はこの国のどこに行っても目立つはずじゃ!それなのに何故まだ見つからんのじゃ!何故情報の一つすら出てこない!?」


 勇者出奔に際して教会は聖騎士団を動員し、聖都内を巡回させている。それと同時に多数の間者を聖都内に放って、捜索や諜報活動を行わせる。

 聖都は広いがそれなりの人員を割いているのだ。だから、忌々しい勇者どもの行方が知れるのも時間の問題だと考えていた。

 しかし、結果そうはならなかった。

 教皇の読みは見事に外れ、捜索開始から数日経つが、勇者はおろか魔族を見たという噂すら出てこない。

 それどころか聖都内のどこにも魔族の痕跡が見つからないのだ。

 爪痕や足跡さえも見つかっていない。

 これでは聖都内にいるのか、既に外に出ているのかも判別出来ない。

 ここまで完璧に痕跡を消すとなると、余程高い水準の教育を施された高位の魔族に違いない。

 この国の民衆の魔族への忌避感は非常に強い。

 老人から子供まで、男女問わずに誰もが魔族を嫌悪している。

 それ故にどれだけ巧妙に偽装しようが、必ず看破出来ると踏んでいたのだが、どうやら考えが甘かったらしい。


 教皇を苛立たせる要因がもう一つある。

 皇帝、ひいては神聖皇国が勇者の捜索に対して協力的じゃないのだ。

 教皇は皇室に対し、何度も勇者が教会に叛旗を翻したこと、魔族を連れて皇国内に潜伏していることを何度も訴え、勇者捜索の為の人員の貸与を嘆願した。

 だが、皇帝が教皇の願いに良い返事をくれることは、ついぞなかった。


 曰く、勇者は教会の管轄の筈である。その勇者の不始末の責任を取るのは教皇であるお前ではないのか、と。


 誤算だった。

 偏執的なまでに魔族を嫌う皇帝なら喜んで魔族狩りに人員を投入してくれると考えていたが、チンケな魔族一人の命よりも、今は教会の弱みを握ることの方が余程大事らしい。


 このままでは不味い。と、教皇は歯噛みする。

 もし、万が一、勇者が魔族を庇って逃げる姿なんかを民衆に見られでもしたら?

 その人数が少なければなんてことはない。

 いつも通りに処理すれば良いだけなのだから。

 でも、もしそれが白昼の聖都ならば?

 勇者の裏切りが白日の元に晒されてしまう。

 これまでに反魔族の思想を流布してきた教会の、その顔とでも言うべき勇者が魔族の肩を持っているなんて噂が出回ったらどうなる?

 決まっている。

 民衆からの信用が失われるだろう。

 民衆の心が教会から離れてしまったなら、きっと教会の権威に傷が付いてしまう。

 それだけは避けねばならない。


 徴兵が続き、民衆の生活は困窮している。

 厭戦気分が高まる昨今の情勢の中、勇者に魔王を討ち取らせ、戦争終結の兆しを見せた教会はかつてない程に民衆の支持を集めている。

 教会への布施も順調に集まっている。

 魔族の土地を開墾し、新たに街をつくり、人族の支配領域を拡大していくという遠大な計画も立っている。

 その為のツテも人材も全て揃っていた。

 全てが順調に進んでいると思っていた。

 これまで弱者救済を掲げて行ってきた無意味な慈善活動も、皇室の顔色を伺わねばならない窮屈な日常も、貴族や商人どもへの人脈作りに励んできた目眩のする忙しさも、ついにそのすべてが実を結ぶ時が来たのだと思っていた。

 そしてその先には、神の名の下に更なる富と栄誉が約束されていると。いっそ邪魔な皇帝を廃して新たな国家をつくり上げる事さえ可能なのではないか、とも考えていた。

 神の名の下に設立される国だ。

 私は神に使われし代弁者として、絶大な権力を欲しいままにしてやるつもりだ。

 そんな壮大な計画を目前にして、こんな小事に気を取られることになるとは考えもしなかった。


 ここにきて勇者の枷が外れてしまったことも痛い。

 教会が勇者に対して過去に行なった数々の非道を考えると、彼女が復讐に走ることは最早火を見るよりも明らかだ。

 大方、儂を縊り殺したくて仕方がないのだろう。

 勇者一人なら何とでもなるだろうが、魔族の小娘が奴と行動を共にしているのが計算外だ。

 そもそも数え切れないほどの魔族を殺してきた勇者と手を組む者が存在するなんて誰が想像できようか。

 利害の一致があったとしても、血に染まったあの破綻者と、よく協力しようだなんて考えたものだ。

 

 そこまで考えが至って、ふと思う。

 教会を呪いたい程に憎んでいる勇者と、恐らく我々の情報源に対してつよい恨みを抱いている魔族の小娘。

 そんな二人がこのままおめおめと逃げ出すだろうか?

 否。教会を、この国を、全てを焼き尽くさんばかりに怨んでいる二人だ。このまま逃げ出す筈がない。

 必ず儂らを殺しに来るだろう。

 問題はいつ来るか…だが。


 黙考する教皇に、とある神官がおずおずと話しかける。

 

 「教皇様。お考え中にすみません。例の者が参上仕りました」

 「おぉ、ようやく来たか。よし、通せ」

 「ははっ!」


 神官は一礼した後、すぐに部下に声をかけて何かを手配する。

 一様に慌ただしくなる執務室にノックの音が響き渡る。

 瞬間、空気が凍ったかの如く、室内が静寂に包まれる。

 神官だけでなく、戦うことを生業とした聖騎士たちの間にさえも緊張が走る。

 そしてゆっくりと扉が開き、フードを目深にかぶった如何にも怪しげな男が入って来る。


 「お呼びと聞きましたが、一体何用で?」


 その男は傲然とした口調で、さりとて慇懃に言い放つ。

 怪しげなその男の正体を知っている周りの神官や聖騎士たちは、その男の態度に憮然とした表情を浮かべている。一部の者は舌打ちし、怨嗟の声すらも聞こえるが、その男はそれらを気にも留めない。

 あくまでも優雅に、侮蔑や嘲りなど無かったかのように振る舞うその姿が、更に神官たちを苛立たせる。

 教皇も彼らがこの男に対して良からぬ思いを抱いていることは知ってはいるが、この男の価値を考えるとそれらは些事に過ぎない。

 

 「よく来たの。取り敢えずそこに座れ」

 「いえ、私はこのままで」


 その男は教皇の申し出をあくまで固辞しつつ、常に周囲の警戒を怠らずにいる。

 男はその動作ひとつひとつから洗練されていた。まるで長年の訓練の末に獲得した鍛え抜かれた戦士の身のこなしのような印象を周囲に与える。

 そんな男に教皇は呆れるも、気にはせずに話しを続ける。

  

 「相変わらず用心深いの。まぁ良い。実はの、また貴様の知恵を借りねばならん事態が起こっているのじゃ」

 「また厄介ごとですかな?」

 「ほっほ、そう言うでないわ。貴様はただ聞かれたことに答えるだけでいい。それが貴様の命の値段になっておるのじゃからの」

 「いやいや、教皇様にはかないませんな」


 鋭く睨め付ける教皇の視線を、それでも飄々と受け流すその男の、いっそ軽薄ですらある態度で以って、余人にその肚の内を覗かせない。

 狸め…。

 まるで信頼は出来ないけれど、今は利害の一致で協力関係にある。その男の持つ情報だけは信用できると言うことは、先の戦争で既に証明されている。

 なれば絞り尽くせるだけ情報を吸い出して、利用価値がなくなればその後に処分すればいいだけのこと。

 ここが人族の国である以上、自分の有利が絶対に動かないという確信が教皇にはあるのだから。

 であるからこそ、教皇はこの怪しげな男の知見を得るために、いっそ惨めなほど必死に縋り付く。言外に脅しを含めながら。

 そして、そのことをとっくに承知している男は、余裕たっぷりに教皇の腹芸を堪能する。



 数刻の間の尋問の末に、教皇は男から望んだ情報を引き出すことに、そして此度生じた問題への解決の糸口を見つけることに成功した。


 「これまでにどれだけ苦労してきたと思っている。このままでは終わらせんぞ」


 そう言って残忍にほくそ笑む教皇を映す窓の外は、嵐の様相を呈していた。

 吹き荒ぶ風に乗って、猛然と窓ガラスを叩きつける雨音だけが、いつまでも部屋に響いて止まなかった。



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