第十四節
アイリスの過去は悲劇、その一言に尽きる。
彼女がつらい経験をしてきたであろう事は、昨晩豚が喚き散らした内容からも推測はしていたが、彼女自身の口から語られるその過去は想像のはるか上をいくほどに凄惨なものだった。
彼女の口調からは教会や人族への強い恨みを感じた。そして、何より彼女が過去に犯した罪に対する苦悩や後悔、贖罪を。
アイリスの過去の行いは決して褒められることではない。
彼女が多くの同胞の命を奪ったという事実は少しも揺るぎはしない。
魔族の王として、私は彼女を許してはいけないのだろう。
だけど、少なくとも彼女は過去の自分の行いを深く後悔し、その贖罪のために自分に何が出来るかを考え、動いていた。
そのことを忘れてはいけないと、つよく思った。
私はアイリスと出会う前に勇者に対して抱いていた印象を思い出していた。
同胞を幾人も斬り捨て、それでも眉一つ動かさない冷徹さと残忍を併せ持つ、血も涙もない酷薄な殺戮者。
狂ったように血を求めて戦う戦狂い。それ故に同じ人族からさえも恐れられ、煙たがれる異端者。
彼女の行いからそういう人物像と決めつけていた。
彼女がどんな過去を持っていて、何を感じて、何を思っているかを想像せずに、抱いたイメージを一方的に押し付けていた。
そんな自分を内心恥じた。
現実に目の前にいるアイリスはただの人間だった。要領が悪くて、秘密主義で、義理堅くて、情に厚い。そんな心の通った一人の人間だった。
彼女に対する理解が深まると同時に、人族に対する憎しみは増す一方だった。
特にアイリスに対して酷い仕打ちを行なった教会。それと、その指導者である教皇。
この二つは地上から完全に存在を抹消したとしても、私の気が収まることはないだろう。
それくらい怒っている。
教皇に関しては死んでいないことに感謝したいくらいだった。
あのクズ野郎はあんな楽に死なせてはならない。
首を握りつぶすなんて楽な死に方では私の気が晴れない。
もっとじわじわと嬲って、アイリスが受けた苦痛、屈辱を何百倍にもして返してやらねばならない。
生まれてきたことを後悔するくらいに苦痛に満ちた死を与えてやらねばならない。
教皇に行う報復について考える私を他所にアイリスの話は続く。
「その後はネレイスも知ってる筈」
「ええ、そうね」
その後、とはきっと私とアイリスの出会いのことを言っているのだろう。
あの時は大変だったな。
アイリスに組み伏せられるわ、意味も分かっていないくせにプロポーズされるわ、で。
彼女の言動のその意味も意図も分からずに、ただただ困惑させられたっけ。
ほんの数ヶ月前のことなのに、はるか昔のことのように感じる。
それにしてもアイリスは誰かに何かを伝えるということが本当に下手くそだと思う。
急に結婚とか…私じゃなくても焦るよわよ!まったく。
「わたしはたくさん間違えた。前も今も」
懐かしむ私を他所にアイリスは続ける。
ん?
今聞き捨てならないことを言ったような…。
「今もって…どう言うことよ」
「ネレイスをわたしの都合で危険な目に合わせた。今も安全じゃない」
「そう…それがあなたの間違いだったと言うのね?」
「うん」
はーん。そーゆーこと言っちゃうのね。
良い度胸だわ。
良いわ。その喧嘩買ってあげる。
「あんたの言いたい事はよぉ〜っく分かったわ。その上で一言、言わせて頂戴」
「な、なに?」
急に怖気付いたような表情をみせるアイリス。
だけど、今更そんな顔をしてももう手遅れよ。
私は獲物を追い詰める猛獣の如くペロリと口端を舐める。
「あんた、本当に何も分かってないわね」
「へ?」
「そもそもの話、あんたなんで私をここに連れてきたことを後悔してるのよ」
「それは…ネレイスが危ないから」
「なんで私が危ないとあんたが後悔すんのよ!はじめは利用してやろうって気でいたんでしょう!それなら最後まで利用し尽くすくらいの気概で居なさいってのよ。なのになんで今になって後悔してるの!?」
「なんで…いまになって…」
困惑するアイリスの答えを待つ。
アイリスとの付き合いもそろそろ長くなってきた。だから、一気に捲し立てられると、彼女の処理能力が追いつかなくなって、暫く考え込んでしまうと言うことも分かってきた。
だから、彼女と会話をする時は適度に間とるか、焦らずに彼女の応えを待つ必要がある。
普段はせっかちな私だが、アイリスの話の続きを待つこの時間は、不思議と嫌いじゃない。
「えっと…ネレイスが優しくて、良い子だってことを知って…」
「うん」
「そんなネレイスが死んじゃうって思うと、怖くなった」
「怖い?」
「そう。ネレイスが大切に…なった…」
「そ、そうなの」
な、何よ急に。
急にそんなこと言われても許さないんだから。
「ネレイスが大切。…ネレイスを失いたくない。ネレイスに死んでほしくない。ネレイスに生きていて欲しい!」
「私のことが大切で、生きていて欲しくて、だから連れてこなければ良かったって思ってるってことね?」
「…うん」
そう言ってアイリスは顔を真っ赤に染め上げた。
なんで言ったあんたが照れてんのよ!
こっちまで照れるじゃない!
「…ゴホンッ!あんたの気持ちは嬉しいわ。ありがとう」
「うん」
「でもね、その上で言わせてもらうとね。あんた何様なのよ!」
「え?」
意味がわからないっと言った様子のアイリスに私は畳み掛ける。
「この場所に来たのは私の意思。裏切り者に復讐するって決めたのも私の意思。仇討ちにリスクが伴わないって私が思ってるなんて本気で言ってるの?」
そうだ。全部私が決めた事だ。
提案したのは確かにアイリスかもしれない。
だけど、最後にその提案に乗ったのは私なのだ。
だからこそ、その責任を負うことが出来るのも、私以外にはありえない。
復讐の果てに命を落とすことになったとして、それでアイリスが責任を感じる必要なんて微塵もない。
むしろ責任を感じる方が傲慢というものだ。
「そんな事は…」
「じゃあ私が周囲に敵しかいないようなこの場所に行楽気分で来たとでも思ってるの?」
「…思ってない」
「思ってるなんて言ったら本気で怒るわよ、まったく。…つまり、何が言いたいかと言うとね、私はリスクを承知でここに来ているの。それをあんたの気が変わったからって、勝手に私をのけ者にしようとしないで」
「うん」
「これまで一緒に頑張って来たじゃない。急に梯子を外すような事はしないで。何かあったのなら私にも相談して。私も何かあったら一番にアイリスを頼るから」
「うん」
「簡単なことじゃないのは分かっているわ。だからこそ二人で乗り越えるのよ」
「うん」
自分一人で完結させないで。
何か決める時は私にも相談して欲しい。
言っている事はシンプルで、それでいて難しい事だと思う。
「それとこれは前々から言おうと思ってた事なんだけどね」
「なに?」
「アイリスってさ、つらい事とか、しんどい事とか、なんかそーゆーことはぜんぶ自分一人で引き受けようとするよね?」
「そ、そんなこと…」
「ある。ねぇアイリス、私ってそんなに頼りない?」
「その聞き方は…ずるい」
よしっ!勝った!
「そう思うなら、次からは少しは私にも頼りなさい」
「……わかった」
アイリスは少し納得がいってないような、それでいて少し嬉しそうな、そんな複雑な顔をしていた。
「それじゃ改めて。これからもよろしくね?アイリス」
「分かった。ネレイス」
私たちは改めて共闘関係を結び直した。
もはや戦友と呼べるアイリスと改めて握手を交わす。
握り締めた彼女の手は幾万回も剣を振ったことが分かるくらい、岩のように硬く、それでいて温かかった。
まだ私たちはお互いに完全に心を通わせ合えた訳ではないのだろう。
きっとこれからも意見をぶつけ合い、傷つけ合うのだろう。
だけど、それも仕方ない事なのだと思う。私たちは出会ったばかりなのだから。
それでも今、この手に感じる温みだけは、偽りなく信じられると思ったから。
それだけが確かなら、私たちはこれからも進んでいける。
そう思えた。
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