第十三節
教皇と契約を結び、残虐な実験から解放されたわたしは聖なる剣に選ばれし巫女【聖女】として祀られることになった。
八つの時のことだ。
それからわたしは教会の持つ戦力として、毎日剣の特訓をさせられる事になった。
朝から晩まで、血反吐を吐くまで戦いの訓練を強要された。
それに教官たちはわたしに聖剣の加護があるからと無茶な特訓を言い出した。それはわたしの覚えが悪い時には、実際に腕を斬り落として覚えさすのだ。
また生えてくるのだからいいだろう?
そう言われた時、わたしは自分の扱いが実験体の時と何も変わっていないことを悟った。
この三年間で随分と痛みにもずいぶんと慣れてしまった。それでも腕を斬り落とされることは愉快な訳もなく、わたしは必死になって教官の言うことを理解しようと努力した。
そして訓練の日々が二年ほど過ぎた頃、気がつくとわたしは他の人族の誰よりも強くなっていた。
この頃から教官に斬りつけられることもなくなっていた。
模擬戦ではどんな高名な騎士にも負けなかった。それどころか複数人を同時に相手にしようが、難なく無力化することが出来ていた。
思えばこの時、わたしは増長していたのだろう。
誰からも傷付けられることがなくなり、むしろ体が一回りもふた回りも大きい男たちを相手にして勝つことができていたのだから。
万能感に浸っていたわたしを現実に引きずり落としたのは、わたしを地獄から救い上げてくれた筈の教皇、その人だった。
ある日、訓練を終え、一人寝室に戻ろうとするわたしを教皇が呼び止めた。
何事か尋ねると、わたしと話をしたいから教皇の部屋に来いと言う。
わたしは疑うことなく了承し、その日の晩に教皇の部屋を訪ねた。
そして、その晩わたしはこの男に犯された。
教皇に命令されると突然身体が動かなくなってしまったのだ。
そのままわたしは成す術もなく、奴に思うがままにされた。
わたしに勝てる者などいないと思い込んでいた。
そんな自信は儚く消え去った。後に残されたのは、ズタズタに切り裂かれたプライドと、惨めにうずくまるわたしだけだった。
その後も教皇はちょくちょくわたしを呼び出し、その度にわたしを捌け口にした。
何度も逆らおうとしたが、その度に呪いが発動して、その度にわたしの身体は凍りついたように動かなくなった。
教皇の要求は日を追うごとに酷くなっていった。
時には剣を背中に突き刺しながら。
時には腹に新しい穴を拵えて。
わたしが身篭った時には腹を滅多刺しにして、堕胎させられた事もある。
辛くて、恥ずかしくて、悔しくて、惨めで、無気力なまま毎日を過ごしていた。
何度自分の命を絶とうとしたか分からない。
でも、その度に呪いが発動するのだ。
教皇はわたしに死んで楽になることすらも、許してはくれなかった。
それから暫くの間、わたしは昼は訓練か政治の道具として、夜は教皇の奴隷として過ごしていた。
そんな折に人族と魔族の戦争が激化した。
魔族の中に我が身可愛さに仲間を売った裏切り者が出て、その身柄を教会が確保したからだ。
裏切り者の情報を元に魔王討伐作戦が練られ、それにわたしも参加することになった。
何もかもどうでも良くなっていたわたしは流されるままに戦場に赴いた。
出発する際には民衆に向けてわたしが救世主だとか、魔王を討ち亡ぼす【勇者】だとか持て囃され、盛大な式典が催されたが、心底どうでもよかった。
これであの男から離れられると思うと安堵すらあった。
この時わたしは流れ着いたその先で、自分が何を背負うことになるかも気付かずにいた。
模擬戦では誰よりも優秀だったが、実戦は模擬戦とはまったく別物だった。
飛び交う矢、槍を構えて迫り来る騎馬、豪然と振り下ろれる剣。
死の気配がすぐ側にあった。
魔族の街をわたしたちは強襲した。
突然戦場に放り出されたわたしは訳も分からず必死に逃げ惑った。そんな情けない姿を晒しているわたしは当然の如く襲われた。
長年に渡る訓練の末に、身体に染み付いてしまった習性で、わたしは咄嗟に応戦した。そしてその時わたしははじめて人を斬ってしまった。
まだ年若い、将来有望であろう魔族だった。
わたしは人を一人、この手で殺してしまった。
その晩、わたしは吐いた。
自分が人を殺したと言う現実を認めることが出来なかった。
わたしには殺したいほど憎んでいる男がいる。
万が一その男を殺す機会が巡ってきたならば、わたしは迷わず殺すだろう。
だけど、今日殺した人にわたしは何の恨みもない。
ただ、わたしが殺されそうになったから、それだけの理由で反射的にその人を殺したのだ。
機械の如く、冷淡に。
その事実がわたしの心を切り裂いた。
わたしは自分の心を護るために、教会の教えを信じることにした。
嫌っていた筈の教会の教えを。
「魔族は人ではなく、人の姿を模した魔物であり、駆逐すべき人類の敵である」という歪んだ思想を。
それからわたしは狂ったように戦った。
どれだけ自分が傷つこうとも、人類の勝利に貢献できるのならそれで良いと信じて。
戦って戦って戦って戦って戦って戦って戦って、戦い抜いたその果てに一つの魔族の村を攻め落とした。
そして、そこでわたしは自分が取り返しのつかないことをしてしまったのだと知った。
血溜まりに沈む魔族の女性とその人に縋り付く少女を見て、改めて自分の罪を知った。
ちょうどその頃、別の部隊が魔王を討ち取ったと報告があり、わたしたちは一度聖都に帰還することになった。
聖都でわたしを待っていたのは利権に目が眩んだ汚い大人たちだった。
わたしが自分の手を血に染めたのは、それが人族の未来に繋がると信じていたからだ。
でも、違った。
魔族と戦争をして利があったのは本当に一握りの人間だけだった。
例えば戦争で稼ぐ大商人、大貴族、皇族、それに教会。そういった一部の者たちのみが豚のように利権に群がり、貪り尽くしていたのだ。
そのことを知り、わたしは絶望した。
わたしが掲げていた大義はすべて幻想に過ぎなかったのだ。
正義を見失い、返り血に塗れたわたしに残されたのは、唯一罪の意識だけだった。
わたしは人を殺した。
数え切れないほど多くの命を奪った。
そのすべてが無意味だったと知って、罪悪感に押し潰されそうになった。
どうやったら死ねるか、それだけを考えながら死んだように毎日をやり過ごしていた。
そんな折に、新しい魔族の王が擁立されたと耳にした。
利に聡い豚どもはこぞって派兵を志願し、我こそが魔王を討伐せんと名乗りをあげていた。
当然、その中には教会のクズ共も含まれていた。
先達ての戦では武勲を上げることが出来なかった教会は、わたしに今度こそ魔王を討伐してこいと命じた。
その時わたしの中で一筋の光明が見えた。
魔王討伐を命じられたのなら、逆にそれを利用して教会を出し抜くことは出来ないだろうか?
そのアイデアはわたしの心に小さな光を灯した。そして、その光はわたしの中でどんどん膨らみ、次第にわたしの生きる希望となっていった。
万が一、わたしが自由の身になることが出来たのなら、否、どんな手を使っても自由の身になって、魔族の未来のために戦おう。
その為ならなんでも利用しよう。
そう、例えそれが魔族の王であったとしても。
魔族のために戦うことだけが、わたしの贖罪になると思ったのだ。
そして、わたしは魔王討伐遠征に加わった。
「その後はネレイスも知ってる筈」
「ええ、そうね」
そう言って俯くネレイスの表情は見えない。
いや、見なくても分かる。
きっと、わたしへの憎しみが溢れているに違いない。
それでも優しい彼女はそれをわたしに悟らせまいとしてくれているのだ。
「わたしはたくさん間違えた。前も今も」
「今もって…どう言うことよ」
「ネレイスをわたしの都合で危険な目に合わせた。今も安全じゃない」
「そう…それがあなたの間違いだったと言うのね?」
「うん」
本当に後悔している。
でも、今更悔やんでも遅いのも分かっている。
ネレイスの怒りはもっともだ。だからこそ彼女のことだけはここから無事に魔族領まで送り届けてみせる。
そのことをネレイスに話そうと口を開きかけて…彼女に向けられた笑顔に慄いた。
その笑顔は今まで見たネレイスの表情の中で一番美しく、そして怖かった。
彼女がこれまでで一番怒っていることだけはなんとなく分かった。
「あんたの言いたい事はよぉ〜っく分かったわ。その上で一言、言わせて頂戴」
「な、なに?」
ゴクリ…。
緊張で喉が鳴る。
わたしが身構えてネレイスの言葉の続きを待っていると、彼女は呆れたような表情を浮かべて一言。
「あんた、本当に何も分かってないわね」
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