第十七節
ついにこの日がやってきた。
決戦の時は近い。
私たちはこの日のためにひたすら牙を研いできたのだ。
奴らにはその鋭さを心ゆく迄存分に味わわせてやるとしよう。
はい。冗談です。良い加減なことを言って、混乱させてしまってすみません。
普通にアイリスと二人で盗賊が頻出する山に入っているのですが、肝心の盗賊さんが一向に姿を現さないのです。
つい一人で小芝居をしてしまうほどには退屈しています。
一体この山の盗賊さんは何処に消えてしまったのでしょう?
アイリスさんに尋ねてみることにしましょう。
「あー、、アイリスさんや、盗賊さんはどこかね?」
「なにその喋り方」
ノリの悪いアイリスさんには不評だったみたいです。
しかし、アイリスにドン引きしている目を向けられてると何かやばい気がしてくる。なにか新しい、それでいて開いてはいけない扉を開いてしまっている様なそんな感覚が…。
ゴホンッ…、気を取り直してもう一度。
「まったく出てこないわね。盗賊」
「うん」
「本当にここであってるの?」
「確かそう」
「確かって…不安になるわね」
情報源がアイリスってところが私の不安を加速させる。
この子少し、いやかなり短絡的というか、見た目はこんなにもクールで理知的っぽいのにその実物事を深く考えないというか、猪突猛進タイプの単細胞というか。まぁ言葉を飾らずに言うならかなりのおばかだ。
でも、今更考え過ぎてもしかないか。今は他にいい案も思いつきそうにないし、それになによりこの人族の領域では勇者である彼女こそが頼りなのだ。そう思い直した私はアイリスと連れ立って鬱蒼と生い茂る森の中を歩く。
ふと、意識がアイリスに向く。
今は私の正体を隠すために、私がマントに包まっていて、アイリスが私が身に付けていた服を着ている。
そんなアイリスをボーッと眺めながら、アイリスは何を着せても似合うよな。なんてとりとめのないことを考える。
彼女が今身に付けているのは、着古してしまってもうすっかりと草臥れてしまった私の衣装なのだが、そんな衣装でも彼女が着ると何故か魅入ってしまうのだから不思議だ。
むしろ私に比べて小柄なアイリスだからこそ、はだけた肩口であったり、ダボついた袖であったり、上着だけで丈の短いワンピースのように着ることが出来ちゃったりして、それが大変見目麗しいと言いますか。
って言うか!私の服をアイリスが着ているっていうこの状況がなんなんだろう。
言葉にし難いが、端的に言うのなら、なにかすごく興奮する。
煩悩に悩まされる私に更なる追い討ちがかけられる。
森の中をそよぐ清涼な風に乗って、甘くて、少しだけ汗ばんだかのようなツンとした香りが鼻腔を掠めるのだ。だけど、そこに不快感などは微塵もなく、むしろ嗅げば嗅ぐほどに癖になる匂いだ。
つい先ほどまで私のマントに包まっていたのはアイリスだ。つまり、この匂いはアイリスの体臭と私の体臭が溶けて混ざりあったものなのだろうか。
一夜明けて、お互いの匂いが混ざり合った衣服を身に付ける。
それこそ噂に聞く後朝の…。
そこまで考えて、紅潮する自分の頰を叩いて思考を消し飛ばす。
「どうかした?」
「だ、大丈夫!なんでもない」
そう言って心配してくれるアイリスの顔が今はまともに見れそうにない。
私自身そういった経験は全くないが、だからと言って興味がない訳ではないのだ。と言うか、むしろある。
かつては侍女にそういった情報を仕入れさせては夜な夜な想像したりしていたのだ。いつか私にも愛する誰かと結ばれる時が来るんじゃないか…なんて甘美な妄想を。
そして、今、私が妄想しているのは…。
違う。断じて違う。
そもそも恋人や番いは男女でなるものだろう?
あのプロポーズにはびっくりしたが、それも彼女が無知だった故のこと。本気にしたら後で泣くのは私なのだ。
勘違いしてはいけない。
そう自分に釘を刺し、ちらりとアイリスの方を見やる。すると、彼女が何故かすっごい赤面しているのだ。
「ど、どうしたの?アイリス」
「べ、べ、別に!な、なんでもにゃい」
「語尾が変なことになってるわよ。いいから白状しなさい」
しつこく詰め寄ったら、アイリスも観念したのか、かなり恥ずかしそうに、かすかに聞き取れるくらいの声音でついに白状した。
「えっと…身体中から、その、ネレイスの匂いがするなぁって思っ…」
途中口ごもって聞こえなくなっていたが、私もそれどころではなくなっていた。
彼女の熱が伝播して来る。
頰が焼ける。
きっと、今、私の全身が薪のように燃え盛っているのだろう。
そのくらい、熱い。
何か応えないと、そう思って口を開こうとして。
瞬時に冷えた。
アイリスも同時に気が付いたのだろう。
凍てついた視線を周囲に向けるが、その時には既に遅かった。
気がつくと私たちの周囲を数十人からなる野盗の軍団に囲まれていたのだ。
「まぁ…お待ちかねって感じね」
「まだいるかもしれない。気をつけて」
「アイリスこそ気をつけなさいよ。私はそんなに派手に暴れられないんだからね」
「わかった」
私がアイリスと一緒に戦わないのは、人族の領域で正体を現すなんて馬鹿な真似はしないで、とアイリスに強く念を押されているからだ。
私としてもその意見には概ね賛成なのだが、なんだか釈然としないものがある。
アイリスにはこの国で戦うのは全部私に任せてだなんて言われたけれど、まーた彼女の良くない癖が出て来ているように思うのだが…。それでも野盗くらいの敵なら彼女に任せちゃってもいいだろう。
そう判断した私は一歩下がって周囲の警戒に当たる事にする。
私が下がったことを確認したアイリスは、とくに気負った様子もなく剣を構える。
まさかか弱い女二人組に抵抗されるとは思っていなかった盗賊たちは呆気に取られるが、すぐに威嚇を始める。
「おうおう、姉ちゃんよ。まさかとは思うが抵抗しようなんて考えてねぇよな?」
「安心しな。観念して金目のモンぜんぶ置いていけば、命まではとらねぇよ」
モブのような台詞をつらつらと並べる盗賊ども。
ここまでらしいと逆に感動してしまうから不思議だ。
それに命までは取らないなんて、なんて甘い人たちなんだろう。
穏便に済むのならもともと彼らを始末するつもりなんてなかったけど、少しだけ彼らに対して優しく接してあげようと思った。
「鎧と兜、ちょうだい」
アイリスの言い方は相変わらず残念だった。
そんな言い方じゃ絶対に伝わらないだろうに。
「ぎゃはははは!なんて言ったこの女!?」
「おい、嬢ちゃん!鎧と兜が…なんだって?怒らないからおじさん達に言ってごらん。ぶははははは」
ほら言わんこっちゃない。
口々にアイリスの口調を馬鹿にする盗賊たちに対してアイリスは静かに殺意を滾らせていく。
明らかに暴走寸前のアイリスの背中つまんで抑え、念の為に盗賊たちと交渉できないか試みる。
まぁ無理だろうが。
自分たちの優位を信じきっている者たちが、交渉なんかに応じるはずがない。
欲しいものがあるのなら、すべて奪えばいいだけなのだから。
「えーっと…初めまして盗賊さんたち。私たちは先の戦争から故郷に帰ってる途中なんですけど、ちょっと道に迷って路銀も尽きてしまって、ほとほと困り果てていたんです。そこで盗賊さんたちにちょーっとだけ協力して欲しいことがあるんですけど…話聞いてもらえませんか?」
私の言葉を呆気にとられた表情で聞いていた盗賊たちだったが、言葉の意味を理解していくにつれて、先ほどよりも明確に侮蔑を込めた笑いが広がる。
「ブフッ!ぶひゃひゃひゃひゃひゃひゃ!そうかそうか!それは困ったな!それなら俺らのアジトに寄ってきな!歓迎するぜ」
「へへっ!そうそう!じっくり可愛がってやるからゆっくりしていきな」
「そっちのフードかぶった姉ちゃんの顔は分かんねぇけど、そっちの金髪の姉ちゃんは器量がいいな!今夜が楽しみだぜ!」
「おいお前ら見てみろよ!金髪の姉ちゃんが持ってる剣はなかなかの業物だぞ!こいつぁ高く売れそうだぜ!」
己の下卑た欲望を隠す気もない盗賊たちにうんざりしながらもアイリスの様子を伺う。
万が一にでも盗賊たちがアイリスのトラウマを刺激していたとしたら。その時は即座に私が殺そうと思っていたのだが…。
はたしてアイリスは震えていた。
だけど、それは恐怖によってではなく、怒りに我を忘れてるといった様相だった。
「下衆どもが…ネレイスを嗤うなぁ!」
そう言って盗賊たちに真っ向から斬りかかるアイリス。
戦いの火蓋が切って落とされた。
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