第十八節


 「下衆どもが…ネレイスを嗤うなぁ!」


 大地を踏み抜き、急加速で以って盗賊たちとの間合いを詰める。

 咄嗟のことで制止の声でさえも間に合わず、私はアイリスの背中を見送ることしか出来なかった。

 そして彼女の速度についていくことが出来なかったのは盗賊たちも同じだ。

 へらへらと笑っているその顔にアイリスの拳が深々と突き刺さる。


 ゴキィン…。


 鈍い音が響き渡り、盗賊の一人が膝から崩れ落ちる。

 そのあまりの疾さに事態を正確に理解出来なかった盗賊たちの間に動揺が広がる中、平然と佇むアイリスが一言。


 「まず一人」


 アイリスの挑発に頭に血が上った賊どもは雄叫びをあげ、彼女に群がる。そのまま数の暴威にまかせて彼女を蹂躙しようと押し寄せる。

 端から見ると身も凍るような恐ろしいその光景を、しかし私は安堵して見ていた。

 あきらかに頭に血が上ったアイリスがそれでも盗賊たちを聖剣で血祭りにしなかった。そのことからも彼女が激情に駆られながらも的確な状況判断を下せるだけの冷静さを失っていないことが分かる。

 これなら安心して見ていられる。

 そう判断した私は少し、いやかなり油断してしまった。

 彼女の強さに甘え、周囲への警戒を怠ってしまったのだ。

 その代償はでかかった。

 背後からつよい衝撃を受け、足がもつれる。

 意識の外側から攻撃を食らい、蹌踉めきながら確認すると肩口に矢がささっていた。

 傷口からは血が吹き出し、ついには視界が暗転する。

 意識が途絶える寸前、アイリスの悲痛な表情が私の目に映る。


 「アイリス…私は大丈夫よ。だから、どうかそんな顔しないで…」


 掠れて声にならない。

 それでもなんとか伝えないと。

 遠のいていく意識を繋ぎとめようと必死に抗う。だけど必死の抵抗むなしく、私はその場に崩折れてしまった。




 無我夢中で敵と戦う。

 一人また一人と殴り倒していく。

 気絶はさせるけれど、誰にもトドメは刺さない。

 誰も殺さない。

 それがネレイスとの約束だから。

 なぜ、なんて問わない。

 わたしはただネレイスを侮辱したこいつらを気が済むまで殴り倒すだけだ。

 顎を粉砕し、脛を砕き、肋を折る。

 心地よい悲鳴に耳を傾けながら、破壊の衝動に身を任せ、わたしは遮二無二敵を屠っていく。

 わたしは思考を止め、自分の正義を満たす為だけに暴力を振るっていた。そして、そのことに快感を覚え始めていたのだ。

 その事実にゾッとし、刹那わたしの足が止まる。


 これまで心の底から嫌悪してきたあの男と今のわたし、一体なにが違うと言うのだろう?


 心にポツリと湧いたちいさな疑念がわたしの身体を縛る。

 自分の愉悦の為に誰かを虐げる。

 わたしはそれを是とする事を嫌っていた筈だ。

 理由なく人を殺めることも、いたずらに人を傷つけることも、暴力とそれにまつわる全てを憎んでいた筈だ。

 だけど、違った。

 わたしは自分が気にくわないという理由で弱者を踏み付けている。


 彼女の瞳には今のわたしはどういう風に映っている?


 それを確かめるのが怖くて、でも確かめずにはいられなくて、わたしは彼女を振り返った。

 だけど、彼女とわたしの目が合うことはなかった。

 振り返ったちょうどその瞬間、ネレイスの肩に矢が刺さったのだ。


 「え?」


 思考が止まる。

 崩折れていく彼女をただ呆然と眺めることしか出来ない。

 ネレイスが傷ついている。その事実を受け止めることが出来ない。


 「お、おい!なんなんだこの女…急に動かなくなったぞ!」

 「構うもんか!今のうちに打ちのめせ!」


 ネレイスの肩口の傷から血が止め処なく流れ出る。

 呼吸が荒い。

 これはすぐに手当てしないとまずい。

 だれが?

 わたしがしないでだれがする!

 だけど敵に囲まれてる状況で手当てできるのか?

 そんな事かまっていられない!すぐに始めないともし、万が一にでも彼女を失ってしまったら…。

 いやだ!

 それだけは何があってもいやだ!

 絶対にいやだ!

 わたしは自分が殴られるのも、蹴られるのもかまわずにネレイスの元に駆け寄る。

 フラフラとした足取りで、途中転びながらもなんとか彼女の元に辿り着いたわたしはネレイスの肩から矢を一気に引く抜く。

 そして呼吸を整え、神に捧げる祝詞を唱える。


 【主よ。かくも慈悲深き我らが光よ。そのみ力で彼の者の苦痛を取り除きたまえ】


 手のひらに翠緑の光が宿り、それをネレイスの傷口にかざすと、彼女の傷がどんどん薄れていく。

 それに伴って、乱れていた呼吸がだんだんと落ち着いていく。


 「お、おい!あいつ不気味じゃないか?」

 「ああ。どんだけ殴りつけても一切反応しやがらねぇ。気味が悪いぜ」


 あぁ、良かった。

 この様子なら大丈夫だろう。

 これの様子ならきっと傷跡も残らない。


 「なぁどうするよ。もうこいつ殺しちまってもいいんじゃないか?」

 「そ、そうだな。せっかくの美人で勿体ない気はするが…まぁその分もう一人の方の世話になるか」


 ネレイスを傷付けた射手は……いた。まだ森の中に隠れている。

 許さない。

 彼女の玉のように艶やかな肌に醜い傷をつけたあの射手も、わたし達の邪魔をする盗賊たちも、全員まとめて皆殺しにしてやる。


 「おい!こいつを射殺せ!」


 聖剣を抜く。

 すらりと伸びる銀灰色の刀身が日の光を受けぎらりと輝く。

 全身にプラーナを巡らせ、臨戦態勢をとる。


 「お、おい!なんかこいつ傷治ってってないか?」

 「そんな事はどうでも良いんだよ!誰でもいいから早くこいつを射殺せ!今すぐにだ!」


 その声に反応して瞬時にわたしを射る。

 その矢を見ることもなく、掌で受け止める。

 唖然とした気配を周囲から感じる。


 「なっ!ありえねぇ!こいつ矢を掴み取りやがった!」

 「弓兵は全員ありったけの矢を放てっ!残りの奴らはハリネズミになったあいつにトドメを刺せ!いいなお前ら!日和るんじゃねぇぞ!」


 今わたしを射ったこいつはネレイスを射った奴だ。間違いない。

 位置は把握した。

 お前は最後に殺してやる。

 その前に邪魔な奴らを掃除しなきゃ。

 絶対にただでは死なせない。

 あらんかぎりの苦痛を味わわせてやる。

 そう決めたわたしは迫り来る大量の矢に目もくれずに、一人また一人と確実に動けないように肉を削いでいく。




 目を覚ました時、私の身体にはなんの異変もなかった。焼けつくような痛みを感じていた肩も気がつくとすっかり元通りだ。

 背中側だったから見えないけれど、触ってみた感じ傷跡も残っていない。

 確か矢が刺さっていた筈だけど…もしかして私の気のせい?

 そう思うくらいに何事もないのだ。

 そんな事よりも敵前で寝こけるなんて失態だ。

 私が気を失ってから一体どうなった?

 まさかアイリスが私みたいにドジ踏むことはないと思うけど…。

 私は周囲を見回して、呆然とした。

 そこが死屍累々の地獄絵図だったからだ。

 足の腱や腿から血を流しながら呻き声をあげる盗賊たち。

 身体の至る所に矢が刺さっていて、その傷口から血が流れ出るのも気にも留めず、鬼気迫る形相で逃げ惑う盗賊たちを斬り捨てていくアイリス。


 「く、来るなぁ!こっちに来るなぁ!!ぐぎゃああああ!!」

 「もう許してくれ!二度とお前らに手出しはしねぇか…ぐあああああ!!」

 「ヒィッ…嫌だ!死にたくない!!死にたくなっああああああああ!!」


 盗賊たちの悲痛な叫びも、必死の懇願も、全てを無視してアイリスは蹂躙していく。

 そして、恐らく最後の一人、腰を抜かして逃げることさえ忘れてしまった哀れな盗賊の前に立ちはだかる。

 普段は寡黙で、表情の変化に乏しいアイリスが、これまでに見せたことのない程の怒りを顕にして、その盗賊を睨みつけていた。

 その形相が少し怖くて、声を掛けるのを躊躇ってしまった。

 刹那、アイリスが聖剣を振り上げる。

 斬る。

 そう確信した私は考えるよりも先にアイリスの元に駆け出していた。そして気がつくと、アイリスの腕にしがみついていた。


 「殺しちゃダメ!!」

 「ネレイス…もう大丈夫だよ。ネレイスを傷付けた奴は全員殺すから」

 「だから殺しちゃダメって言ってるでしょ!一度落ち着きなさい!」

 「おち…つく?」

 「そうよ。だからこの剣一旦おろして」


 そう声を掛けると、張り詰めていたアイリスの緊張がフッと弛み、聖剣を持つ手から力が抜けた。

 カランッ…。

 聖剣が地面に転がり、力が抜けたアイリスもまたペタッと座り込んでしまった。

 何を措いても先ずはアイリスの手当てをする。

 刺さった矢を引き抜き、マントを裂いて傷口を覆う。彼女はいらないと言うが、私がそうしたいのだと、無理矢理納得させた。


 「ま、魔族…?」


 気がつくとフードがはだけていて、ツノや鱗が見えてしまっている。

 これではどう言い繕っても手遅れだろう。

 賊のその言葉にアイリスの目に再び殺意が宿る。


 「こいつはネレイスの正体を知った。殺さないと」


 アイリスはそう言って冬の湖畔のように凍りついた視線を盗賊に向ける。氷柱のように鋭いその視線を向けられた盗賊は気圧されて、言葉を発することもできない程に怯えている。

 私も少しだけ怖い。

 言葉が通じるらと言って、理解し合える訳ではないということを私は誰よりもよく分かっている。

 だからと言って大事なことを伝えないという選択肢はない。

 彼女との間には一つでも曇をつくりたくないのだ。


 「私の正体がバレたらそうやって全員殺すの?それが子供でも?」

 「そ、それは…」

 「関係ない人を殺すのはもうやめにしよう。もうこれ以上他人の死をあなたが背負う必要はないわ」

 「でも!…だとしたらどうするの?」

 「ここから先は私に任せてくれないかしら?私に考えがあるの」

 「かんがえ?」

 「ええ、そうよ。とりあえずこの転がっている奴ら全員一度拘束しましょう。…手伝ってくれる?」

 「…わかった」


 不承不承ではあるが、なんとか納得してくれた。 

 アイリスの笑顔は私の救いだ。

 もうこれ以上彼女の傷ついた顔なんて見たくない。

 これまではアイリスに護られてばかりだった。でもそれは嫌だから。これからはアイリスを護るために私も戦うのだ。

 意を決した私は地に伏して怯える盗賊と向き合う。


 「ねぇ」

 「ヒィッ!く、来るな悪魔!!」

 「傷つくなぁ。あ、こらアイリス!大丈夫だから落ち着きなさい」

 「……」


 むくれるアイリスもまた一段とかわいい。


 「まぁ良いわ。とにかくあんたには聞きたい事がいーっぱいあるわ。色々答えてくれるわよね?」


 笑顔で盗賊に詰め寄る。

 声にならない悲鳴をあげるそいつから、それでも聞くべきを聞き、知るべきを知るまでは手心を加えることなく追い詰める決意を改めてする。

 幸いにも私のことを過度に怖れてくれているみたいだし、問題はなく聞き出せるだろう。

 どす黒く笑う私の顔を見て、何故かアイリスが怯えた表情を浮かべる。

 なんであんたが引いてんのよ。

 つい口から溢れ出そうになったその言葉を飲み込むのにはずいぶんと苦心させられた。

 侮り難し。勇者。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る