第二十四節


 陽が傾き、月が顔を出す頃、私はアイリスと手を繋いで皆が待つ家に帰った。

 まだ陽が落ちると少し冷える中、繋いだ手の温もりが私に安心感と勇気を与えてくれる。

 アイリスと二人で話し合い、この村の人たちには伝えれる範囲で本当のことを打ち明けることにした。

 それはとても怖いことだけど、ここで逃げる訳にはいかないと思うから。

 それでもどうしても考えてしまう。

 もしここの人たちに拒絶されてしまったら?

 すっかり馴染んでしまったが故に、それはよりつよい痛みとなって私たちに降り掛かるだろう。それを思うと自分の中の臆病な虫が顔を出す。

 もういっそこのまま何も言わないで逃げ出したいとさえ思う。そんなことを考えていたら、最後の一歩が中々踏み出せなくなってしまっていた。私は扉の前で二の足を踏んでしまう。

 そんな私の情けない心情に気付いたのだろうか、アイリスが私の手を強く握りしめてくれる。臆病な私を鼓舞するために。


 「ネレイス…」


 この温かさが私は一人でないと教えてくれる。

 それを知っているだけで、なんでも出来ると思えるのだから不思議だ。

 たったそれだけのことで私はもう大丈夫なのだと確信する。


 「ありがとう。もう大丈夫よ」


 アルフレッドの家にはこの村のほとんどの人が揃って私たちのことを待ってくれていた。

 その穏やかな表情を見ると、自分がなんと愚かで傲慢だったのかが分かった。

 もう私に迷いはない。

 私たちに協力してくれる人たちにはありのままの私を見て貰いたいから。


 「聞いて欲しいことがある」


 私は兜を脱ぎ去った。

 周囲が騒然となる。

 あっと息を呑む者、驚いた表情を見せる者、怯えたような表情を見せる者。反応はまちまちだ。

 怯えられるのは少し悲しいが、それならそれとしてこれから私という存在を受け入れて貰えるようにもっと頑張るだけだ。


 「もう私は嘘をつかない。私は確かに魔族であなた達とは違う存在だけど…それでもこの心は皆と同じだと信じてる。私は、私たちはこの村の不利益になるようなことはしないと誓う。だからお願い。みんな私の話を聞いて。それで、よかったらだけど…、みんなの知恵を私たちに貸して欲しい」


 私の宣言は皆に届いただろうか。

 沈黙が流れる。

 誰も何も言わないこの間が怖い。

 私の心に不安が鎌首を擡げる。

 平衡感覚が歪み、前後左右の認識が覚束なくなる。私はちゃんとまっすぐ立ててる?

 周囲の空気が薄くなったように感じる。意識しないとうまく息が吸えない。

 プレッシャーに押しつぶされそうになっている私の前にメリッサおばさんがやってくる。

 そして、一言。


 「ネレイスちゃん、あなた凄い美人だわね」

 「へ?」


 拍子抜けとはまさにこのこと。

 そのあまりに軽い一言に力が抜けてコケそうになったけれど、なんとか意思の力で踏みとどまる。

 あまりにも場にそぐわないその発言に思わず素で驚いてしまった。

 いや、褒められるのは嬉しんだけどね。今の告白と私の顔と何の関係が…?

 困惑する私を余所にメリッサおばさんは言葉を重ねる。


 「ネレイスちゃん、勇気出してくれたんだね。ありがとうね」

 「私はあなた達を騙して利用しようとしていたのよ。罵られることはあってもお礼を言われるなんて……」

 「あなたがいい子だってことはもうみんな知っているわ。私たちに出来ることならなんでも協力するからね。溜め込んでないでさっさと吐いちゃいなさい!」

 「うん…みんなありがどう…」


 私の嘘も温かく受け入れてくれるメリッサさんの言葉に思わず涙ぐんでしまう。

 他のみんなも頷いてくれている。

 今、この瞬間この村が世界ではじめて種族の垣根を越えた絆がうまれた。本当の意味で魔族と人族が真に分かり合えた唯一の場所だ。

 この人たちと出会えて本当に良かった。


 あれ…?でも、さっき私の顔を見て怖がっていた人たちもいたような気がするのだが…。もう大丈夫なのだろうか?

 ふと疑問に思ったが、それを口にすることはなんとなく憚られた。

 これは後で聞いた話なのだが、私が兜を脱いだ時、何人かが見とれていたらしいのだ。いや、これは自分で言うのも照れるのだが、私の見てくれはそれなりに見れるらしい。

 それを目敏く見つけたアイリスが殺気を放っていたらしい。

 その話を聞いた時、私はとても驚いた。だってアイリスがそんなにも分かりやすく嫉妬するなんてあまりにも珍しい出来事だったのだから!

 なんだかそれがとても嬉しいような、むず痒いような不思議な気持ちになったのだ。

 尚、その情報を私にこっそりと教えてくれたアルフレッドの顔がニヨニヨしていたので問答無用でシメといたのは今は関係ないので割愛する。



 アルフレッドはゲンコツを貰ってひりつく頭を抱えながら、変わった二人組の女に目を向ける。

 その視線に万感の思いを込めながら、二人が村に受け入れられていく様子を見守る。

 今までは敢えて触れてこなかったが、魔族が人族の国、中でも変質的なまでに魔族排斥を謳っている【神聖皇国】にいるなんてどう考えても異常事態だ。

 何やら訳ありってことは薄々分かっていたが、どこが地雷かも分からない中で他人の過去を詮索するのは気が引けたのだ。

 その結果二人があんな喧嘩に至ってしまったのだ。アルフレッドは自分の長としての器のなさにげんなりする。

 それにどうやら二人は自分が思っていた以上に重いものを背負っているようだ。

 聖都、教会、皇帝、動向、異変、聖騎士、兵力。彼女達が知りたがっている情報から推察するにクーデター、もしくは要人暗殺を狙っているのだろう。

 そんな推察は当たっていて、彼女達の話を聞いていくと実現不可能と思われる難度のミッションが飛び出てきた。


 教皇、及び教皇に情報を売っている魔族の裏切り者の粛清。


 それが今回、ネレイスとアイリスの二人が掲げる目標だ。

 正直な話、その計画を聞いた時はまるで無茶だと思った。先程までのネレイスの取り乱し具合にも合点がいった程だ。

 たった二人でその無理難題を攻略するのは無理だ。

 どう甘く見積もっても成功率なんて何万分の一、いや何億分の一の確率でしか成功しない。

 絶対に無理だ。

 二人を止めるべきだ。

 ここ数日の間に二人はあっという間にこの村に馴染んでいった。そんな二人のことをアルフレッドはとても気に入っていた。

 なんならいつまでもこの村に居るといい。

 二人ならみんな大歓迎だ。ネレイスが魔族だろうが、アイリスが勇者だろうがそんなことは関係ない。

 きっと此処で暮らせばいつかは何もかも忘れて、ただ幸せを享受できるようになる。

 そう言おう口を開いて……、結局何も言えなかった。


 二人があまりにも覚悟を決めた瞳をしていたから、これ以上引き止めることは出来ないのだと悟ってしまったのだ。

 俺が二人を助けている間は過去に犯してしまった自分の過ちを少しは償えているような気分になれていた。

 甲斐甲斐しく世話を焼くことが罪滅ぼしになると思っていた。

 だから必要以上に親切にした。そうしている間は自身の罪から目を背けることが出来ていたから。

 だけどそれまでだ。表面だけ取り繕って、それ以上彼女達の中に踏み込もうとしなかった。

 怖かったのだ。

 自分よりも圧倒的強者である二人が抱えている厄介ごとに介入する勇気が俺にはなかった。

 それはきっと他の連中も同じだろう。

 それでも自分が奪ってしまった小さな未来を、この二人にこの先も平穏に過ごしてほしいと望むのは、やはり自分達の未練を押し付けているだけなのかもしれない。


 代償行為……なのだろうな。


 白熱する議論を横目に誰にも聞こえない小さな声でアルフレッドはそう独りごちる。

 それでも望まずにはいられない。

 彼女達の人生が不幸のまま幕を閉じてしまわないことを。

 そして願わくばこの少女達の行く末に幸多からんことを。

 いるかいないかも定かではない神とやらにでも祈っておくとしよう。

 だから、どうか……。



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