第二十五節


 陽が落ちる。

 その最後の残光が赫赫と余すことなく地上を照らし出し、それに追従するかの如く夜闇が顔を覗かせる。

 斜陽に照らされた木々は燃えているかの如く輝き、その影が異様にながく伸びて少し不気味だ。

 森の中は張り詰めたように静寂が支配していた。

 誰かの話し声も、鳥の囀りも、風が鳴る音さえも聞こえない。

 一切の音が凪いでいた。

 そんな無音な薄闇の中を這いずり回るかのように、がらがらと車輪が回る音と馬のいななきだけが辺り一体に響きわたっていた。

 その無遠慮に回る車輪だけがやけにうるさく聞こえる。

 そのせいですぐ横にいる筈のアイリスの息遣いさえ聞こえてこない。

 まぁアイリスはもともと静か過ぎる方なのだけれど。

 私も今は息を詰めて、存在を暴かれないようにしている。

 そのまましばらく息を潜めていると、やがて馬車はがたがたの泥道から舗装された石畳の道に入る。

 舗装されていない道はかなり揺れた。それがとてもしんどかったので、揺れなくなったのは純粋に助かる。

 急な段差なんかで万が一にも声が漏れてしまったら全てが水の泡なのだ。

 今一度、気を引き締めよう。


 さて、なぜ私たちが酒の匂いがこびりついた嗅いでるだけで吐きそうなほど強烈な臭気が立ち込める樽に詰められているのか、またなぜこんなおんぼろ馬車に揺られているいるのか、(二重の意味で酔いそう)この状況についてこれずに戸惑いをかくせない者も多いことだろう。

 それもまた仕方のないこと。なんせ私自身、今の状況をまだうまく飲み込めていないのだから。

 しかし、それではまずいのだ。

 現状を正しく認識していなければ、決断すべき時に迷いが生じる。

 そして今度のミッションは文字通り命懸けだ。

 それもベッドするのは自分の命だけじゃない。

 このミッションに失敗すればアイリスの命も、お世話になった多くの人たちの身の安全をも脅かされることになるだろう。

 故に失敗は許されない。

 その為にも今、自分に出来ることを探し、精一杯努力しようと思う。

 とりあえず現状の整理から行なっていこう。



 遡ること数日前、私たちの秘密を村の人たちに打ち明けたその翌日に、私たちは村にいる全員を集めての緊急の作戦会議を行った。

 村の人たちは誰も私の突拍子もない話を聞いても嗤うことはなかった。

 それどころか積極的に意見を出し合ってくれていた。

 私の正体を知っても、誰も私を薄気味悪い魔族の女として蔑むでもなく、一人の人間として対等に見てくれた。

 な、泣いてなんてないんだから!勘違いしないでよね!

 …と、ともかく私たちは必死に話し合ったが、いかんせん人数差がありすぎるのだ。これでは戦いになるかすら怪しいところだった。


 「やっぱり10,000倍の戦力差はどう頑張っても埋まらないわよねぇ…」

 「そうでやすねぇ…。うちの村総出で戦っても焼石に水って感じでしょうね」

 「私たちの復讐にあなた達を巻き込んでしまったことは謝るわ。だけど、お願い。私たちのために命を散らそうとはしないで」

 「……了解でさぁ」

 しぶしぶといった様子ではあったが、有無を言わせずに頷かせる。

 こんなにも力を借りといて今更虫のいい話なのは分かっているが、これだけは絶対に越えさせてはならない一線だ。

 彼らには護るべき家族が居るのだから。

 ここら一帯の地図を眺めていたアイリスが、ふと何気ない調子で呟いた。


 「正面から乗り込むの?」

 「は?」


 思わず素で聞き返してしまった。

 それが出来ないから今あれこれ知恵を出し合ってんでしょうが!

 …ん?何かが引っかかる。

 私は何か当たり前のことを見落としている?なぜだかそんな気がする。

 なんだろうか……。

 あ!そうか!


 「……敵地に浸透、潜伏する際に肝要なのはどれだけ長い期間相手にそれを悟らせないようにするかということ…。だからこそ城門を飛び越えるなんて派手なことは出来ない…。もっと別の……人間の生活に深い関わりを持っているもの…そう、例えば……」

 「なんか思いつきやしたんですね!姉御!」

 「そうね。確実とは言えないけれど、かなりの確度で成功すると思うわ!アルフレッド!あんたの盗賊団と裏取引している商人のリストを持ってきてちょうだい!」

 「へい、かしこまりました!おい!お前ら聞こえてただろう!?さっさと持ってこい!」


 そこから作戦の打ち合わせはテキパキと進んでいった。

 概要はこうだ。

 アルフレッド達盗賊団と懇意にしている闇商人に酒樽の納品を行なうのだ。そのほとんどが上物の酒ではあるが、その中の二つは空樽だ。その中に私とアイリスが入って聖都内への潜入を果たす。

 門兵にはいくらか包んでおけば見逃してもらえることだろう。

 今は警戒も厳重になっているので検閲を抜けれるかは正直賭けだが、一応策は用意している。

 無策に城門をよじ登るよりかははるかにマシな作戦といえるだろう。


 「決行は次の新月の夜がいいわ。私なら闇夜の中でも昼間と変わらないくらい見えるわ。夜目が効かない人間どもに遅れを取ることはないからね」

 「わかった」

 「姉御!酒樽の集積所まではご一緒させて頂きますよ!」

 「はぁ…、言っても聞かないだろうし、分かったわよ。でも、その代わり絶対に命は賭けないこと!いいわね?」

 「分かってますって!姉御に助けていただいたこの命、粗末にはしやせんよ。それに俺にもまだまだ護るべきものってのがありますからね」

 「分かってるなら良いのよ。なら、改めて頼むわね」

 「へい!任せてくだせぇ!」


 そんなやり取りがあったような気がする。

 そうだ。このむせ返りそうなほど濃いアルコールの匂いが染みついた酒樽は私が手配したのだ。

 おーけー、落ち着こう。どんな時にも冷静にが肝要だ。

 私はあの時考え得る中で最善手を選んだ。……筈だ。

 まだ私は酔っていない。……筈だ。

 この匂いだけで吐きそうだし、そんな中に何時間も閉じ込められて私の精神状態は既にグロッキー寸前だが、作戦自体は順調に進行しているといえるだろう。

 聖都がいかに厳重に警戒網を敷いていても食料や日用品、薪などといった生活必需品、それに酒やタバコといった嗜好品の流れというものは非常時でも滞らない。どれほど厳重に検閲しようとも抜け道というものは必ず存在するのだ。

 この作戦の肝はアルフレッドのつてを頼って、闇商人に高級酒を買わせることだ。この時は念の為に相場よりも多少安めに出しても良いだろう。おそらく闇商人は買い付けた酒樽を聖都内にある自身の酒蔵に運ぶだろう。その数ある酒樽の中の2つに私とアイリスが入っていれば万事解決って寸法だ。

 勿論この方法は完璧ではない。

 道中小さな物音をたててしまい、存在を看破されたら。

 検閲が予想よりも厳重、もしくは袖の下が通じない相手だったら。

 闇商人にすら私たちの存在を知られる事でさえ不味いのだ。なんせ私たちは天下のお尋ね者二人組なのだから。

 些細なミスも許されない。たった一つのボタンのかけ違いでこの計画は水泡に帰してしまうだろう。

 それでもやるしかないのだ。

 私とアイリスの悲願を達成するためには。



 舗装された通路をしばらく進むと馬車が急に停車した。

 何事かが起きたのだろうが、私たちにそれを確認する術はない。

 外でのことは全てアルフレッドに一任している。

 今、私とアイリスに出来ることはアルフレッド達を信じてただ息を潜めて、存在を消すことだけなのだ。

 自分に何も出来ることがないというこの状況がもどかしくて堪らない。

 別にアルフレッドを信用していない訳ではないのだが…。

 こう、なんていうか、自分でももっと動きたいというか…。こんな時になんなのだが、自分が王に向いていない性分だということに初めて気付かされた。

 知らない男のがなり声とそれに応える少し気弱そうな声が聞こえてくる。


 「おい!この樽の中身は本当に全部酒なんだろうな!」

 「へぇ、間違いありません。とある貴族様に卸す予定の一品物ですぜ」

 「ほーぅ…そいつぁいい。しかし、我々は門番としてここを通る物品全てに目を光らせなければならないのだ。だからこそその樽の中身が本当に酒であるのか否か、その真偽を確かめる必要があると我々は考えている。異論はあるか?」


 ふむ、いつの間にか聖都の城門にまで到達していたのか。

 それにしても門番の声音の卑しいこと卑しいこと。仕事に託けて普段自分達が飲めないような高級酒を飲むことが出来るとでも思って喜んでいるのだろう。

 その声音からは隠しきれない興奮が感じられた。


 「へぇ、それは勿論大事なことですな。ただ…これらの品はさる神聖皇国の中でも高貴な方への献上品であります故、丁寧に検品してくださると助かります。万が一にでも品物に傷が入ってしまっては貴族様からの覚えも悪くなりますので…」

 「分かった分かった。ほんの少しだけにするからさ。おい!お前ら俺のコップもってこいっや!」

 「ありがとうございます。もし宜しければ少ないですがこれをどうぞ」

 「お、おい。…っ!へへっ…悪いね、あんちゃん」

 「いえいえ。話の分かる貴方様とは今後とも良好な関係を築きたいですからね」


 なんて下品なんだ。

 しかし、賄賂というものはどんな種族にも通じるのだから凄いものだ。

 腐敗とはどんなに綺麗にしていようと何処からか湧いて出てくるものなのだな。


 「よし!一応全部の樽を調べろ」

 「ハッ!」


 門番達がコップを持ってニヤニヤしながらそれぞれの樽の前に立つ。

 班長と思しき男が号令を下す。


 「いいか!これはさる高貴なお方への献上品だ!絶対に傷付けんじゃねぇぞ!それと栓を閉め忘れた間抜けがいたら吊るしてやる!いいな!?」

 「「「おう!」」」


 キュポンッ…という気持ちの良い音と同時に朱色の液体が全ての樽の先端から飛び出す。

 その液体が漏れないようにコップに受け止めて…飲む。

 無言の時間が続いた後、その酒を飲んだ全員が恍惚とした表情を浮かべていた。


 「おう、こいつは確かに一級品だな。よし、通って良いぞ」

 「ありがとうございます」


 こうして私たちはなんとか再び聖都に侵入することに成功した。




 「おい、アルフレッド。もう二度とこんな危ねえ時期に商談持ってくんじゃねぇぞ」

 先ほどまでの気弱そうな印象はなりを潜め、憮然とした態度でアルフレッドに文句を言っている。この男が今回アルフレッドと繋がりのある聖都の闇商人だ。

 「まぁそう言うなよ。お陰で儲かりそうだろう?それに俺も護衛としてついてきてやったんだ。そう悪いことばかりじゃねぇだろ?」

 そんなアルフレッドの言葉に闇商人は何も言い返すことは出来ない。

 品が一級品なのは確認済み、道中の警護まで買って出てくれるという。何から何まで親切すぎる。それが聖都の闇を長いこと渡り歩いてきた商人の警鐘を鳴らす。

 「おい、アルフレッド。お前の本当の狙いはなんだ?何が目的なんだ?」

 「そりゃ金だよ、金。うちはこれから冬籠りの準備だ。いつまでも飲まない酒を溜め込んでおくよりもさっさと金に変えて必要なものを買い揃えた方が有意義だと思わないか?」


 一応は筋が通っている。

 それにこいつとの取引は今回が初めてって訳でもない。

 ……考すぎか。

 闇商人は自分の中の煮え切らない思いを飲み込んで交渉を進めることにした。


 「これが今回の報酬だ。うまく捌けたら追加報酬も出してやる。まだしばらくは聖都に滞在するんだろう?」

 「ああ、助かる。そのつもりだ。何かあったらいつもの宿屋にまで連絡を寄越してくれ」

 「あぁ、わかった」

 「ここまできたついでだ。運び入れは俺たちがしといてやるよ」

 「は?そりゃ一体どういう風の吹き回しだよ?」

 「ただのサービスだよ、サービス。まぁせいぜい感謝しとくんだな」

 「あぁ、そりゃありがとよ」


 そう言って闇商人は踵を返そうとして、小さな呟きが聞こえたような気がしてハッと振り返る。

 今、誰かが呟くようにすまねぇって言ったような……。

 いや、それこそ気のせいか。

 闇商人はまとわりついた考えを振り払うように頭を振り、踵を返して聖都の闇の中に溶け込んでいった。


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