第十節
教会本部の地下、【祈祷の間】と呼ばれる部屋がある。
地下にあるとは思えないほど広い空間に、天井からは月明かりが差し込む。その月光の降り注ぐ先には十字架と柩が安置されていた。
まるで誰かの墓所のような陰鬱さを月明かりが照らすことにより、厳かな雰囲気を醸し出していた。
唐突に棺の蓋が開く。
中からは中年くらいの太った男が顔を出す。
その男は憎々しげに顔を歪ませながら、悪態をつく。
「くそっ!穢らわしい蛆虫が!よくも儂の渾身のゴーレムを破壊してくれたな!許さん。絶対に生きたまま身体中の鱗を剥ぎ取って、苦痛に顔を歪ませながら犯してやる!勇者もじゃ!動けないよう手足を斬り落としてから蛆虫の目の前で犯し尽くしてやる!!」
男はそう息巻き、荒々しく蓋を押しのける。
明らかに苛つき、激情しているかの様に見えるが、男の頭は冷静だ。
たった一つしかない教皇という椅子を勝ち取ったこの男は、どれだけ取り乱そうと冷静な状況判断を下すことが出来るのだ。
男は考える。
恐らく儂が死んでいないことはあの蛆虫にもバレてしまっているだろう。
首を刈り取っても血が出ない死体を不審に思わない間抜けと楽観するのは危険じゃな。
となると勇者への枷も解かれたと見るべきか…。
くそっ!面白くもないわい。
男は考えを纏めながら、急いで現場に向かう。
そこに残された手掛かりを探る為に。
途中、人を呼びつけながらも男は考え続ける。
勇者への呪いは解けてしまった様だが、儂が勇者の心に植え付けた呪いまでは消しきれんじゃろう。
先ほどの様子から察するに、勇者の心は儂に縛られたままだ。
まだまだ儂に分がある様じゃな。
勇者を捕らえ、儂の前に引き摺って来ることさえ出来れば、盤上は全てはひっくり返る。
勇者とて一人の人間、いくら強かろうが何百という騎士に囲まれては為す術もないじゃろうて。
魔族も単体での戦闘力は驚異的じゃが、数の暴力に任せてすり潰してやればよかろう。
二人ともボロクズの様にして、自分のとった行動の愚かさを分からせてやらねばなるまい。
勝利を確信した男は下卑た笑みを浮かべる。
そして現場に到着した男は状況を確認する。
そこには男と瓜二つの肉体が真っ二つに割れていた。また、男の予想通りに心臓部に隠しておいた【オーブ】が破壊されていることが分かった。
分かっていたことだが、あまり気分は良くない。
オーブと呼ばれる水晶は貴重な呪具であり、その価値は非常に高い。
その呪具一つで城を買えると言われる程に高価な代物なのだ。
それを無残に破壊された。
面白い筈がない。
男が床に散らばった肉片に布を被せ、隠したところで呼んでいた聖騎士が到着した。
「教皇様!只今参上致しました」
「うむ。聖騎士よ、今すぐ騎士団を動かして、ここ聖都を包囲せよ。また皇帝陛下にも助力を嘆願し、この国から一人も逃げ出せないよう計らって貰うのじゃ!」
「はっ!畏まりました!しかし、何故聖都を包囲するのでしょうか?愚昧な私めにもその深遠なお考えをお聞かせ願えないでしょうか?」
「うむ。良かろう。勇者が乱心したのじゃ。奴は魔族を庇い、教会に刃を向けた。然るべき罰を与えねばなるまい。故にこれより聖騎士団は勇者の捜索、および捕獲を最優先に行動せよ!」
「あの【血染めの聖女】が魔族を庇った…ですか。俄かには信じがたい話ですな」
「儂が嘘をついたと申すか?」
「い、いえ!決してそのような事は…」
「まぁ良い。いいか。勇者のことはどれだけ傷つけてもいい。抵抗するなら手足を斬り落としても構わん。だが、絶対に殺してはならんぞ。それは行動を共にしている魔族も同じじゃ。必ず生け捕りにして、儂の前に引き摺ってくるのじゃ!」
「はっ!直ぐに捜索を開始いたします!」
「それと勇者は民衆からの人気が強い。教会の権力を保持するためにも勇者には英雄でいて貰わねばならん。決して勇者が魔族に肩入れしているなんて噂が流れぬように留意せよ」
「御意に!」
「うむ、では行け!」
こうして聖都での勇者狩りが始まった。
一方その頃、満身創痍の勇者を抱えた魔王は聖都の裏路地を疾走する。
地下はダメだ。
先刻地下に潜伏していた時、私をを捕らえるために騎士が地下に派遣されていた。たまたま私が先に人の気配を察知したことで、上手く追跡の手を逃れることが出来たけど、次もうまくいくとは限らない。
むしろ人海戦術で来られると何処に隠れていようとすぐに看破されてしまうだろう。
おそらく聖都内にいては不味い。
相手のホームグラウンドで戦うのではあまりにもこちらの分が悪すぎる。唯一の頼りの勇者がボロボロなのでは尚更に不利だ。
今はあの男が追撃の指示を出す前に、この街から離れなくては。
どの方角に逃げるのがいい?
故郷の魔族領を目指すか?
ダメだ。今の勇者を抱えて、あの厳しい土地で生き抜くことは出来ない。
それに北東の魔族領へと続く道が、一番警戒されているに違いない。
それならば逆の南側の城門から脱出を試みよう。
そう決めた魔王は進路を南西に切り替え、屋根伝いに疾走する。
かなり目立ってしまうが、今だけは気にしない。
速度重視で一気に駆け抜ける。
一秒でもはやく勇者を休ませたい。
その思いに駆られて、魔王は聖都をひた走る。
月夜に照らされる中、魔王はその手に勇者を抱いたまま、城壁を片手でよじ登っては乗り越え、その先にある濠を泳いで渡り、ついには聖都の外に脱出することに成功した。
腕の中で勇者は死んでしまったかの様に気絶している。
つまり私はこの敵地の中、自分一人の力だけで、勇者が少しでも休める場所を確保しなければならないのだ…。
何処に行けばいいかも分からない。
周囲の地形も分からない。
私の心には不安が渦巻いていた。
本当にこの方角であっているの?
いつまで歩けばいいの?
この道の先に本当に終わりは来るの?
分からない。
分からないことは怖い。
もしかしたら私はとんでもなく見当違いな方向に進んでいるのでは?
そう思うと怖くて足が止まりそうになる。
だけど、少しだけど、分かっていることも確かにある。
星が出ているお陰で方角だけは分かる。
方角が分かっているなら、進むべき道もおのずと分かる。
月明かりを頼りに、私は南西に向かって真っ直ぐに歩いて行く。
しばらく歩いたところで少し寂れた村を見つけた時は本当に助かったと思った。
人目につく訳にはいかないが、せめて少しの間でもいいから、勇者を雨風の凌げる場所で寝かせたかった。
そう思いながら寒村の中を見て回っていると、村の中でも特に外れにある一軒の家が目に止まった。
そしてとても幸運なことに、そのボロボロの廃屋には人が住んでいる形跡がなかった。
早速私たちはその家に上がり込んで、休息をとることにした。
相変わらず目を覚まさない勇者を床に寝かせる。
硬い床で寝かせるのは忍びなかったので、せめて頭だけでもと思い、膝枕をすることにした。
いや、私の太ももも硬いけど。
それでも傷ついている勇者に何かしてあげたかったのだ。
私の膝に頭を乗せて、胎児の様に丸まって寝ている勇者はなんだかあどけなくて、不覚にも可愛いと思ってしまった。
赤ん坊の様に眠る勇者の頭を撫でる。
起きない様に優しく。
すると突然勇者が私の手を握り、熱っぽい視線を向けて来る。
何かを主張する様に潤んだ瞳で私を見据える。
「魔王」
「なに勇者」
「ありがとう」
「なによ。急にしおらしいわね」
「本当にありがとう。もうわたしはダメだって思った。魔王を巻き込んで、それでも上手くいかなくて、それで結局わたしは死ぬまであいつの奴隷なんだって思った。でも魔王が来てくれた。助けてくれた。だから、ありがとう」
「いいのよ」
そうか。
感情的になってしまったことは反省すべきだが、私の行動が勇者の救いになれたのなら、それなら今回の作戦失敗もそう悪いことばかりでもなかったのかな。
そうだと良いな。
「ねぇ魔王」
「なによ」
「格好良かった。見惚れちゃった」
またもや超級の爆弾を投下した勇者は、そのまま睡魔に拐かされていった。
取り残された私は投げ付けられた爆弾の破壊力に一人でたじろぐしかない。
勇者のくせに生意気よ!
起きたら覚えてなさいよ!
動揺した私は心の中でそんな捨て台詞を吐いていた。
自分の相好が崩れていることにも気付かずに。
悶える私を置いて、空が白んで来ていた。
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