第九節


 でっぷりと太った男の首根っこを掴んで持ち上げる。

 理性を総動員して、この男の首を引きちぎりたい衝動を堪える。

 恐らくこの汚らしい男が勇者を苦しめる元凶である教皇なのは間違いないだろう。

 もし人違いでも関係ないが。

 この男は勇者を泣かせたのだ。

 絶対に楽には死なせない。


 「彼女から離れなさい!この豚野郎」


 男は苦しげに呻きながら、なんとかこの手から逃れようともがく。

 だけど、無駄だ。

 私が本気になれば鉄製の鎧だって簡単に握り潰せるのだ。

 人の首なんて、むしろ折らない様にする方が難しい。

 力加減を少し間違えるだけで簡単に折れてしまうからだ。

 私の拘束から逃れることを諦めた男は、次は何やら喚き出した。


 「き、貴様ぁ!この儂を誰と心得ておるんじゃ!儂は教皇であるぞ!神の代弁者たるこの儂に下賤の者が触れるな!汚れが移るではないか!さっさとその薄汚い手を放せ!」

 「そうか。お前が教皇か」

 

 本当にちょうど良かった。

 探す手間が省けたというものだ。


 「貴様何者じゃ!?何故この様な蛮行に及んだんじゃ!」

 「それをお前が知る必要はない」

 「その腕の鱗、そうか貴様が勇者に雇われたネズミじゃな?くそッ!穢れた一族がの末裔が何故こんなところに来ている!?」

 「お前を縊り殺すために決まっているだろう?よくも勇者を痛めつけてくれたな」

 「お前もこいつが大事なのか?ハッご大層な友情じゃな!反吐が出る」

 「黙れ。これ以上無駄に騒ぐな。このままだとうっかり貴様の首を捻り潰してしまいそうだ」


 握る力を少し強める。

 自分の骨がミシミシと嫌な音を立てるのを聞いて、教皇と名乗った男が鋭い悲鳴を発する。

 ブヒブヒとうるさいなぁこの豚は。

 

 「お前には聞きたいことがある」

 「な、なんじゃ。勿論答えたら助けてくれるんじゃろうな?」

 「それはお前次第だ。聞きたいことは二つある。教会に情報を売った魔族の居場所を教えろ」

 「その男と貴様はどんな関係なんじゃ?」

 「言っただろう。お前が知る必要はない」

 「わ、わかった!教える!教えるから命だけは助けてくれ!」

 「もう一つ聞きたいことがあると言ったろう。いいから聞け。お前は勇者に呪いをかけたろう?その触媒にした水晶はどこだ?たしかオーブとか呼ばれている奴だ」

 「そ、それを教えてしまったら後でこの女に殺されるぅ!嫌じゃ!儂はまだ死にたくないんじゃ!!」


 喚き散らす男を冷めた目で眺める。

 あぁ、もう面倒臭いな。

 今すぐ殺したいけど、仕方がない。

 この醜く喚き散らしている男からなんとか情報を引き出さないと、私の標的がどこにいるかが分からないと勇者も言っていた。

 それにオーブとやらを破壊しないことには、勇者も真に自由の身になったとは言い難いらしい。

 こいつとの会話は苦痛以外の何ものでもないが、勇者のためなら仕方がない。

 

 ふと、勇者の姿が目に止まる。

 ベッドの上に放り出された勇者は見るも無残な姿で横たわっていた。

 両手両足の骨は砕かれているのか腫れ上がっている。

 服は引き千切られ、服の隙間から見えるお腹や顔は内出血で腫れ上がっている。

 身体中には明らかに戦闘ではつかないような古傷もあった。

 克明に刻まれた傷痕が痛々しい。

 

 一体彼女はどんな拷問を受けていたんだ?

 私の視線に気付いた勇者が散らばった服を掻き集めて、傷を隠そうとしている。


 「勇者、その傷どうしたの?」

 「な、なんでもない。気にしないで」


 なんでもない筈がない。

 そんな傷だらけの身体で強がらなくて良いのに。

 それなのに頑なに傷を隠そうとする勇者に腹が立つ。

 

 勇者には後で物申すとして、今は私が掴んでいるこの男の処遇についてだ。


 「おぉ!貴様にもわかるか。全て儂がつけたんじゃ」

 「やめてっ!!!!」


 慌ててこの男の言葉を遮ろうと悲鳴をあげる勇者を、こいつは蹴って黙らせた。

 あろうことか、こいつは、私の目の前で、勇者を、傷つけた。


 「貴様は黙っておれ!今、儂はこの野蛮人と話しておるんじゃ!!おい、野蛮人よ、下腹部の刺し傷を見ろ。どうじゃ?分かるか?この傷の芸術性を理解できるか!?この傷のテーマは『受胎と堕胎』じゃ。その無数の刺し傷はその女が身篭った時につけてやったんじゃ。儂くらいの身分になるとこんな下賤な身分の女を孕ませるのは風聞が悪いのでな。それにこの女は【聖剣の加護】で致命傷を与えても死にはしないからな。聖剣の性能テストも出来てまさに一石二鳥だったわい」


 この男が何を言っているのか理解できない。

 唯一理解できたのはこの男が勇者を侮辱したということだ。


 男は自分が生み出した芸術が如何に素晴らしいかを延々と語っている。

 その足元では勇者がうずくまって泣いている。

 

 私にとっての勇者は、冷徹で、何人もの同胞を殺していて、話し下手で、怖いもの知らずで、誠実で、嘘をつかなくて、かなりの心配性で、それでいて意地っ張りで、秘密主義で、そして情に厚くて、意外と優しい、そんな人物だ。

 そんな矛盾した要素を併せ持っているのが、私にとっての勇者なのだ。

 

 こんなにも弱っている勇者をわたしは知らない。

 こんなにも追い詰められている姿は見たことがない。

 

 私は頭の中で何かが切れる音を聞いた。

 頭に上っていた血が、スッと引いていく。

 霞んでいた視界が晴れ、今何をすべきかがはっきりとわかった。

 私は本能の赴くままに力を込め、今だに訳のわからないことを喚き散らしている男の首をへし折った。

 

 「私の勇者を穢すな」


 自分でも驚くほどに冷たい声が出た。

 やはり私は自分が思っている以上に酷薄な性格をしているのだろう。

 首を手折られ、痙攣する男を見ても何も感じないのだから。


 しかし、この男の死体には違和感を感じる。

 首を握り潰しても一切血が出ないのだ。

 不審に思った私は、男の遺体を縦に引き裂いてみることにする。

 頭の先から爪先までチーズの様に一刀両断して見ることで、ようやく違和感の正体にたどり着くことが出来た。

 

 端的に言うと、この死体は教皇ではない。

 あの男は死んでなどいなかった。

 恐らく自分に似せたゴーレムを創り出し、それを心臓部に位置するコアを介して遠隔で動かしていたのだろう。

 おそらく五感も再現しているのだろう。

 背後から襲われた時の焦燥を見るに自分が憑依体であることを忘れていたのかもしれない。

 それほどまでに精巧なゴーレムだった。

 神官のくせに、魂を憑依させる呪術まで使うなんて予想出来なかった。

 コアに使われている水晶は、貴重な呪物だ。

 おそらくこれが勇者の言っていたオーブとかいう代物なのだろう。

 また使われると厄介なので、念を入れて破壊しておく。



 そんな私を呆然と見やる勇者。

 彼女に近づくと、ビクッと怯えて身体を縮こませる。

 彼女にかける言葉がなにも出てこない。

 なにも思いつかない。

 そんな自分が情けなくて、だけどせめて安心して欲しくて、彼女の頰を撫でる。

 出来る限り優しく。

 傷だらけの彼女をこれ以上傷つけない様に、慎重に。

 

 私は身につけていたマントで彼女を包み、そっと抱き上げた。

 そして彼女と聖剣を抱えて、夜闇に紛れて走り出す。


 グズグズしていると、すぐに追っ手が来てしまう。

 今の私たちにはそれを迎え撃つだけの気力は残っていない。

 その前に街を抜けるべく、全速力で駆け抜けた。

 

 疾走する私の腕の中で勇者は、私に縋り付いて泣いていた。

 そんな勇者を私も抱きしめ返す。

 私の抱擁が彼女の傷を少しでも癒してくれることを祈って、力の限り抱きしめた。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る