第八節


 教会の奥には神官が寝泊まりする区域がある。その区域の最上階にある大きな扉の前でわたしは立ち止まっていた。

 節制を信条としている筈の教会にしては、やけに豪奢なその扉を前にすると、心臓が痛いほど早鐘を打つ。

 ノックをしようと手をあげると、その手が震えていることにはじめて気がついた。

 どうやらわたしは緊張しているらしい。


 落ち着け。

 一度心を鎮めよう。


 深く息を吸い、そして吐く。

 丹田で生成されたプラーナを身体中に巡らせる。

 そうすることで頭の奥の方がシンと冷え、意識が冴え渡っていくのを感じる。


 失敗はできない。

 だけど、今更焦ったところで結果は良い方には転ばない。

 人事は尽くした。

 あとは魔王を信じて、天命を待つだけだ。


 コンコンッ

 ノックの音が静寂を破る。


 「入れ」


 わたしは無言で扉を開く。

 いかにも値の張りそうな革張りの椅子に腰掛けた教皇がこちらを見やる。


 「おぉ儂の勇者よ、待ちわびたぞ。もっと近うよれ」


 これで最後だ。

 今、この瞬間を乗り切れば、わたしはこの男から解放される。

 そう自分に言い聞かせ、教皇の目の前にまで進み出る。


 「まったく、いつまで待たせる気じゃ。こっちはお前の話を聞く準備などとうに済ませておるというのに…」

 

 はだけたローブ、荒い息遣い、血走った目をしたその顔はおぞましさすら感じさせる。

 近付くなり奴は私に手を差し出す。


 「聖剣は持ってきたな?渡せ」 

 「………」


 わたしは無言でそれを手渡す。

 奴はわたしから剣を奪った後、唐突に空いている方の手でわたしの髪を引っ掴む。そして、奴は乱暴にわたしを自分の寝所に引き摺っていった。


 「なんじゃ、その反抗的な目は。儂はお前の親も同然の存在じゃぞ?」


 わたしが竦んでいる間に、大きなベッドに押し倒される。

 押し倒された時に、奴の息が顔に掛かった。

 たったそれだけのことで鳥肌が立つ。


 「そんな反抗的な目をするお前には仕置きが必要だの」


 そう言って奴はわたしを嬲った。

 聖剣の鞘で手足を殴られ、両手足の骨を粉々に折られた。

 窒息寸前まで首を絞められ、泡を吹いて気絶しかけた。

 気絶なんて甘えは許さないとばかりに、間髪入れずに腹を思いっきり殴られ、胃液しか出なくなるまで吐かされた。

 わたしの口の中が自分が吐いた胃酸と血の味で満たされて、ようやく制裁が終わった。


 「はぁはぁ…どうだ?少しは懲りたか?」


 今更この程度の痛みで根を上げる筈もない。

 わたしが無言で教皇を睨めつけていると、奴の顔が愉悦に歪む。


 「良い!実に良いぞ!そうでなくてはいたぶり甲斐がないというものじゃ!」

 

 そう言ってその豚の様にだらし無い体でわたしを押しつぶしながら、再びわたしの首を絞める。

 気絶する一歩手前まで絞められ、視界が白くぼやけていく。だけど、気絶して楽になることは許されない。

 手を解放され、反射的に咳き込むわたしに奴は囁く。


 「お前、儂を殺そうとしているな?」

 「…っ!?」

 

 何故そのことを!?

 ………いや、大丈夫だ。

 まだ計画が露呈したわけじゃない。

 わたしが強い恨みを持っていることは、奴も知っている。

 おそらくまだ確信には至ってない筈だ。

 だから、わたしが余裕を失った瞬間を狙って、鎌をかけているんだ。

 

 教皇は努めて無表情をつくるわたしを楽しげに見る。

 そして

 「魔族の協力者がいるのじゃろう?そしてそいつは今、地下水道にいる」

 

 その言葉に背中が凍る。

 もう動揺を隠すことなど、とても出来なかった。


 「な、なんで…?」

 「ははははは!本当に儂を出し抜けると思っていたのか。これは傑作じゃ」

 「いつから?」

 「はじめからに決まっておるじゃろうが!お前は儂を見くびり過ぎじゃ。儂の信者が軍に、皇帝の側近に、それぞれ潜り込んでいるとは考えなかったのか?もちろんお前の動向は逐一報告させていたとも」

 「そんな…」


 はじめから?

 全部、無駄だった?

 

 「そう、全て無駄だったのじゃ!お前が帰還した時にドブの匂いがしたから、ねずみが地下にいることは分かっていたんじゃ。大方魔族を脅して儂を殺させようとしていたんじゃろうが、肝心のところで爪が甘いのぅ」


 わたしの不注意のせいで魔王の居場所がバレてしまった?

 魔王が危ない!

 そう思ったわたしは教皇を押しのけようとするが、折れた手では力が入らない。

 もがくわたしの頭を押さえつけ、そして目を逸らしたい事実を突きつけてくる。


 「無駄じゃ。聖剣がないとその怪我は回復しない。そんなにも協力者が心配か?報告書にも勇者が魔族の女を気にかけているとあったが、情でも移ったか。まぁ全てが遅いがな」


 いやだ。

 聞きたくない。

 

 「せっかくお前が居場所を教えてくれたんじゃからなぁ。お友達もここに招待させて貰うことにしたぞ」


 そんなの嘘だ。

 わたしのせいで魔王まで地獄に堕ちるの?

 そんなの嫌!


 「人海戦術で地下水道を虱潰しに探しているからな。もうそろそろ発見したと報告が入る頃じゃろう」


 そんなの嫌だ嫌だイヤだいや嫌イヤいヤ嫌イヤだ嫌いやぁだあああぁぁあぁあぁあぁあぁぁぁ

 ………

 ……

 …

 ああ、もうダメなんだ。

 わたしが魔王をこんな所まで連れてきてしまったせいで、こんなことになっているんだ。

 全部わたしが悪いんだ。

 これは罰なの?

 人殺しが自分の罪とは向き合わずに、自分だけ明るい未来を夢見てしまった罰なの?。

 それなら犠牲になるのはわたしだけでいい筈だ。

 わたしは魔王が捕まらずに、逃げ切ることを切に祈った。


 「それにしても皇帝陛下には困ったものよな。あえて魔族の存在を黙認するとは。そんなにも教会が邪魔かのう。大方勇者とわしが削りあって、教会の力が減衰すれば良しってところかの。まぁ結果的にこいつの弱点を知ることが出来たから良かったんじゃが」


 そう言って涙を流すわたしの髪を掴んで持ち上げる。

 もうわたしには抵抗する力も気力も残っていない。

 奴は下卑た笑みを湛えながら続ける。


 「肉体へのダメージにはずいぶんと耐性がついてしまったみたいじゃが、お友達が同じ目に合うのを見るのはお前には耐えられるかな?そう、すべてお前のせいなのじゃ!お前が呼んで、お前が下手を打って捕まって、お前の反応が面白くないからお前と同じ拷問を受けて貰う!全部お前が悪いんじゃ!」


 高笑いを続ける教皇を見つめながら、わたしは心が折れる音を聞いた。

 わたしの頑張りは全て無駄だった。

 それどころかわたしの存在は魔王にとって害悪ですらあった。

 見通しが甘すぎたのだ。


 「そうじゃ!そんなにお友達が大切なのなら、貴様の目の前でそいつを犯してやろう。どうだじゃ?興奮するじゃろう?」


 わたしはこの男の呪縛からは逃れることが出来ない。

 きっとこの先、一生。

 全てが無駄に終わるというのなら、わたしはもう頑張れない。

 

 「その前にまずはお前から犯してやろう。さぁお前の成長を儂に見せてくれ」


 魔王、ごめん。

 わたしは心の中で魔王に贖罪した。

 


 その時、憤怒の表情をした魔王が教皇の背後から首根っこを掴み、わたしから引き剥がした。

 

 「彼女から離れなさい!この豚野郎」


 その凛と響く声を聞いた時、わたしはさっきとは違う理由で泣いた。


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