第七節


 魔王と作戦の概要を話し合った結果、今夜すぐに決行することに決めた。

 追っ手を撒いたことで聖都に戒厳令が布かれることが予想されたからだ。

 この戦いは時間をかければかけるほど、私たちには不利になっていく。

 決行するなら今晩、電光石火でことを行う必要がある。

 

 その為にもわたしは一度大通りに戻り、教会本部の正面入り口から帰還した。

 本部に戻っても、誰もわたしを歓迎しない。

 皆がわたしを避ける。

 たとえそれが民衆の間では、魔王殺しの英雄と持て囃されていても、そんなことはここでは関係ない。

 死と血の匂いを纏った呪われた女に関わりたいと思う物好きはこの教会にはいない。

 ここに引き取られてから、ずっと感じている疎外感だ。


 皆が一様にわたしを遠巻きにする中、一人の中年の男がわたしの存在に気付いた。

 その男こそが【教皇】、わたしが切実に死を願っている人物だ。

 教皇はでっぷりと肥えた体を重そうに引きずりながら、ねっとりとした笑みを浮かべて、わたしに近寄ってくる。


 「よく戻ってきたな」

 「はい」

 

 そう言いながら、無駄に肥えてギトついた手を私の肩に乗せてくる。

 生理的な嫌悪感があったが、わたしにはその手を払いのけることが出来なかった。

 わたしはこの男に逆らえない。


 「よく立場を分かっているの。流石は儂の勇者じゃ。先ずは神殿に来るんじゃ」

 「はい」


 わたしたちは教会本部に併設されている神を祀る社、神殿に赴いた。

 神殿は不思議な場所で、その場所で神の名の下に宣誓をすると、その者は嘘をつけなくなる。

 万が一、宣誓の内容に嘘偽りがあると、神の炎で全身を灼かれることになるのだ。


 「さて、では勇者に問います。あなたは此度の遠征でかの悪逆非道な魔王を討ち亡ぼすことが出来ましたか?」

 「はい、わたしは魔王を打ち倒しました」

 「神の名の下に誓いますか?」

 「誓います」


 嘘は付いていない。

 一応、魔王のことは押し倒してはいるので、嘘にはならない…筈。

 これは賭けだ。全てを見通すと言われている神がわたしのこの言葉を嘘と捉えるか、見逃してくれるのか。

 ヒヤヒヤしながら数秒を過ごし、許されたことを悟って安堵する。

 教皇もなにも起こらないことを確認し、満足そうに首肯く。


 「宜しい。これでこの国に置ける我々の影響力は益々増大することじゃろう。よくやった。しかし、この程度の成果で増長してはならんぞ?お前をここまで育ててやった恩はその程度の働きで酬いれるものではないからな」

 「はい」


 にやにやとした笑みを浮かべていた教皇が、わたしの格好を見て、すぐに顔をしかめた。


 「うむ。しかし小汚いの。すぐに水浴びして身を清めろ。それが済んだら今夜は儂の部屋にこい。此度の遠征に関して詳しい話を聞かせてもらわねばならぬからの」


 肩を撫でる手が気持ち悪い。

 嫌らしい視線が気持ち悪い。

 なにもかもが気持ち悪い。

 この男に触られるだけで、見られるだけで、声をかけられるだけで、わたしの身体は震えて動かなくなる。

 トラウマが蘇って、竦んでしまう。

 

 わたしが身を震わせている様子に嗜虐心をくすぐられたのか、教皇は執拗にわたしの身体を弄ってくる。

 その手つきに虫酸が走る。


 「お前も昔に比べたら成長したものよな。あの未成熟さも良かったが、今ではすっかり食べごろだ」


 そう耳元で囁かれて、わたしは我慢できずに吐いてしまった。

 「汚い。お前のせいで儂の聖衣に汚れがついてしまったではないか」

 「す、すみません」

 「舐めろ」

 「え?」

 「お前が汚したんじゃろ?責任を持ってその舌で綺麗に拭き取れと言っているのじゃ」

 「………」

 「聞こえなかったか?それとも【命令】して欲しかったのか?」


 わたしは言われるがままに行動した。

 もともとわたしに選択肢など無いのだ。

 くすくすと失笑が周囲から聞こえる。

 気付いたら人垣が出来ていた。

 わたしが屈辱的な行動を強いられている様を見て楽しんでいるのだ。

 この狭い教会という社会において、わたしはいつでも虐げられる存在だった。

 恥辱に身体を震わせながらも、わたしは教皇の服に付着した自分の吐瀉物を綺麗になめとった。

 そんなわたしの無様な姿を見て、教皇はついに満足したようだ。


 「儂の聖衣を汚した罰として今日は飯抜きじゃ。次同じことをしたらこんなものじゃ済まされないことを覚悟しておけ。それとこの場を綺麗に掃除しろ。分かったな?」

 

 そう言い残し、去って行った。

 周囲でわたしを見て笑っていた奴らも去っていく。

 残されたわたしは、ひとり床をみがく。

 わたしの涙はもう、枯れてしまった。



 疲れた。

 掃除を終えたわたしは疲れ切った身体を引きずるように部屋に向かった。

 帰る途中に水浴びのことを思い出し、井戸によって水を汲み上げていく。

 部屋に着いたので鎧を取り、服を脱いでいく。

 乾いた布を水につけようと桶を覗き込むと、そこにわたしの傷だらけの醜い身体が映し出される。

 気がつくと布を持った手を桶に叩きつけていた。


 「こんな汚い身体は彼女には見せられない」


 そう独り言ちる。

 まぁ見せる予定もないからいいか。

 わたしは水を含んだ布を絞りながら、そんなたわいないことを考える。

 最近気がつくと魔王のことを考えている。

 わたしのすべてを彼女に呑み込まれていくような感覚がある。

 だけど、そこに嫌悪感はなく、ただ安らぎを感じるのだ。


 魔王のことを考えていると、気が緩む。

 今は積年の恨みを晴らすことだけに集中しよう。

 

 ついに決行する時がきたのだ。

 どれだけわたしがこの瞬間を待ち焦がれたことか。

 どれだけわたしが奴を縊り殺す今日という日を夢みたことか。

 逸る気持ちを抑えるために、わたしは水をかぶる。

 

 落ち着け。

 奴は腐っても教会の最高権力者だ。

 謀略を巡らせることに関しては、奴に一日の長がある。

 わたしがいつもと違う反応するだけで警戒される恐れがある。


 今日、わたしは失敗できない。

 今回の作戦の失敗で、失われるものはわたしの命だけじゃない。

 魔王の命までかかっているのだ。

 わたしたちは必ず秘密裏にすべての作戦を遂行し、人知れずこの聖都から脱出しなければならないのだ。


 唯一の心残りは、心優しい魔王をこんな敵陣の真っ只中に連れてきてしまったことだ。

 立派な王であろうとした彼女を、わたしは利己的な目的のために利用した。

 そんな自分の浅ましさには嫌気が差す。

 しかし、どれだけ後悔しようとも、今となってはもうすべてが遅い。

 だからこそ、わたしは魔王を守り抜くことを誓う。


 何があろうとも彼女だけは無事に故郷に返してみせる。

 その誓いを胸に、すべての準備を終えたわたしは部屋を出る。


 さぁ、決戦の始まりだ。



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