第十一節
黎明。
地平線から透き通った陽光が地表を包み込む時、柔らかな日差しが窓辺から差し込み、勇者の顔を撫でる。
朝を告げる鳥の鳴き声に誘われる様に勇者が目を覚ました。
「ん…」
寝起きの身体を伸ばしながら妙に艶かしい声を出す勇者。
きっとまだ寝ぼけているのだろう。
その身を包んだマントから覗くすらりとした肢体が朝陽を反射し、キラキラと輝いている。その様子がやけに扇情的だ。
昨日助け出した時、勇者は服を着ていなかった。
つまり、マントの下は…。
いやいや、よそう。
それ以上はダメな気がする。
まったく、朝からなんてもん見せてくれてんのよ。
誰かさんの所為で、昨晩から一睡もできていない私は八つ当たり気味にそんなことを考える。
仮にもプロポーズした相手に無防備すぎではないだろうか。
それとも意識しているのは私だけ?
それはそれでなんか腹が立つ。
いつか絶対に勇者にも私の存在を意識させてやろう。うん、そうしよう。
「んん…おはよ」
「ええ、おはよう。勇者さんはよく眠れた様で何よりだわ。勇者さんは」
「うん、魔王のおかげ。ありがとう」
まったく嫌味が通じない…。
はぁ…
まぁ良いか。
それよりも今は
「傷の具合はどう?」
「だいぶ良い。魔王がこの剣を握らせてくれたの?」
「ええ、まぁ。半信半疑だったけど、正解だったわね」
勇者の傷は昨晩彼女が気絶している内に聖剣を握らせると、立ち所に治ってしまった。
打ち身による内出血や手足の骨を粉々に砕かれていたにも関わらず、一瞬で完治したのだ。
正直【聖剣の加護】とやらのことは信じていなかったが、目の当たりにするとその凄まじさが良く分かった。
どれだけ痛くとも、どれだけ辛かろうと、たとえ致命傷を負ったとしても戦い続けなければならないそんな力だ。
勇敢な人に与えられた特別な、それでいて悲しい力だと思った。
「助けてくれてありがとう」
「それ、昨日も聞いたわ」
「何回でも言いたくて…。わたしは魔王のことを諦めてしまったのに、魔王はわたしを助けてくれた。それだけじゃない。魔王はわたしを呪縛から解き放ってくれた。どれだけ感謝しても足りない」
「お、大袈裟ね」
「そんなことない!返しきれない恩がある」
そう言ってものすごく興奮した勇者が鼻息荒く顔を近づけてくる。
少し私が顔を傾けると、くちびるとくちびるが触れ合う距離に勇者がいる。
近すぎる距離感に頭が茹で上がる。
興奮して上気した勇者の頰がいちいち色っぽい。
ほのかに汗の匂いと勇者の甘い匂いが混ざり合って酩酊してしまいそうだと思った。
ふと自分の思考がおかしいことに気が付いた。
勇者に情が移っていることは自覚していたが、この感情は同情とかそう言った軽いものではないように思う。
むしろ恋慕や情愛といった類のものではなかろうか?
いや、そんな経験ないから分かんないんだけど!
私が思考の迷宮に入りかけている傍、勇者は勇者で何やら熱く語っていた。
「……だから、わたしは魔王のためならなんでもする。ううん。魔王のために何かをしたい。お願い、魔王。わたしに何か出来ること、ない?」
「え!?そ、そうね…。今すぐには…ない…かなぁ」
あぶないあぶない。
今の勇者の、なんでもする、の破壊力はやばい。
いや、べつに何もやましいことは想像してませんけどね!?
私が特にないなんて答えるから勇者がしょんぼりする。かわいい。
でも、今は勇者に何かして欲しいとは思えない。
これは私の嘘偽りのない本音だ。
それよりも、むしろ
「聞きたいことがあるわ」
私の言葉に勇者の身体が強張る。
今から私は彼女の心の傷をえぐり返すことになるのかも知れない。
そう思うと踏み込むのが怖い。
だけど、身勝手な私はどうしても聞かずにはいられなかった。
「勇者自身のことを教えて頂戴」
勇者はしばしの間、うつむいて悩んでいた様に見える。
彼女にとってそれは簡単に他人に話せる様な生易しい傷ではないのだろう。
だけど、彼女はすぐに決意を湛えた顔で私と向き合った。
「わかった。魔王になら教えてもいい」
「うん」
「でも、一つお願いがある」
「なによ」
「魔王もあいつにちょっとだけ聞いたと思うけど、わたしの話は気持ち悪いことばかりになるかもしれなくて…だから、その……き、嫌いにならないで欲しい」
「そ、そんなの」
嫌いになるわけがないじゃない!
潤んだ瞳で私を見上げる勇者が綺麗で思わず抱きしめそうになる。
その震える身体を掻き抱いて、安心させてあげたくなる。
一度落ち着け、私。
勇者は真摯に私と向き合おうとしてくれている。
それなのに私が不純な気持ちでいては勇者に申し訳が立たない。
勇者のためにも一度やましい思いは捨て置こう。
私は自分に喝を入れ、勇者と向き合う。
「誓うわ。私はあなたを嫌いにならない」
「ありがとう、魔王」
「私たちはお互いのことを知らなさ過ぎよ。もう少し踏み込みあっても良いと思うわ」
「うん」
「差し当たっては、そうね。自己紹介からでどうかしら?」
勇者が私の言葉にコクリと頷く。かわいい。
「アイリス。勇者アイリス」
「私はネレイス。魔王ネレイスよ。よろしくね、アイリス」
「よろしく、ネレイス」
そう言って私たちは微笑み合った。
やっぱり勇者は笑顔が一番似合っている。
「アイリスって良い名前ね。とても素敵だわ」
「お母さんがつけてくれた」
「そうなの。お母様は今どちらに?」
「もういない」
「そうなのね。ごめんなさい」
「大丈夫」
そう言いながらもアイリスは寂しげな表情を浮かべていた。
そんな顔をしていて欲しくなくて、私はアイリスの手を握った。
「え、ね、ネレイス!?」
「アイリス…無理にとは言わないわ。でも、私はあなたのことが知りたい。だから、お願い。アイリスに何があったのかを教えて」
「うん」
そう言ってアイリスは急に立ち上がった。
そして二、三歩ほど距離をとり、私が全身を見渡せる位置で羽織っていたマントをするりと落とした。
「……っ!?」
朝陽に照らされたアイリスの裸にはおびただしい量の傷跡が刻まれていた。
昨日、少しだけ見えてしまったから、傷があることは知っていた。
だけど、明るいところで改めて見ると、その数の多さと残忍さに息を呑む。
彼女の身体には切り傷に刺し傷、火傷とあらゆる傷跡が刻み込まれていた。
一体どんな経験を彼女はしてきたんだろう?
一体どれだけ辛い思いを彼女はしてきたのだろう?
そう思うと涙が止まらなくなってしまった。
「こんな汚いもの見してしまってごめ…ネレイス!どうしたの?どこか痛い?」
「ちがっ…!悔しくて…。…アイリスは汚くなんてないわ」
そう言って私はアイリスを抱き寄せた。
アイリスが自分を卑下するなら、それ以上に肯定しなくては。
そう思った私は自然とアイリスを抱きしめていた。
「…っ!いやっ!離してネレイス!こんな汚い身体に触っちゃダメ!」
「いやよ!絶対に離さないわ!だって絶対に汚くなんてないもの。ねぇアイリス、あなたはとても綺麗だわ」
「そんなこと…わたし、そんな…こと、言ってもらえる様な人じゃない」
「あなたが認めなくてもかまわないわ!でも、あなたが否定するたびに何度でも言ってやるわ。あなたは綺麗よ」
「そん……こと…な……う、ううぅ…」
アイリスが泣き出してしまったのでの背中をさすってやる。
それから私たちはしばらくの間、涙を流しあった。
二人の涙が溶けて、混ざって、ひとつになっていく様で、ひどく心地よかった。
お互いの境界がぼやけて、重なっていく感覚は、切なくて、それでいて甘く、満ち足りた時間を私たちに与えてくれた。
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