幕間


 薄暮に空が染まる頃、わたしは戦野を駆ける。


 鮮烈に血飛沫が舞い、肉が焦げる匂いが鼻につく。

 咆哮しながら迫り来る敵の群れ。

 四方八方から決死の突撃を敢行してくる。

 彼らのそのあまりの気迫に思わず気圧される。

 正面に向かい合う敵が剣を振り下ろしたかと思うと、すぐに側面から槍の穂先が迫って来る。次の瞬間には背中に矢が突き刺さっている。

 死の気配がすぐ側にあった。

 死神の存在をすぐ背に感じながら、それから逃れたい一心でわたしは必死になって戦った。

 感情を殺して、敵を排除する。

 自分を一振りの剣に見立てて、遮二無二に敵を屠っていく。

 そうして自分を道具の一つだと思い込まなければ、わたしの心はいとも簡単に壊れてしまうだろうから。



 魔族の戦士は誰もが手強かった。

 何人もの戦士と切り結んだが、一人とて簡単には倒せなかった。

 むしろ気を抜いていると、こちらが殺られかねないから常に全力で斬り伏せる。

 魔族は誰もがこの戦場に死に場所を求めているかのように見えた。

 誰もが彼もが狂った様に立ち向かってくるのだ。

 圧倒的な数の敵を前にしても、一歩も引かずに必死に喰い下がってきた。

 戦えば自分の死は明白だというのに、手足を千切られようと、腹を掻っ捌かれて臓物をぶちまけようと、命が燃え尽きるその瞬間まで争った。誰もかれもが決死の覚悟で戦っていた。

 そうやって目付きを変えて迫ってくる彼らを人族はかなり不気味に思っていた。

 その為人族は相手が寡兵にも関わらず、攻めあぐねていた。

 


 そんな手強い魔族のもっとも不気味な瞬間は死の間際だ。

 人族なら誰もが死の瞬間には苦悶の表情を浮かべる。

 だけど、魔族は違った。彼らは死を前にして尚、自身の生に満足したとでも言いたげな安らかな表情を浮かべるのだ。

 わたしはその表情を見るたびに思う。

 いったい何が彼らをそこまで駆り立てるのだろうか、と。

 いったい何が彼らに安らぎを与えたのだろうか、と。

 知りたい。

 その正体を突き止めたい。

 自然とそんな欲求が湧いてくる。

 もしも、わたしがそれを知ることが出来たなら、わたしも自分の人生に悔いを残さず死ぬことが出来るだろうか?

 最期に自分の生に納得することが出来るだろうか?



 ……愚問だった。




 なんとか戦場から逸早く抜け出したわたしはそのまま全力で荒野を駆け抜けた。追いすがる者をぜんぶ置き去りにして、力の限り走った。

 そして城門を飛び越え、やっとの思いで街中に潜入することに成功した。


 辿り着いたその場所は惨たらしい状態だった。

 火矢が飛んで来ていたのだろう。戦火が既に広がっており、家屋が焼け落ちていた。

 人々の悲鳴が飛び交うそこはまさに阿鼻叫喚の地獄と化していた。

 一般市民にまで被害が及ぶ事態を看過することは騎士道精神に背くことだ。

 そう思ったわたしは助けようと咄嗟に手を伸ばして。

 すぐに立ち止まった。


 わたしが助けて、それでどうなる?

 彼らがそれを受け入れるとでも思っているのか?


 いいや、そんな筈がない。

 彼らは人族のわたしを蛇蝎のごとく嫌うだろう。

 現に今、この街を襲撃しているのはわたしと同じ人族だ。

 そんな人族の一員のわたしの助けを乞う者がこの街にいる筈がない。

 

 まだ悲鳴は聞こえている。だけど、わたしは耳を塞いで、何も聞こえていないフリをした。

 助けを呼ぶ全ての声を振り切って、ただ前に進んだ。

 

 わたしは人助けに来たんじゃない。

 今更彼らを助けた所で、わたしがこの人たちの故郷を奪った人族の一員であることは変わらない。それどころか誰よりも彼らの大切な者の命を奪ったのはわたしだ。

 今更人助けをしたところで、それはなんの贖罪にもならない。

 全て自己満足だ。

 ただの偽善だ。


 そんな言い訳を盾に、わたしは必死になって自分の罪から目を逸らした。

 自分自身に必死になってそう言い聞かせて、心を凍らせた。

 そうしないと心が潰れてしまいそうだったから。


 

 しばらく街中を進むとそこに十字路があり、その曲がり角で突然誰かに襲われた。


 「死ね人族!!」


 明確な敵意を持って突き付けられたナイフ叩き落とし、手慣れた動作で相手を組み伏せる。

 相手を取り押さえて、はじめてその子が子供だということに気がついた。

 憎悪を滾らせた目でわたしを見据えるその子は、年端もいかない少年だった。


 「こんな所で何してるの?」

 「…よくも父さんを殺したな!お前も他の人族もみんな父さんの仇だ!殺す!人族は絶対に一人残らず殺してやる!」

 

 涙を流しながら怨嗟の声を吐く彼を見て、わたしは一人納得した。

 そうか。この子も被害者なのか。

 わたしは肉親を亡くして涙を流すこの少年に、かつての自分を重ねてしまった。

 誰かに拘っている暇はないけれど、この子の惨状を知ってしまった以上は放って置けない。

 とにかく今はこの子を安全な場所に連れて行かないと。

 そう考えたわたしは一先ず少年からはたき落したナイフを拾い上げ、その子をそのまま小脇に抱えて、街の奥へと走り出した。

 心のどこかで、これは偽善だと嗤うわたしがいる。

 そんな声を無視して、わたしは歩を進めた。


 「何すんだ離せよ!この人殺し!」

 「ここにもすぐに敵が来る。逃げないと」

 「お前も敵だろ!クソッこの!…いつか絶対に殺してやる!!」


 確かにわたしは人殺しだ。

 数え切れないほど多くの魔族をこの手で屠ってきた。

 わたしの手は魔族の血で紅く染まっている。

 だけど、今はそれを気にしている場合じゃない。

 偽善だろうが何だろうが、助けると決めたら助けなければ。


 わたしは無言でこの少年を街の外れまで運んで行った。

 少年は何やら喚いていたが、気にしない。まともに取り合っていたら人族がここまで進軍して来てしまう。それでは本末転倒だから。

 そんなわたし達を呼び止める声があった。


 「待って!その子を連れていかないで!」


 声のする方を見やると、この少年の母親と思しき人物が、震えながらわたしの前に立ちふさがっていた。

 

 「お願い!その子を離して!」


 わたしは無言で少年を離した。

 少年達は呆然した顔でわたしを見ていた。

 わたしは少年を引き寄せて、胸元に少年のナイフを押し付け、耳元で囁く。


 「復讐したいなら力をつけて」


 少年は悔しそうに歯噛みしていたが、こればかりは仕方ない。

 いくら自分の無力を呪っても、現状は変わらない。

 この世界は残酷なまでに弱肉強食で、弱い者は淘汰されるのが自然の摂理だ。

 誰も救いの手を差し伸べてなんかくれない。

 少なくとも、わたしに救いはなかった。

 何かを成し遂げたいのなら、それ相応の力を付けなければならない。

 少年たちを見送った後、わたしは踵を返して城へと走った。




 ながい、ながい廊下の先にあった重厚な扉を押し開く。

 耳障りな不協和音を立てながら開いた扉の先には広大な空間が広がっており、その奥に玉座があった。天窓から降り注ぐ一条の月明かりが、玉座を青白く照らしている。

 軋む扉を開け、玉座に目を向けた瞬間、かつてない衝撃がわたしを襲った。


 玉座には一人の少女が座っていた。

 すらりと伸びた手足は、まるで陶器のように白く透き通っている。その白皙の美しい肌を煌びやかな蒼黒の鱗が覆っている。しとやかに流れるながい髪は夜の闇よりも深い紺に染まっている。そして端正な顔には強い意志を秘めた血のように紅い瞳が輝いている。

 はじめて誰かを美しいと思った。

 気品溢れる立ち居振る舞いや、高潔な意志が溢れ出ているその顔に、どうしようもなく惹かれる。

 月光に照らされた彼女は神々しささえ感じられるほどに美しかった。


 「「キレイ……」」


 気がつくと口からこぼれていた。

 我を忘れて魔王に魅入っていると、突然その彼女が口を開いた。


 「クックック、蒙昧な人族の分際で良くぞここまで辿り着いたものだな。褒めてやろう。我こそが魔王だ!さて、矮小な存在である貴様に素晴らしい提案をしてやろう。抵抗する事なくその命を差し出すがいい。さすれば魔王の名の下に、貴様に苦痛無き死を与えてやろう」


 やはり魔王は人族を許さないのか。

 予想はしていたことだ。

 魔族を大量に虐殺した人族の、その中でも勇者と呼ばれるほど魔族を殺しまくった女を前に平静でいてくれという方が無茶な話だろう。

 それでも一抹の寂しさが胸に去来する。

 彼女がどれほどわたしを憎んでいたとしても、それでもわたしには今、ここで彼女と戦う意思は無いのだ。

 彼女との対話の余地は一切ないのだろうか?

 いや、諦めるのはまだ早い。

 先ずはわたしに敵意がないことを魔王に理解してもらわなくては。

 そう思ったわたしは魔王に声をかけた。


 「……観念して。魔王」


 わたしが憎いのは分かる。だけどもうすぐここは人族の騎士団に包囲される。そう遠くない内に、この城も陥落する。そうなったら魔王の身も危ない。だから、お願い。観念して、一度わたしの話を聞いて。


 わたしは誠心誠意敵意がないことをアピールした。

 だけど、言葉を尽くして説得してみるも、彼女には伝わらなかったようだ。

 なんでだろう?


 「それは此方の台詞だ!人間!!」


 烈火の如く怒った魔王は、玉座に立てかけてあった彼女の身の丈程もある大きな剣を掴み、わたしに襲いかかってっきた。

 魔王は強かった。

 わたしはなんとか彼女を無力化させようと思案していたが、戦いが始まるとそんな余裕は持てなかった。

 天性の強靭な肉体を駆使して、大剣を身体の一部のように自在に操り、わたしを追い詰めていく。

 なんとか受け流せてはいたが、わたしは反撃に転ずることが出来ずにいた。

 魔王の攻撃は一撃一撃が強烈で、受けるのが精一杯だったのだ。


 ジリジリと時間が過ぎていき、肉体に疲労が蓄積されていく。

 このままじゃ不味い。

 わたしがそう思った時、魔王が戦い方を変えた。

 彼女はわたしから大きく距離を取り、大剣を振りかぶる。そのまま思いっきり床に叩きつけ、岩盤の礫を猛烈な勢いでこちらに飛ばしてきたのだ。

 岩盤で出来た床をいとも簡単に破壊してのけるそのパワーには驚いたが、同時にこれはチャンスだとも思った。

 わたしは聖剣をキツく握りしめ、礫の雨の中に飛び込んだ。


 いたいイタいいたいイタいイタいいたいいやだイタいいたいいたい


 身体中から血が吹き出る。

 骨は砕かれ、内臓も抉れた。

 手足はつながっているのが不思議なくらいひどい状態だ。

 痛いし、辛い。

 本当はこんな事したくない。

 だけど、それでもここで引く訳にはいかない。


 何者にも冒されない自由を得るために。

 わたしは戦うんだ。


 礫の弾幕を抜けたわたしはそのまま呆気にとられている魔王を押し倒した。

 わたしは長年の習慣から努めて平静なフリをする。

 そんなわたしを魔王は化け物を見るような目で見てくる。

 何故だろう。わたしはその目が少し悲しかった。


 だけど、わたしもその気持ちは、少し分かるような気がした。

 もう既にほとんどの傷は治りかけているのだ。

 千切れかけていた筈の手もすっかり元通りだ。

 こんな身体普通はありえない。

 普通じゃないわたしはきっと人の皮を被った化け物に違いない。

 そう、思った。


 そんな思考が首をもたげるも、わたしは瞬時に気持ちを切り替える。

 ここに来た目的を忘れるな。

 魔王と対話出来なかったら全てがご破算だ。

 だからもう一度魔王に語りかける。

 「……観念した?」

 「ああ、私の負けだ。煮るなり焼くなり好きにすれば良い」


 勝負に負けたのが悔しいのか不貞腐れた様子の魔王を見ると、少し微笑ましい気持ちが湧いてくる。

 負けず嫌いなところもあるんだ。

 それはそうと


 「魔王を煮ても美味しくないと思う」


 何か魔王が誤解している気がしたので訂正してみる。

 わたしは魔王を害そうとしている訳じゃない。ましてや魔王を食べようだなんて思ったことなんて一度たりともない。

 そのことを必死になって伝えるが。


 「何を馬鹿なこと言ってるの!殺すならさっさと殺しなさいよ!!」


 ショックだった。

 わたしの言葉は一切彼女には届いていなかったのだ。

 言葉を尽くして説得を試みたのに、それほどまでに人族と魔族の間にあいた亀裂は深かったのだろうか?

 そうに違いない。

 それでも、やっぱり諦めきれない。

 人族と魔族に越えることが出来ない溝があったとしても、わたし個人として対話をすることは出来ないだろうか?

 そうだ。人族としてではなく、わたしアイリス個人として魔王に話を持ちかけてみよう。

 よしっ!頑張って話そう。


 「その必要はない」

 「え?」

 「わたしはあなたを殺さない」

 「は?」


 これは良い感じではないだろうか?

 この調子でわたしに敵意がないことを彼女に知ってもらおう。

 だけど彼女はそう簡単にはわたしの話を聞き入れてはくれなかった。


 「はっ!殺さないだなんてお優しいことね」

 「優しくはない」


 それは厳然たる事実だ。

 わたしはやさしい人間なんかじゃない。

 むしろその逆だ。

 利己的で、自分の目的のために魔王を利用しようと考えているのだから。

 そんなわたしに魔王が思いっきり上体を起こして、わたしに顔を寄せる。

 そして


 「皮肉に決まっているだろ!私を馬鹿にしてるのか!?良いか、よく聞け人間!人族は今までも散々そうやって私たちを謀ってきた。今更私がそんな甘言に騙されると思うな!!」


 魔王の怒りが伝わって来た。

 魔王の憎しみが、屈辱が、辛酸がわたしの心に流れ込んできて、その気迫にたじろいだ。

 本当に彼女を説得できるだろうか?

 仇である人族のわたしではどだい無理だったのだろうか。

 彼女の怒りはそれほどまでに深く、わたし如きでは受け止め切れる自信など到底ない。

 もしかしたら彼女はこのままこの街と共に滅びることを望んでいるのかもしれない。

 どうしたらいい?

 どうすれば彼女を引き止めることができる?


 パニックになったわたしは彼女を見つめる。

 彼女の瞳を見ていると、不思議と昔のことが思い起こされる。

 はるか昔、まだわたしが勇者になる前、母と一緒に幸せに暮らしていた時のことを。

 母はなんと言っていただろうか?

 確か…


 『いい?アイリス。よく聞きなさい。あなたは素直で真面目で優しい子よ。きっと幸せになれるわ』

 『しあわせ?』

 『そうよ。だからね、心惹かれる人と出会ったら、あなたの思っていること全部その人にちゃんと伝えなさい』

 『つたわらなかったら?』

 『その時は行動で示しなさい。きっと伝わるわ』


 そうだ。言葉がダメなら行動で示そう。

 そう決意し、わたしは顔を彼女に近づける。


 そして二人のくちびるが重なった。


 「ふぇ?」


 それは甘美な時間だった。

 やわらかな彼女のくちびるを啄むとあまい香りが口いっぱいに広がった。

 その感触に脳髄がとけてしまいそうだった。


 「これで敵意がないって分かって貰えた?」


 返事がない。

 そのことがわたしを少し不安にする。

 やっぱりダメなのだろうか?

 その不安からわたしは言葉を重ねる。


 「魔王」

 「な、なに?っていうか今の私のファースト……」

 「結婚して」

 「は?結婚?けっこんって…え?ええええええええええええええええええええ!?」


 母の教えによると、確か協力関係にある男女は結婚っていう契約を結ぶ………らしい。

 男女ではないけど、わたしも魔王に協力を要請している身。つまりは結婚を申し込んでいると言っても過言ではない………筈だ。


 「私、女なんですけど!?」


 そう叫ぶ魔王の声には困惑はあれど、わたしを拒絶するものではなかった。

 伝わった。

 そう思ったら、涙が一雫頰を伝って落ちていった。

 まだ何も成し遂げていない。

 でも、それでもはじめの一歩を踏み出した。その手応えをわたしは確かに感じていた。





 後日、魔王に結婚について詳しく教わった。

 その時わたしは顔から火が出るかと思うくらい恥ずかしい思いをしたのは想像に難くないだろう。

 そんなわたしの失敗を魔王は笑いながらからかってきた。

 魔王の悪行ここに極まれり、だ。

 わたしはいつかその雪辱を果たすことを固くこの胸に誓った。




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