第二節
フード付きのマントを目深にかぶった私と勇者が燃ゆる町並みを尻目に並走する。
この勇者はどうやら聞かないことは教えてくれなさそうだし、とりあえず今後の予定を聞いておく。
「この後、私はどうすればいい?」
「魔王には不便をかけるけど、捕虜になってもらう」
「分かったわ」
不安はあるけど、仕方がない。
「私が監視する。魔王に手を出す奴は斬る」
「斬っちゃダメでしょう?あなたが居なくなったら私の計画が立ち行かなくなるんだから、私のために斬らないで」
不承不承といった感じで頷く勇者。
なんでこいつはこんなにも好戦的なんだ?
やっぱり危ない奴なんじゃ…。
まぁ、利用できるうちは利用させて貰うとしよう。
残念なことにこいつが居ないと何も始まらないのだから。
勇者と話しているうちに人族の野営地が見えてきた。
見渡す限りに人、人、人。
様々な「人」がそこには居た。
大声で笑いあう人、今日は何人魔族を殺したと自慢する人、それを羨む人、金目の物を奪ってきたと吹聴する人。
聞いていると身体が震えが止まらなくなる。
人の死を肴に酒を呷るクズどもが。
今すぐ飛んで行って、クズどもにつけあがった分の代償を支払わせたい。その空っぽな頭を握りつぶして、その肉をぐちゃぐちゃに磨り潰したい。
でも、今はダメだ。
頭の片隅で、冷静な私がそう囁く。
いずれ必ず全ての略奪者に報いを受けさせる。
でも、それは今じゃない。
優先順位を履き違えるな。
私はなけなしの理性を総動員させて、衝動をおさえる。
「魔王」
「な、何よ?」
応える声が少し震える。
「大丈夫?」
それは純粋な心配だった。
ああ、くそ。私は勇者なんかに心配されるほど、ひどい顔をしていたのか。
「大丈夫よ。それにあなたに心配される謂れはないわ」
気分は最低だが、それでももう大丈夫。
この屈辱も、苦痛も全てを糧にして、私は進む。
自分で、そう、決めたのだから。
勇者はそのまま一際豪奢な天幕まで私を連れて行った。
彼女はそのまま無造作に中に入って行く。
外で待ってる訳にもいかないから、私も彼女について中に入る。
天幕の中は指揮所のようだ。
周辺の地形図ときらびやかな勲章を胸にぶら下げた偉そうな人族が数人。おそらくこれが指揮官なのだろう。それとそれらの護衛と思わしき騎士が数人。
さぁ、この作戦の第一関門が今、始まる。
勇者の接近に気が付いた一際偉そうな奴が声をかけてくる。
「おぉ、戻ったか勇者よ。それで首尾はどうだ?魔王は打ち取ったのか?」
「打ち取った」
勇者の返答に周囲が湧き返る。
「それは重畳。それで他の魔族はどうした?しっかりと滅ぼせたのか?」
「向かって来る敵はすべて斬った」
そうだ。こいつも敵だ。
今はなんの因果か一緒に行動しているが、私たちはお仲間という訳ではないのだ。
同胞をさんざっぱら殺しまくった勇者を、私は絶対に許さない。
目的を果たした後、真っ先にこいつも殺してやる。
せいぜい背後には気を付けることだ。
「まぁいいだろう。それで…貴様の後ろにいるその者は一体何だ?」
「捕虜」
勇者の返答に今度は周囲がどよめいた。
「勇者よそれはいかん。今回の遠征において皇帝陛下は魔族を根絶やしにしてこいと仰せだ」
「我々騎士団に与えられた任務は皆殺しなのだ」
「左様。そこに一人たりとも例外は認められないのだ」
「禍根の根は断たねばならない」
ここにいる全ての者が私を殺せという。
この流れはまずい。
たとえここで暴れて、万が一この場を生き抜いたとして、ここは軍の中心だ。
魔王とはいえど、流石に何百何千という兵士を相手にすることは出来ない。
冷や汗を流す私を他所に、勇者は平然としている。
まさかこのまま切り捨てられるのか?
「良いな?勇者よ。騎士たちよ!そこの害虫を殺せ!」
護衛の騎士がその号令に反応し、抜剣して向かってくる。
もはや後先考えている状況じゃない。
今抗わないと死ぬ!
「なんの真似だ?勇者よ」
私が交戦を決断したその瞬間、勇者はすでに抜剣していた。
そしてその切っ先は、私に殺意を向けて今にも斬りかかろうとしてきている騎士に向かっていたのだ。
「それはダメ」
この場にいる誰もが、彼女の明確な拒絶に唖然とした。
きっと一番驚いたのは他ならぬ私に違いない。
誰もが予想し得なかった勇者の行動に最初に反応できたのは、切っ先を向けられた騎士だった。
「こんの……裏切り者がぁ!!まずはお前から斬り殺してやる!」
怒り狂う騎士を沈めたのは指揮官だった。
「やめよ!!!」
「……っ!?」
その者は上官の一括で萎縮し、情けなくも剣をおっことした。
指揮官はため息をつきながら、勇者を諭そうとする。
「勇者よ。貴様も騎士団に所属する身の上なれば、上官の命令には従いたまえ」
「すべての騎士団は皇帝陛下に帰属するものだ。その皇帝陛下が魔族は皆殺しにせよと仰られている。これ以上は説明しなくても良いな?」
懇切丁寧に説明する指揮官には一つだけ誤算があった。
それは道理を説けば勇者を説得できると思っていたことだ。
私は知っている。
どんな言葉も勇者には通じない。
「勘違いしないで。わたしは許可を貰いにきた訳じゃない。邪魔をするなと言いにきた」
「なんと不遜な!皇帝陛下の意に背くと言うのか!?」
「わたしに命令できるのは皇帝じゃない」
この勇者の言葉には大勢の者が反応を示した。
「貴様!不敬だぞ!」
「無礼者め!口を慎め!」
「…国家反逆罪でこの場で貴様を処刑することもできるのだぞ」
「立場というものを弁えろ」
だが勇者は依然としてひょうひょうとした態度をくずさない。
「お前にそんなことはできない」
「……貴様、一体どういうつもりなのだ」
「わたしは教会の命で動いている」
「ふむ…」
「教会は情報を欲している。お前がそれで納得しないというのなら仕方ない。わたしが直接皇帝に話をつける」
数秒の間、この天幕の中を緊張した空気が充満するのを感じた。
正直私はこの間、生きた心地がしなかった。
そして指揮官が諦観を湛えながら、その重々しい口をひらいた。
「…わかった。だが、軍からその害虫に貴重な物資を供給することはない。それでいいな?」
「かまわない」
直ぐに周りの兵士が抗議する。
「団長!まさかこの害虫を同行させるおつもりですか!?」
「貴様は少し黙っておれ!!!」
「話はおわった。もう行く」
「待て。その害虫はしっかりと拘束しておけ。これは騎士団として守るべき規則だ。違反は許さん」
「わかった」
そうして私たちは騎士団に紛れ込むことに成功した。
これから私は事前の打ち合わせ通りに、人族に怯えた従順な捕虜を演じる。
誰にも私が魔王だと悟らせない。
誰の目にも留まらずに私は目的を遂行する。
そう、全てはこれからなのだ。
そのためにはどんな恥辱にも耐えてみせる。
勇者たちが去った後、指揮所では騎士が指揮官たちに詰め寄っていた。
「団長!自分はあのゴミ虫と行動を共にするなど到底納得できません!どうか自分の部隊にあの害虫の駆除をお命じください!」
「自分も同感です。いつ貴方の寝首をかきにくるとも限りません。あまりにも危険すぎます!リスクの早期排除は定石であると愚考します!」
彼らの言葉に上官も頷く。
「貴様らの言いたいことは良くわかる。我輩も自分の部隊に虫がわくのは好まない」
「で、では許可していただけるのでしょうか?」
「ならん」
「何故ですか!納得のいく説明を下さい!」
「納得のいく説明か…ふっ、いいだろう。よく聞いておけ。あの勇者という存在がいかに恐ろしいか。ここで聞いた話は他の者にも伝えてやれ」
騎士団団長と呼ばれた初老の男は深く息を吐き、こう続けた。
「勇者は不死身の化け物だ。あやつにだけは関わっちゃならないのだ。我輩は以前あやつの戦い振りを見たことがある」
団長に詰め寄った若い騎士は、彼が震えていることに気が付いた。
歴戦の猛者が、何かに覚えている?
もしかしてあんな弱そうな少女に?
団長の話は続く。
「あやつは狂っている。飛来する矢に射抜かれても、背後から剣で刺されても、側面から槍が腹を食い破っても死ななかったんだ」
「団長…剣に刺されても生き残ることはままあります。それに奴は教会関係者なのですよね?【癒しの祈祷】が使えるだけでは?」
「えぐられた腹から臓物を撒き散らしながらも戦い続けたのだぞ?祈祷術を唱えれる筈がなかろうて。結果、あやつは魔族が堅牢に守っておった関所を破ったのだ。それもほとんどあやつ一人の力でだ」
「なんと…」
「血に飢えた獣のように戦うあやつのおぞましい姿を見たらきっと貴様も関わりたくなくなるだろう」
「き、聞いたことがあります。血に狂った化け物が魔族を殺しまくってる、と。奴がそうなのですか?」
「そうだ。そしておそらくまだまだ殺し足りないのだろう。その証拠にあやつが連れていた害虫の顔を見たか?」
「い、いえ、自分は見ておりません」
「だから貴様らはいつまでも甘ったれた青二才のままなんだ!ばかたれが!」
「す、すみません!」
「いいか?あやつの勇者を見る目には恐怖と激しい怒りが見て取れた。おおかた目の前で幾人ものお仲間を殺されたのであろう。わかったか?今後貴様らは勇者には関わるな!だが同時にあやつの周囲を探れ!怪しい動きがあれば全てわしに報告せよ!!」
「御意!」
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