第三節
勇者専用の天幕に通された私はゆるく手縄を締められていた。しかし、こんなものはその気になればいつでも引き千切ることが出来る。
それは拘束と呼ぶにはあまりにもお粗末に過ぎた。
もしかして私なめられてる?
こいつは私なんかに殺される訳ないって思われてるのか?
今夜こいつの寝込みを襲って、脅してやろうか。
喉元に爪を突き立てたら、こいつのすかすかの脳みそでも学習するだろう。
敵を拘束しないのは余裕ではなく怠慢だ、と。
私が怒りに震えていると、突然勇者が振り返る。
「魔王、おこってる?」
怒ってるかだぁ?
「ええ、怒ってるわ。あなたの危機感のなさにね」
「危機感?」
「呆れた。本当に自覚ないのね」
自信満々に頷く勇者に殺意が芽生える。
今はダメ。我慢するのよ、私。
「私たちは敵同士なのわかってる!?いい?捕虜を拘束しないのは優しさじゃないわ!履き違えないで!私がいつでも背後からあなたの頭を握り潰せるってことを覚えておきなさい!」
興奮しすぎて息が荒くなる。
頭に血が上って、ついここが敵地だということを忘れてしまっていた。
外に人の気配はないけど、今後は少し気をつけよう。
私の剣幕に驚いていた勇者が急に微笑んでくる。
え、急になんなの?
ちょっと怖いんですけど。
「魔王はやさしい」
「は?」
「わたしの心配までしてくれてる」
何をどう勘違いしたらそうなるのか。
こいつの脳みそお花畑なんじゃないか?
私が本気で困惑している様子を見て、勇者がくすくすと笑っている。
「魔王が本気でわたしを殺したいなら、いいよ」
「はぁ?」
「あなたにはその権利があると思う」
「はぁ」
どういう意味だろう?
人族のくせに罪の意識を感じているとでも言うのだろうか?
いや、そんな訳ない。
人族なんてみんな同じだ。
さっきの天幕での出来事を思い出せ。
人族なんて魔族を殺すことを、虫を殺すことのように考えている奴ばっかりに決まっている。
それにこいつは私を利用したいから生かしているんだ。
だから私にいい顔をするんだ。
そして用が済んだらこいつも他の人族と同じように、ゴミを見る目で私たちを見るんだ。
なんて下衆な種族なんだ。
私は決して人族に騙されないためにも、今後も絶対に勇者を信用しないと決意を新たにした。
それから私たちは騎士団とともに人族の国を目指した。
目的地の名は神聖皇国。
人族の国の中でも最も強大な国の一つだ。
峻険な山に築かれた魔族領はまさに天険の地だ。
人族の国への旅は困難を極めた。
朝晩の厳しい冷え込み、薄い酸素で正気を失う者もいる程だ。
軟弱な人族と比べて頑健な身体を持っている私でさえ、夕刻には憔悴しきってしまう程に厳しい道のりを私たちは進んだ。
そんな中、意外なことに勇者は甲斐甲斐しく私の世話をした。
食料や防寒具、毛布など全て一人分しか支給されなかったが、勇者はその殆んどを私に譲った。
厳しい旅の中、疲れた顔を見せずに何かと私のことを気にかけてくるのだ。
彼女の行為は人族としては異端だ。
人族が自分の身を削ってまで魔族に施しを与えるなんて普通じゃ考えられない。
いっそ珍妙だ。
その姿はまるで本当に私を心配している様に見えるのだ。
はじめは貰える内に貰っておこうと思っていた私も、それがずっと続くと流石に心配になってくる。
一週間が過ぎる頃には全てを半分にするよう提案した。
はじめは勇者は自分は大丈夫とか言っていたが、死なれたら困ると言ったら渋々私の提案を受け入れた。
勇者が本気で私の身を慮っているように感じたのは、私が他の騎士に襲われた時だ。
そいつらは勇者が食料を受け取りに行った瞬間に現れた。
親の仇とか、弟の仇だとか訳のわからないことを叫び、口汚く罵ってくる。
そいつらが奇声を発しながら剣を振りかぶり、私に突撃してきたその瞬間、めずらしく慌てた勇者が私たちの間に入った。
剣で受け止める時間がなかった勇者は、腕で相手の剣を受け止めた。
勇者の血が部屋に飛散し、私の頰をぬらす。
押し入ってきた騎士たちは勇者の殺気を受け止めきれずに気絶した。それらを天幕の外に放り出した後、彼女は私の心配をしてきたのだ。
自分の腕から血がとめどなく流れ出ているこの状況でえ私のことを気にかけてくるのだ。
意味がわからない。
「魔王、だいじょうぶ?」
「え、ええ、大丈夫よ。そんなことよりあなたの腕!血が止まらないじゃない!」
「私はだいじょうぶ」
そう言って彼女が腰に下げた剣を引き抜き、何かを唱えると剣が光を帯びた。すると腕に刻まれた深い傷がたちまち消えてしまった。
「ね?」
「ばか!治ればいいってもんじゃないでしょ!」
傷が治るからって、受ける瞬間は痛い筈だ。
だって剣を腕で受けたその時、彼女は僅かに苦悶の表情を浮かべていたのだから。
それなのに彼女は私の言いたいことが分からないらしい。
「お願いだから、もう私のために自分を傷つけないで。自分が犠牲になったらいいなんて思わないで」
「……わかった」
やっぱり勇者は不承不承といった様子で頷いた。
この頃には本当に彼女がかつて同胞を殺しまくり、私たちに恐怖を植え付けた勇者と彼女が同一人物なのか分からなくなってしまっていた。
なにか止むに止まれぬ事情があったのでは思うようになっていた。
それ程に彼女の私に対する姿勢は真摯で誠実だったのだ。
勇者に対する態度が変わっていくのを、自分自身で感じ取っていた。
二ヶ月の山越えの末、私たちはついに魔族領を抜け、人族の支配領域に辿り着いた。
ここまで来ると敵国はすぐそこだ。
あの刃傷沙汰以来、勇者の私に対する態度はもはや過保護のそれになっていた。
食料は纏めて受け取って(奪って)おき、自分で配分していくようにしたり。
遅くまで起きて周囲を監視したり。
道中馬を購入して私を乗せ、自分は馬を引いて歩いたり。
何かにつけては私を優先させるのだ。
何度注意しても聞く耳を持たない彼女には本当に困らされた。
特に馬に私だけを乗せるのは目立つと言うと、ならわたしも乗ると言い出す。
他の騎士たちの視線が痛い。
だけど勇者はどんな視線や誹りにも動じない。
むしろ上機嫌に馬を駆る勇者を見ていると、私まで注目を集めようがどうでもよく感じてくるから不思議だ。
この頃から騎士団の間で妙な噂が流れ始めた。
曰く、勇者は魔族の女を侍らせるのが好きな変態だとか、魔族の女は勇者に取り入って貢がせる魔女だとか、微妙に否定し難い噂に困らされていた。
いや、否定する相手もいないので、尾ひれをつけて一人歩きしていく噂をただ見守るだけなのだけど。
食事をとる時に勇者がそのことを面白そうに話すのを見ていると、もう誰に何を言われても全てどうでも良くなっていった。
それは未だかつて味わったことのない不思議な感覚だった。
きっとはじめての旅がもたらす高揚感のせいだ。
人族の国境を超えてから約二週間、遂に神聖皇国が首都、【聖都】に辿り着いた。
三ヶ月近くに及ぶ旅を終えた時、驚くことに私は勇者をすこし信頼し始めていた。
何故そう思い始めたのかは分からない。
だけど、人を信じるというのもそう悪くない気分だということは間違いなかった。
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